第8話

9


 「……さん……ブレイルさん、起きてください」


 低く静かなガラスの鈴を転がす様な声が耳元で囁かれ、揺さぶられる身体でブレイルは、その金の眼をゆっくりと開けた。

 目を覚ました時、目に映るのは昨夜と変わらず、物静かな心落ち着く暗闇。

 オレンジ色のランプが暗闇の中で小さく揺らめいて、まるで夕闇の焚火を思い起こす。

 

 ぼんやりと視線を上げれば、側に片膝を付く頭からつま先まで黒一色で染め上げた《少年》が一人。

 いや、違う。この子は【少女】だったな、なんて頭の片隅で浮かべながら一度目を閉じ微睡みの中を過ごした。


 「――腹を蹴りあげてやれ」

 側にいた低く落ち着いた声色の冷徹な男の声により、その微睡みは叩き壊される羽目になるのだが。


 「やめろ!」


 この声の男ならやりかねない。ブレイルはけだるい身体を叩き起こした。

 いきなり体を起こしたものだから、一瞬頭がクラりとしたが、関係ない。金色の眼が屋敷の中、本棚の前で佇んでいる男を睨む。

 

 「お前もなぁ、助言1つで腹を蹴ろうとするんじゃない!」


 そして、自身の側で後ろに足を振り上げているモルスにも。立ち上がって指差さすと、苦言を一つ零して溜息を付くのである。

 モルスは突然起き上がったブレイルに驚いてか、バランスを崩す。そのままガタン、尻餅をついて後ろへと倒れ込むのだが。


 「お、おい、大丈夫か?」


 思わぬ事故に慌てた様子でブレイルが声を掛け歩み寄れば、【彼女】は身を丸め、深くフードを被って小刻みに震え始めた。

 そんなに自分は恐ろしい顔をしているのか、それとも昨日の抱き着いてしまった件、彼女はまだ怒っているからだろうか。にしてもモルスのブレイルへの反応は異常と思えるのは気のせいじゃないと思う。

 震える彼女を前にブレイルは、どうしようもなく溜息を付くのだった。


 ――結局の話。

 昨晩の【この世界】についての話はアドニスからのエルシューへの言伝を最後に、彼が強制的に終わらせてしまった。

 「後は自分で調べて判断しろ。俺は何もこれ以上は助言もしない」――そう、アドニスがぴしゃりと言い放ち、それ以上はどんな質問を投げかけようが無視を決め込んだのだ。


 代りにモルス彼女に声を掛ければ、此方も完全無視。いや、【彼女】に一歩でも近づこうとすれば、アドニスからの邪魔が入り、話しかけるだけでロリコン扱い。これ以上の会話は無理と、諦めて寝るしか無かったのだが。

 どうやら、今日のアドニスを見るに昨晩のお目付け護衛は解かれたようだ。


 まあ、昨晩ブレイルはモルスに随分と破廉恥を働いたのだ。警戒されて当然。モルスもアドニスから離れず、ブレイルとは目も合わせなかったし、昨晩と比べれば、一晩明けた今現在はまだマシである――と言いたいが。

 蹲る彼女を見て、今日も【彼女】から話を聞くのは無理であるのは一目瞭然であった。


 「わ、悪かったよ」


 仕方が無くブレイルはモルスから離れる。

 彼女がモゾりと、効果音が似合う様子で身体を起こしたのはブレイルが【彼女】から2mばかり離れた時の事である。

 限界距離が判明したところで、モルスは改めるようにブレイルへと向き合うのだ。


 「ではブレイルさん。元の場所へ案内させて頂きますね」

 「あ、ああ」


 【彼女】はアレだろうか。情緒不安定なのか。センサーでも埋め込まれているのだろうか。

 つい先程が嘘の様に、モルスは【図書屋敷】の出口へと向かう。

 アドニスを見るが、着いてくる様子はない。案内をしてくれるのは【彼女】だけの様子だ。



 古めかしい扉を開けたら、一気に眩し過ぎると思える程の光が飛び込んできた。

 キラキラと輝く黄金の太陽。

 何処までも広がる白煉瓦の白亜の街が光を反射し、目が痛むほどの輝きを放つ。

 昨晩の賑やかでも、何処か落ち着いた雰囲気と一変。

 金色の屋根の露店が何処までも続き、笑い声だけが響き、米の彼方此方に花壇に埋められた花が咲き乱れ、何処からともなく花びらが舞い散る。――賑やかで美しい派手、その一言が良く似あう街並みが広がっていた。


