殺し屋・埃崎のハッスルな半日

夢月七海

殺し屋・埃崎のハッスルな半日


「おう。埃崎。お前にピッタリの仕事があるんだ」


 東京のある地下街、一番奥の一番端にある映画関連グッズ店「ムービーショップナカゴシ」。棚の中は隙間なくフィギュアが並び、壁の全てが映画ポスターで埋まっているその狭い店に入ってきた俺を、カウンターの内側に座った男が、にやにやと笑いながら出迎えた。

 一見、普通の専門店に見えるここは、店長である中越が依頼人と裏社会の住民の仲介役として、仕事も情報も武器も、何でも売る店だった。


「随分機嫌がいいな。相当な上玉が入ったのか?」

「まあな。とりあえず、前情報だけでも見てくれ」


 俺が茶化すようなことを言ってみても、中越の笑いは止まらない。付き合いはそれなりだが、こんなに上機嫌なこいつの姿を見るのは初めてだ。

 カウンターの上に置かれたファイルを開く。そこには、ターゲットの個人情報や報酬が書かれているのだが、まず、その顔写真を見て驚いた。


「こいつ、確か、テレビにも出ていた……」

「そう。ボディビルのチャンピオン。プレジデントMマッスル


 頬杖をついた中越がヘラヘラしながらそう返す。いつもの眠そうに下がった目尻のそばについたピアスも、ギラギラ光っていた。

 俗世から離れた俺でも、彗星のごとく現れて、日本チャンピオンになったボディビルダーのことは知っている。最近ではメディア露出も増え、プレジデントMとあだ名でもてはやされていた。


「そんな有名人が、なんで命狙われてんだ?」

「単純な話さ。ドーピングがすっぱ抜かれたから、週刊誌に掲載される前に、消そうということになった」

「世知辛いな、どこもかしこも」


 それで殺されるとは、命を何だと思っているんだ。まあ、そういう軽率な奴のお陰で、俺もおまんまが食えているんだが。

 ただ、俺が思っているのとは反対に、それも仕方ないと言いたげに中越は頷いた。


「プレジデントMが打っている薬は、国内どころか海外でも禁止されているシロモノでな、そいつの流通がバレれば、芸能界も裏社会も、泡吹いてぶっ倒れるやつばっかだ。プレジデントMの人気や羽振りの良さを考えると、消すのはもったいないが、背に腹は代えれないということになった」

「そんなにヤバい薬なのか」

「ヤバいヤバい。一日に二回打ったら、心臓が止まるくらい」


 そんなもん売るなよと、顔を顰めてしまう。俺も体力勝負の仕事をしているので、トレーニングは日常的にしているが、そこまで筋肉が欲しいとは思えない。人間の見栄も、ここまでくれば立派な病気だ。

 それにしても、今日の中越はなんでも話す。いつもならば、必要な情報は小出しにして、金もしっかり取っていくのだが、聞いてもいないことまで言い出す。何か裏があるなと疑っていると、本人が教えてくれた。


「ドーピング薬のルートも断つようにと、こっちに依頼が来てるもんでね。これが上手く行けば、俺はもウハウハよ」


 金の雨が降ってくるかのように、中越は両手を広げて天井を仰ぐ。この様子だと、こいつのポケットに入ってくるのは、億オーバーか……。まあ、こちらもその恩恵に預かっているのだから、文句は言わない。


