第6話
8
まず最初にこの【異世界】とやらには名と言うモノがない。
何時で来たかなんて誰も分からず。【神】なんてモノが造ったとされているが、本当の所は誰が創り出したかも、此処の【住人】は誰一人として歴史も伝説も知るものは居ないと言う。
そんな【この世界】は、《魔法》と言うモノも存在していない。火を生み出すことも、水を操る事も、風を生み出すことも、人知を超えた力として、扱えるのは其々の【神様】だけだ。
例えば、【風の神】。【
例えば、【愛の神】。【
例えば、【太陽の神】。【
このように【この世界】では様々な【神様】と言うモノが名の通りの其々の力を用いて、人間と共に暮らしている。人間に崇められながら、人間を守護しながら、人間に愛され、愛しながら、彼らと共にこの日々を過ごしている。
人は言う【
そして、そんな人と【神】が幸せに暮らす世界には《魔族》《魔物》そう言った種族は存在すらしてないと言う。本当にただ、人間と【神様】だけの理想郷。
これが、この【異世界】の事実だ。
「ま、待て!待て、待て、待て!!」
アドニスの説明を聞いていたブレイルは話を遮る様に声を振り上げた。
肩手を前に翳し、頭を抱えて声を荒げる。考えを整理させるために長い時間。
有難い事にその間、アドニスは何も言葉にするようなことは無く、幸いにとブレイルは頬を掻く。
「この、【異世界】には神様が沢山、いる?」
やっと一番に疑問に思えたこと怪訝そうに口にする。
アドニスは小さく「ああ」と肯定。
「俺は此処に来て長い、20の【神】を見た」
更にブレイルは驚愕の声を漏らした。
「見たって、そんなに簡単に会えるものなのか!?」
アドニスは小さく頷く。
「……【神】は皆【街】に住居を構えごく当たり前に溶け込んでいる。会いたいって言えば会えるさ」
立てつづけに驚愕の真実。
ブレイルは愕然としのち、思わずとアドニスの後ろにいる【少女】――モルスと言う【彼女】に真偽の視線を送る。
フードの下から黒い視線。こくり――モルスは小さく肯定した。
「はあ、なんだよソレ!」
【この世界】の住人であると言うモルスから肯定されたのなら、それは真実なのだろう。
いやしかし、怪訝そうに眉を顰めたのはまた瞬間。
「で、でも俺、このあたりを走ったけどさ、【神様】とか見つからなかったぜ?」
ブレイルの言葉に、アドニスが溜息を零す。
「【神】にも
「……ぐ」
何故それを。まるで見て来たかのように。ブレイルは唸った。
アドニスは眉を顰め、目を逸らす。
「典型的な直情型だな。どうせ、エルシューに騙されたんじゃないかと思って、考えなしに飛び出して来たんだろう?」
「ぐ、ぐぐ」
こいつ、本当は全部見て来たんじゃないか?再度ブレイルは唸った。
唇を噛みしめ、しかし。
「あ、まて!」
そう声を張り合えたのは次の瞬間だった。
ブレイルは、先程のアドニスの発言に大きな違和感を見つけ顔を顰めた。
「【神様】が沢山いるのは分かったよ!でも、じゃあ強大な悪ってのはやっぱり嘘なのか!」
「……」
アドニスは僅かに眼を細める。
ブレイルはつい先程の出来事を思い出して、続ける。
「それに人間と神様以外いないってのは、それは嘘だ!俺は今日化け物を見たぞ……!」
今日見たあの緑のぐちゃぐちゃの化け物。
どう考えても人じゃない、何か。アレはブレイルの『世界』の《魔物》とも呼べそうにもない存在だったが、絶対に人間でもない、コレは確かであった。
だが、アドニスは「この世界には人間と神様しかいない」と言う。コレは可笑しい。
この化け物に関してはモルスも見た筈だ。確認を取る様に、ブレイルは【彼女】に視線を飛ばす。
あまりに勢いが良い視線であったためか、モルスは大きく肩を震わし、俯いてしまうが。