 「こっちです」

 その中で黒と言うのは酷く目立つ。

 小さな声であったが、ブレイルが顔を向ければ人ごみの中に佇むモルスの姿があった。寧ろ、彩鮮やかな艶やかな衣服に身を包む中で、頭からつま先まで真っ黒と言うのは異質だ。

 その本音は奥に押し込んで、黒い【少女】へとブレイルは速足で近づく。

 モルスが歩みを再開したのは、ブレイルが範囲2mに入るか入らないかの距離の時、妙に間隔があいたまま、2人は町の中を歩き始めた。


 「……一ついいか?」

 街を歩き出して、5分。人ごみの中をスイスイと横切っていく【彼女】に声を掛ける。

 モルスは黙って歩みを進めていたが、30秒。それぐらいの時間の後、足を止めた。


 「なにか」

 どうやら、話はしてくれるようだ。立ち止まったのは話しやすい様にする為だろう。たぶん、コレは、1つだけ、という条件の元に立ち止まってくれたに違いないが。


 「あの、その……」

 失言したと気づいたのは【彼女】の顔を見た時。

 しまった、之では1つしか聞けない。頭を悩ませるのは致し方が無い。

 

 ブレイルは視線を右斜め上へ、頬を掻きながら今度は左斜め上へ。何を問うべきか考える。

 自身の言葉を無視し、質問を1つとは言わず、ばんばん投げつければ良いのだろうが、【彼女】が答えてくれるかも分からないし、関係性に罅が入るのは避けられないだろう。これ以上モルスとの関係を悪化させたくない。


 ブレイルは腕を組んで仕方が無く。大きく唸る。

 質問は一つ、質問は一つ。質問は、一つ。


 「――コレから、何処へ行くんだ?」

 悩んだ末の答えがこれだった。

 別に考えすぎて頭が沸騰したとかじゃなくて、今の距離感の彼女には之ぐらいの質問が丁度だと思えたからだ。何、他に問いただしたいことは、またいつか。もう少し【彼女】の心が開いてからで良い。

 モルスは無言。フードの下の表情は相変わらず見えない。

 だが、僅かに視線を逸らした後、【彼女】は口を開いた。


 「リリー・ヴァリーの家です」

 「リリー?」


 思いがけない名に、素っ頓狂の声を上げる。

 モルスは続ける。


 「彼女、貴方を夜遅くまで探していたそうです……」

 「あ……」

 そうだった。ブレイルは、元々はリリーと言う少女の元で目を覚ましたのだ。ソレに昨晩の迷子になっている間は、ブレイルも彼女の元へ帰ろうと考えていたじゃないか。


 昨晩の一件ですっかり忘れていた。

 ブレイルは頬を掻く。


 「そうだな、あの子には悪い事をしちまった。」

 でも、そこで疑問が浮かぶ。

 「けど、お前良く知っていたな。リリーについてとか、俺について」

 「……話を耳にしたんです」

 僅かな間の後、モルスが言う。彼女は続けた。


 「聖剣」

 「ん?」

 「貴方の剣ですが、実は盗まれた所を見ていました」

 「……え?」

 とんでもない事実をサラリと口にする。思わずと聖剣に手を伸ばし、顔を顰めた。


 「私、貴方がこの世界にやって来たのを目撃したので」

 「え、ま、待て、それって」


 続けざまに告げられた事実にブレイルは、思わずモルスに詰め寄る。

 【彼女】は身体を逸らし、フードを深く被る様に握り閉める。ただ、苦言を零すことなく続けた。


 「偶然、目にしたんです。ただ、リリーさんが直ぐに出てきましたし……」

 それで手は貸さなくていいかなと……。

 一から目撃した【彼女】はブレイルに手を貸さなくても良いと判断したようだ。


 「ただ……ただ、ケニアスが」

 次の瞬間に、【モルス】の声色が申し訳ない様な色を帯びる

 「ケニアス?」

 モルスは頷き、空を見た。空では輝かしい太陽が煌めいている。そんな空を見ながら、呟く


 「【雨】……【水の神】がモノ珍しげに聖剣を持って行ってしまったんです」

 「……」


 この言葉で納得した。目が覚めた時、ブレイルの側に聖剣が存在していなかった理由が。【水の神様】の悪戯とか、信じられないと言うか、笑えも出来ないのだが。

 と言うか、この様子だと、本当に【神様】は沢山いるのだな、と改めて思った。


 そして、どうしてモルスと言う【少女】が、聖剣を迷いなくブレイルに返す事が出来たのかも理解する。


 「その時、聖剣は貴方の元から随分と離れていましたし、彼女には悪気が、あった訳では無いと思うのですが」

 「いいよ。昨日も言ったろ?戻って来ただけで十分だって」


 まるで自身の失態について申し訳なさそうな声色を零すモルスにブレイルは笑みを湛えた。

 別に話を聞いても【彼女】に怒りを露にする理由も無いし、今は気にもしてない。だから、お前も其処まで木にするな――そう言わんばかりに、ブレイルはモルスの頭に手を伸ばす。