「んで? 殺り方の注文は?」

「プレジデントMの自宅の設計図とセキュリティ突破方法は把握している。ならば、寝ている隙が一番だな。ただ、薬品は使わないでくれ」

「最初に司法解剖されるのを避けるためか」

「一目で死んでいると分かるのなら、方法はむしろ派手な方がいい。とは言え、銃は目立ちすぎるか」

「なら、プレジデントMの家にある刃物を使った方が手っ取り早い。こっちの安全は保障してくれるか?」

「当然。プレジデントMの急死の混乱の裏で、薬のルートを消していく。いずれ、ドーピングがバレてしまうだろうが、時間稼ぎは十分できるだろうからな」


 自信満々で、中越は言い切る。どうやってそのルーツを消すのか、すでに計画は立てているのだろう。嫌味なくらいに、有能な奴だ。

 あとは、プレジデントM宅の間取りとそこへの侵入ルートを買って、決行の日を決めてから、俺はこの店を後にした。






   △






 プレジデントMの自宅は、都内の高級住宅街の一角に佇む豪邸だった。二階建てで、大きな庭も付いており、高い塀に囲まれている。中で何が起きても、近所の人は気付かないような、お誂えの家だ。

 まず、駐車場に侵入し、そこの木に登ってプレジデントMの庭へ降りる。監視カメラに映らないように庭を横断、セキュリティ装置も格子が付いていない風呂場の窓から、楽に侵入した。


 ターゲットは一人暮らしで、ペットも飼っていないことは調査済みだ。今日一日、人の出入りもない。当の本人は、自室で就寝している。意外と神経質なのか、寝る間に睡眠薬を服用していた。

 だから、俺が何をしようと、相手は起きてこないだろう。大胆な気持ちになったので、自分が足を踏み入れる部屋の電気は、手袋をした手で点けていった。


 まずはダイニングキッチンへ行く。別の部屋と同じく、こちらも清潔に保たれている。テレビなどで本人が話していたのが本当ならば、自分でも料理をしているはずなのだが。

 少し不安になったが、流し台の下を開けると、包丁が収まっているのを見つけて安堵した。ついでに冷蔵庫を開けてみると、鶏肉がほとんで、酒の類は見当たらない。ドーピングしているとはいえ、ボディメイクへの熱心さは本物らしい。


 一本の包丁を手に、プレジデントMの自室の扉の外側に立つ。ここまで、困難なことなど何もなし。楽な仕事だったなと思いつつ、ドアノブに手を掛ける。

 その瞬間だった。ドスドスと、何かが右側から何かが走ってくる音がしたのは。咄嗟に、持っていた包丁ごと、そちらへ体を向ける。しかし、それが何なのかを把握する前に、俺の体は後方へと吹っ飛んだ。


 室内にいるのに、ダンプカーがぶつかって来たのかと、一瞬思った。体が何回転もしながらも、何とか受け身を取って、前方を見据える。

 俺がいた場所に、ラグビーのタックルのポーズで佇んでいたのは、プレジデントMを二回りもデカくしたような男だった。俺が構えていた包丁は、彼の二の腕に刺さっていたが、浅すぎたため、あっさりと抜かれてしまった上に、出血も殆ど無い。


 ボディガードがいるなんて、聞いてねぇぞ!

 頭の中でそう叫ぶと、「だって、確認しなかったじゃないか」と、想像上の中越が言い返してきた。……今、中越を怒っても仕方がない。俺は、じっと奴と対峙する。


 ゲームの中から飛び出してきたんじゃないかと思えるほどに、現実離れした筋骨隆々の男は、向かい合っても、国籍が分からない姿をしていた。肌の色は欧米人ぽいが、顔つきは日本人で、日系じゃないかと思える。

 武器が盗られてしまったが、ボディガードは、包丁を横に放り投げる。この体があれば十分だと言わんばかりに、再びこちらへタックルして来た。


 俺は、すぐに右側へ走る。そこの廊下を抜ければ、台所だ。今回、武器を現地調達するため、手元には何もない。抵抗力を得るのならば、そこへ向かうしかない。

 人間とは思えないほど重い足音を響かせて、ダイニングへ入った俺を、ボディガードが追ってくる。まずは、別の包丁があった流し台の下へ……と思ったが、自分の真下に、何か影が落ちた。


 ガン。自分の頭部に、それが当たる。痛い。前方に倒れ込む。

 同時に、当たったそれの中身がぶちまけられた。酷い匂いがする。どうやら、ボディガードが投げたのは、ゴミ箱だったらしい。


 鳥の骨やら、焼き鳥の竹串やらのゴミの上で、立ち上がろうとする俺の首を、背後からボディガードが掴んで持ち上げた。片手の握力だけで、容赦なく締め上げてくるので、意識が飛びそうだ。