「……あれは、最近【街】の方で姿を現すようになった……存在です」
コクリと肯定する様に、呟くのだ。
この言葉を聞いて、ブレイルはアドニスを見据えた。
「ほら!」
自慢するわけでも、批判するわけでもない、まるで子供が親に言い訳をするように言葉を発する。
アドニスは僅かに眼を閉じる。少しして、彼は芽を開いて同時に口を開いた。
「路地裏の先の一件の事か?」
「!」
「確かに化け物騒動はあった。俺も見て来た」
アドニスは非難する事無く、すんなり受け入れる。続けて彼が言う。
「モルスの言った通りだ。最近、あの化け物が姿を現す様になっている。――【神】もアレは何とも言えない存在だとよ。少なくとも、元からいたようなモノじゃない」
彼の言葉に、誰より反応を示したのはモルスだ。
本から目を逸らし、一度アドニスを見上げてから、次はブレイルに視線を飛ばす。
「……」
――ただ、何も言わなかったが。思わぬ肩透かしにブレイルも、がくんと身体が倒れそうになった。
体を起こしながら、頬を掻く。
「じゃあ、えっと。結局、人間と神様だけの理想郷ってのは嘘なのか?」
「さあな。さっきの話は正直、【街】の連中から聞いた事だ。与太話かもな」
アドニスは、さも興味なさげに返す。
「ただ、見ている限り、今までは確かに人間以外の人種と呼べそうな物はいなかった」
「……今までって、お前何時から此処に居るんだ?」
ブレイルは訝しげに問う。アドニスはこの問いにもサラリと答えた。
「――1ヶ月」
「……」
……それは、確かにブレイルの0に等しい情報より役に立ちそうだ。と言うかこの男、1ヶ月もこの【異世界】に居るのか。
いや、そんな事より。とりあえず、状況を整理する。
まず1つ、この世界には沢山の【神様】が存在し、それもエルシュー以外の神もいて好きな時に会える。
次に2つ、この世界では人間と【神様】の2つしか種族はおらず、魔物や魔族怪物と言うモノは存在しない……筈だった。
3つ、筈だったのだが。今は何故か、得体のしれないか異物が頻繁に姿を現すようになっている。
今、理解したのはこの3つである。
ブレイルは、小さく歯を噛みしめた。リリーはこの世界に強大な悪はいないと言っていたし、まるで心配ことは無いと言う様な事を言っていたが、普通に存在しているじゃないかと、苦虫を噛み潰す。
少なくとも、可笑しな化け物が人を襲っていると言う事実が。
「じゃ、じゃあ、強大な悪ってやつは!」
我慢できなくなり、ブレイルは再度、問う。
ブレイルの言葉にアドニスは僅かに眉を片方上げ、理解できないと言わんばかりの表情を浮かべる。
「俺は、俺はエルシューに強大な悪がいる、倒して欲しいって願われて此処に来たんだ!」
そんな彼に説明する様に、ブレイルは続けた。
何と思われ、笑われようが、事実は事実だ。【この世界】の住人であるリリーからは此方も全否定を受けたが。
ブレイルの言葉に漸く理解出来たのか、アドニスが小さく笑む。
「ああ」
と、一言。
「――いるらしいな。そう言った存在は」
そして、からかう様子でもなく、これまた肯定の言葉を贈るのである。
アドニスの言葉を聞いて、ブレイルは音を立てて立ち上がった。
「本当か!」
「ああ、正直俺もその口でエルシューって野郎に無理やり連れて来られたんでね」
アドニスは更に続ける。
ただ、その言葉の端々には心からの苛立ちが含んでいたのは目に見えていたが。
「その強大な悪って奴にもあった事はある」
「!」
苛立った様子で、しかし、アドニスは余りにも有益な情報を口にするのだ。
「どんな奴だ!」
ブレイルが笑みを湛え、一歩前に詰め寄る。
彼は心から安堵を感じていた。
