第9話 将来の希望

 全員がテーブルに付き、それぞれ思い思いの酒を手に乾杯をした。

 6人掛けの座敷は割とギュウギュウで、一番奥に僕、ナミちゃん、リサちゃんという順で座っている。

 対面が先輩で、その横に二人の女子が並ぶ。

 先輩はメニューを眺め、女子達はおしゃべりに興じる。

 取り残されている僕は、何度もスマホの画面を確認していた。

 さっき送ったメッセージには、既読が付いているが、返信はない。


『ごめん。昨夜は飲み過ぎて記憶が飛んでた。絶対に忘れちゃダメな約束だった。本当にごめんなさい』

 追加のメッセージを入れて、スマホをポケットに仕舞った。


「陽人さんって、学生の時どんな感じだったんですか?」


 名前の知らない、先輩チームだった女の子が僕に話しかけた。

 顔はそれほど美人ではないが、ほっぺと前髪がふっくらとしていて、フグみたいで憎めない雰囲気。どちらかと言うと可愛い。性格の良さそうな、笑顔が似合う子だった。


「どんな感じって聞かれても……僕、学年違ったしなぁ。サッカー上手くて、女子にモテるタイプ、かな? 男子校だったから、残念ながらモテてる所はあまり見た事なかったけど」


「男子からもモテそう。男子高って、そういうのありそう」

「ありそう、ありそう!」

 全員きゃっきゃと笑う。


 何だか急に居心地が悪くなった。


「人気者だったよ。後輩にも」と、無難に返しておく。


「陽人さん、ナツさんは? どんな感じだったんですか?」


 ナミちゃんが僕の隣で、先輩の顔を覗き込む。


「ああ、かわいい奴だったよ。サッカーバカ! 勉強はできなかったな」


 それに僕が付け足す。


「そうそう、遺伝子残しちゃダメなタイプ」


「きゃはははー」「何それー? 下ネタ!」


 よかった、ウケた!


「ナツさんはぁ、どんなタイプの子が好きなんですか?」


 ドンナ タイプノコガ スキナンデスカ?

 これは、好きな男のタイプを聞かれているわけではない。

 好きな女のタイプを聞かれているのだ。そんなものはない。その質問に彼女達が納得する答えを僕は持ちあわせていない。どうしよう……。


「えっと……。ほ、ほそ、細い子が好きかな」


 僕は細専だから、これが嘘のない誠実な答えだろう。


「陽人さんはぁ?」


 フグ似の女の子が先輩にすり寄る。


「俺? 俺は……料理が上手くて、巨乳がイイな」


 巨乳か! 明日から胸筋を中心に鍛えよう。


「私、料理得意ですぅ」


 フグ似の女の子の隣の子が身を乗り出す。


「どっちかって言ったら、巨乳の方が重要かな」


「がんばって育てます!」


 女の子のおっぱいも育てられるものらしい。

 この子達、先輩の事好きなんだろうなと思ったら、全員、ブスに見えた。


 ミチルからの返信がスマホに届いたのは、腕時計の短針が7を少し過ぎた頃。


『今日、店出る事になった。ごめんねナツ君。また今度』

 絵文字もスタンプもない、素っ気ないメッセージから、ミチルの気持ちは読み取れなかった。それなのに、僕は少しだけほっとしていた。


『わかった。仕事頑張って。明日の5時に、新宿公園で待ってる。プレゼント買いに行こう』

 そう打ち込んで、画面を閉じた。


 5杯目のハイボールを飲み干し、トイレに立つ。

 今度は本当のトイレだ。

 用を済ませ、手洗い場の鏡に映った自分の顔に驚く。

 日焼けと酒で真っ赤! 屋上でのフットサル、無防備過ぎたと今更後悔する。


 外に出るとナミちゃんがいた。


「おお!」


「ああ」


 変な挨拶を交わした後、ナミちゃんは耳の先を赤くして、僕の顔を見上げた。

 女の子達は、きっちり日焼け対策をしていたのか、全然赤くなってない。ほんのりお酒で紅潮しているぐらいだ。と思ったが、大きく開いた胸元は真っ赤になっていて、痛々しかった。


「大丈夫? 赤いけど」と、胸元を指さす。


「そうなんです! 日焼け止め塗り忘れちゃって」と情けない顔を作った。


「ふふふ」


「ナツさんも顔真っ赤! 大丈夫ですか?」とナミちゃんは手の甲を僕の頬に当てた。

「あっ」と短く声を上げ、顔を反らしてしまった。

 ひんやりと気持ち良かった。


「私、酔っちゃいました」とナミちゃんは狭い廊下の壁にもたれかかった。

「あは、大丈夫?」


「トイレ行ってきます」

 そう言って、壁から体を離した瞬間、僕の前で派手に躓いた。


「おっと、大丈夫?」


 間一髪で、彼女の体を支えた。


 その瞬間……


 少し前傾していた僕の正面で、ナミちゃんは背伸びした。

 視界いっぱいに彼女の顔が広がり、唇と唇が触れあった。

 初めての女の子とのキスに、僕は思わず固まってしまう。

 陳腐なラブコメのように、ぶつかったわけではない。彼女からキスしてきたのだ。


 柔らかかった。


「ごめんなさい。私、酔うとキスしたくなっちゃって。迷惑ですよね。ごめんなさい」


 口元を隠し、笑ってるナミちゃんは、照れていると言うよりは、挑発的に見えた。僕をからかって、面白がっていたのかもしれない。


「あ、いや……迷惑なんて」


 僕は不意に、女の子とちゃんとキスしてみたくなった。もしかしたら女の子もイケるかも?

 男より女の方が気持ちいいぞ! と言っていたバイセクシャルのお客さんの言葉を思い出した。自分は男オンリーと決めつけるには、まだ経験が足りないかも知れない。

 僕は、ナミちゃんの手を握ってみた。彼女はその手を、当然のように握り返した。

 ひんやりと冷たくて、小さくて、柔らかい。

 なんだか禁断の世界への扉の前に立っている気分だった。


 気持ち悪いと思っていたナマコを初めて食べて、美味しいと感じた日の事を思い出した。僕は震える手でナミちゃんを抱きしめ、そっと唇を合わせた。

 ナミちゃんもそれに応えるように、僕の唇をついばむ。


 僅かに下半身が反応した。あれ? いけるかも?

 バイセクシャルのお客さんが、バリタチは女も抱ける、とも言っていた事を思い出す。

 やる事は同じ。入れる場所が違うだけだから。バリウケよりは希望が持てるのだと。セックスはセックスと、割り切ればいいのだ。


 この時の僕はまだ、ゲイというマイノリティから脱出できるかもしれないという、わずかな可能性に、すがりたかったのかもしれない。

 将来、正々堂々と、地元に彼女を連れて帰省する。将来は結婚して子供を……。そんな未来を。完全に諦めていたわけではなかった。特に僕は子供が好きだから、将来授かれたらいいなという、希望だけは捨てていなかった。


「ナミちゃん、この後、暇?」


「はい。暇です」


「じゃあ、この後、ホテル行こうよ」


「……え?」


「ん?」


「いきなりですか?」


 しまった、と思った。異性愛者と同性愛者の恋愛に至る過程は違うのだ。いきなりセックスだなんて、性欲を持て余した男同士じゃないんだから。

 先ず、心を通わせなくていけない。


「ごめん。ダメだよね。僕も酔ってた」


 しかし、この後、彼女はこう言ったのだ。


「全然ダメじゃないです。大丈夫ですよ?」

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