 「やめてください」

 「あ、わ、わるい。つ、つい、いつもの癖でさ」


 はっきりとした拒絶が手を振り払ったが。何時も仲間の一人である聖女の頭を撫でているからか、ついつい【彼女】の心境を理解しながらも身体が勝手に動いてしまう。伸ばしていた手を引いて、申し訳なさげに頬を掻く。

 モルスが、溜息を零したのはブレイルのその姿を見据えてからである。

 もう、話は終わりと言わんばかりに【彼女】はブレイルに背を向けた。歩みを再開する彼女の背を見つめながら、ブレイルはもう一度頬を掻く。

 意を決して、【彼女】の隣へ走っていたのは、その時だった。


 「もう一つ。コレだけは聞かせて欲しい」

 「……なにか」

 拒絶されるかと思ったが、モルスはチラリとブレイルに視線を送った。ブレイルは問う。


 「あの、アドニスってやつだけど、側にいて平気か?」

 「はい?」

 唐突な問いに、【少女】は首を傾げる。


 だがブレイルにとっては重要だ。アドニス、あの男は十中八九危険人物。

 もし、少しでもモルスが辛い目に合っているのなら、引きはがさなくてはいけない。

 ブレイルの金の眼を、黒い瞳が見据える。何かを察したように、ああと小さく呟いたのは直後であった。


 「大丈夫です。あの人と私は、協力関係にあります」

 「協力、関係?」

 思わぬ言葉に、今度はブレイルが首を傾げる番だった。

 「私がココでの暮らしを提供して、彼は私の護衛。それから、色々と手伝いをしてもらっているんです」

 この説明で、漸くブレイルも理解出来た。


 確かにアドニスと言う男はブレイルと同じ『異世界人』を自称し、それも一ヶ月もこの【異世界】で暮らしている。だが、それは簡単にできる事ではないだろう。今のブレイルの様に。

 まず寝食する場所の調達、次にこの【世界】での通貨の調達。いつ元の世界に帰れるかも分からないこの状況では、少々困難だ。むしろ、自身の足で調達するより、この【異世界】で協力者を見つけた方が手っ取り早い。

 あのアドニスと言う男は、その協力者を【彼女】に選んだと言う事だ。それであれば「借りがある」、「面倒を見ている」と断言した彼の言葉は理解できる。


 ただ、理解が出来る説明を聞いたからと言って、不安が払えるかと言われれば「否」だが。


 「……ご心配なく」

 そんなブレイルの様子を察してか、モルスが続けるように口を開いた。

 「私が彼に提供しているのは寝食の提供だけです。夜伽など、破廉恥な行為は彼は求めてきていません」

 思わずブレイルは吹き出す羽目になったが。

 咳込むブレイルを尻目に、【彼女】は続けた。


 「それから暴力行為も受けていません。時折頭を小突かれ叱られる程度です。それも私のミスからですから」

 「ちょ、ちょっと待とうか!」

 すらすら、言葉にするモルスを遮る。だが、モルスは小さく首を傾げた。

 「聞きたいことは、此方だったのでしょう?」

 そう、問い返すのだ。


 それは、確かに、聞きたいことは、そう言う事で、心配していた事も、それだったが。

 辛い目に合ってはいないのが事実であっても、そうペラペラしゃべるのは止めて欲しい。

 

 「……いや、いや。だったらいいよ」

 これ以上は後でアドニスが怖いと判断し、ブレイルは話を終わらせるしか無かった。

 