このアドニスと言う男。到底信用できない眼で、自分と比べればエルシューに無理矢理連れて来られた感があった。
その上、リリーには騙されている宣言までされていた訳だから、心の底では、自分は本当に騙されエルシューの口車に乗っかってしまっただけと案じていたけれど。
それは大きな間違いであったようだ。大丈夫、自分がこの世界に呼ばれた理由はちゃんとある。
勇者である自分が倒さなくてはいけない《強大な悪》とやらは実現していると。
だったら話は早い。その悪を今すぐ倒しに行くだけだ。
鎧は無くなったが、聖剣はこうして無事に手元に戻って来たのだ。どんな悪でも
「――ふ」
そんなブレイルを前にして、アドニスは小さく鼻で、まるで小馬鹿にするごとく笑った。
ブレイルの前で彼は眉を上げ、心底くだらない物を見るような視線を隠すことなく浮かべる。
「血気盛んだな。やはり直情型のバカだ」
「――な!」
今度は正論でも何でもない暴言だ。ブレイルの表情は険しくなる。
思わずアドニスに掴みかかろうと、もう一歩前に出た時、アドニスは口を開いた。
「言っておくが、強大な悪とやらの素性は、一切俺は言う気も無い」
「――は?」
少しの間、信じられないと言う様に、ブレイルが声を零す。
だが、わなわなと身体を震わせ、怒りで表情を変えたのは直ぐの出来事だった。
ブレイルからすれば信じられない一言だったのだ。
「何言ってんだよ!その強大な悪ってのは人を困らせているんだろ!?」
問いに、アドニスは小さく笑う。
「……だろうな、俺もアレは迷惑だ」
「だったら、協力しろよ!」
「ことわる」
隙も無い程にバッサリと。彼はブレイルの言葉を拒絶。
続けざまに、アドニスが言う。
「そもそもだが、俺はその強大な悪って奴は心底気持ち悪いと思うが、倒す気は無い」
「は?え……?」
信じられない言葉にブレイルの頭は一瞬にして白くなった。
そんな少年を前にしてアドニスは脚を組んだまま、まるで見下す様な視線を彼へと送り、最後の言葉を叩きつけるのである。
「というか、勇者様。【強大な悪】ってのは、そんな簡単な物じゃないぞ?他人の命令一つでハイそうですかと、じゃあ殺しますってレベルじゃ、もう無い」
男の言葉にブレイルは驚く。この男が、この独特な殺気を放つこの
ああ、そう。断言しても良い。このアドニスと言う男は《暗殺者》とされる分類の人間だ。
その何処までも常闇のような暗い瞳、息を吐く様に溢れ出る殺気、消しても消せない血の香り。それは何度も出会った事があるからこそ理解できる。
それも身のこなしから、かなりの手練れ。
気が付いていた。男の正体に気が付いていたからこそ、アドニスと言う男が、モルスと言う少女の側に居る事を危険視したのだ。それは確信と言っても良い。
そんな男が、命令で人を殺すのが職業の男が、たった今自分の役柄と正反対の言葉を口にしたのだ。驚かない筈がない。
困惑の色を湛えた金色の少年の視線にアドニスは目を細めた。
「お前は自分の足で調べ上げて、何と敵対し何を倒すべきか、自分なりに判断するのが、まずやるべき事だ。人になんでも問いかけて答えを貰うんじゃない」
小さく首を傾げて心底飽き飽きしたように、彼は心から嘲笑するがごとく「ニヤリ」そう、笑う。ただ、その表情も僅かな出来事。
瞬きをしている間に、アドニスと言う男の表情は無へと変貌する。
足の上に肘を置き、手を組むと口を隠す様に前かがみに。鋭い黒い殺気のこもった眼を送りながら、彼は最後の言葉を口にするのだ。
「だから、お前がエルシューに会う様な事があったら言っておけ。――俺はお前に付き合う気は無い……とな」
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