 「では、着きましたよ」


 モルスがピタリと足を止めたのは、その会話が終わった丁度同じ頃。

 ブレイルが顔を上げれば、小さな薬剤師のお店の前で止まっている。

 お店には看板が一つ『ヴァリーの店』。そう、記されていた。


 「――ここが、リリーの、あれ?」


 ここが目的の場所か、再度問おうとして、ブレイルは隣を見て目を見開き、声を上げた。

 隣、モルスがいた筈の場所には既に、黒い【彼女】の姿が無かったからだ。

 慌てたように辺りを見渡すが、あの目立つ黒服は何処にもいない。何時の間に消えたのか、まるで夢幻ゆめまぼろしがごとく【彼女】はその姿を完全に消していたのだ。


 「あいつ……」

 これにはブレイルは頭を掻くしかない。


 「ねえ、あんた!!」


 ばんと、思い切り扉が開く音が響く。聞き覚えのある声。

 ブレイルが振り返れば『ヴァリーの店』の入口の前に、ツインテールのそばかすの少女が立っていた。

 見間違えるわけも、命の恩人を忘れる訳もない、リリーと名乗った少女その人だ。


 リリーは足音を響かせ、ブレイルに歩み寄ってくる。

 気の強そうな青い瞳が、まじまじと彼を見上げ、無事であることを確認するやいなや彼女は胸を撫で下ろす。

 びしっと、長い指が向けられたのは、その直後の事であったが。


 「あんたね、いきなり飛び出して消えちゃうんだから、心配したのよ!一晩何処いたのよ!」


 怒りが混ざった声の問いかけ。ただ、その声色から彼女がブレイルを心配していたのは間違いないらしい。ブレイルは、申し訳なさそうに眉を下げて笑みを一つ。

 

 「悪い」

 「悪い……ですむものですか!あたし、一晩中探し回ったのよ!」


 リリーは不機嫌そうな声色のまま、放つのである。

 ただ、ブレイルは僅かに笑みを浮かべた。この目の前で初対面も同然の少年自分に対して怒りを向けてくれている彼女。眼の下に隈が作り、心から叱ってくれる彼女。

 本当に申し訳ない事をしたと思うと同時に、心から確信したのだ。

 このリリーと言う少女は、口調は強いが、心根は優しい少女である――と。


 ブレイルは何時もの癖で、リリーの頭に手を伸ばす。

 ぽんぽんと頭を撫でて、改めて「にっ」と人懐っこい笑みを湛えた。


 「本当に悪かった。それから、ありがとうな、リリー」


 リリーの頬がリンゴの様に紅く染まっていったのは、暫く経ってからの事。

 ただプイっとそっぽを向いて、しかし頭を撫でる手を振り払う事はせずに言い放つ。


 「分かればいのよ!」――なんて。


 その様子を見て、ブレイルは心から満足そうに声を上げて笑った。


   ◇


 リリーと再会してから少し、しかしとブレイルは辺りを見渡す。


 「そう言えば、リリー俺のこと良く分かったな」


 リリーの店の周り。そこは変わらず人で埋め尽くされていた。

 おそらく彼女は窓の外からブレイルを見つけたのだろうが、この人ごみの中でブレイルを見つけられたことは関心の一言だ。だが、目の前の少女は怪訝な表情を浮かべる。


 「当たり前じゃない、そんな目立つ格好しておいてさ」

 「ん?」


 指摘され、ブレイルは自身を見下ろす。

 身体に密着したノースリーブの黒いシャツ。裾に進むにつれ丸まった薄い黄土色のズボン。そして、背中に掲げた布被せた筒上の物体。

 辺りの簡単なシャツに簡単なズボンを纏った、道行く人と比べてれば、確かにブレイルの格好は少々目立つ。先ほどから、時折チラチラと訝しげな、怪訝そうな視線を飛ばされるようになったし。

 リリーの言葉にブレイルは納得し、頷き、同時に疑問に思った。


 先ほどまで、この視線は全く送られなかったのだが。

 それはまるで周りの住民はブレイルが目に入らないかのような物に近い。

 ブレイル以上に、目立つあんな黒いコートの【子供】が側にいたのにも関わらず、だ。


 だからこそ、首を傾げる。

 どうして、先ほどまで自分は、いや【彼女】は誰からも注目されなかったのだろう――と。


 「ま、いいわ」

 ブレイルが顎をしゃくり、小さな謎に悩んでいるとリリーが声を上げた。

 彼女は細い腰に手を置いて、ふんっ、と小さく吐息。青い瞳を再度ブレイルに向け言う。


 「良かったわね」

 「え?何が」


 笑みを浮かべるリリーに対して、ブレイルは眉を片方下げたまま首を傾げた。

 リリーは続ける。また、ビシッとブレイルに指を差しながら。



 「エルシューが貴方に会いたいって、今直ぐにでも会いに行きましょう!」



 思いもしていなかった、求め続けていた情報を言葉にするのだ。


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