 しかし、壁際で追いつめてから締め上げない辺り、こいつも詰めが甘い。俺は、両足を振り子のように降り、その反動で、ボディーガードの親指とそれ以外の指の隙間から、抜け出した。


 地面に立つ、と同時に、半回転して蹴りを入れる。脇腹を狙ったのに、そこは鉄板のように硬く、ダメージなんて期待できないほどだった。

 だが、ボディガードは確実に頭に血が登っている。俺の足を掴むと、今度は左側へと投げつけた。


 壁際に置かれたウォーターサーバーとぶつかる。水のタンクの中身がぶちまけられて、大理石がびしょびしょになる。

 こちらはもう満身創痍だ。骨が折れていないのが不思議なくらい……いや、アドレナリンが出ているだけで、実際はアバラにひびが入っているかもしれないが。


 ともかく、そんな状態で立ち上がろうとするので、濡れている床で尻もちをついた。もう、立ち上がる気力もなく、床の上に転がる。

 これを見たボディガードが、せせら笑う声がした。勝ちを確信したのか、ゆっくりとこちらへ向かってくる。


 俺は、天井を見ながら、相手の歩数を数える。……奴の歩幅ならば、この一歩だ。

 床と接触した背中を支点に、伸ばした両足を薙ぎ払う。思った通り、ボディーガードの片足に、自分の両足が当たる感触がした。


 濡れたままの床も相まって、俺の頭の方へと、大きく倒れ込んでくるボディガード。その顔面に向かって、右手の拳を突き出す。……人差し指と中指の隙間に、袖口に隠していた、ゴミの竹串を差し込んで。

 プチン。それこそ、串でラップを突き刺したような感覚が、手に伝わった。


「~~~~~~~~ッ!」


 どれだけ筋肉をつけようとも、目玉までは鍛えられない。ボディガードは左目から竹串が抜けても、その痛みに耐えかねて、この辺りをのたうち回っていた。

 背中がびしょびしょの俺は、その不快感と全身の痛みとに顔を顰めながら、立ち上がる。辛勝したのに、爽快感などまるでない。この仕事なんて、往々おうおうにしてこんなことばかりだ。


 俺が再びプレジデントMの部屋に向かおうとすると、背後が突如静かになった。

 振り返ると、ボディガードが俯せに倒れている。痛みのあまり気絶したのか、ショック死したのかは分からないし、確かめるつもりもない。


 ……流石に、他のボディガードはいないだろう。そう思うが、一応警戒は怠らず、途中で包丁を拾ってから、プレジデントMの自室のドアノブに手を掛ける。

 さっきは、この瞬間、楽な仕事だったなと思ったら襲われた。そんなことは起こらずに、今度こそ、ドアを開けることが出来た。


 無駄だと思えるほどに広い室内、左側の壁に設置されたキングベッドの上で、プレジデントMはすやすや眠っていた。廊下から漏れ出る光で、室外での大立ち回りなど気付いていなさそうな、その寝顔を見下ろす。

 プレジデントMも、あのボディガードほどではないが、立派な筋肉を持っている。普通に刺し殺せばいいと思っていたのだが、硬い肉を切るように、難航する作業になるかもしれない。


 すると、沸騰し始めた鍋のように、怒りがふつふつと少しずつ沸いてきた。全身ボロボロになって、さらに余計な体力を取られるなんて。今回の報酬を考えると、割に合わない。

 逆に、中越の方は、濡れ手に粟の状態だ。仲介人と実行者の関係はそういうものだと割り切っているのだが、今夜ばかりは腹に据えかねた。


 何か、もっと楽な殺り方があるんじゃないのか。ふと、すぐ横の小さなチェストが目に入った。

 ペンライトを咥えてから、その引き出しを開けてみる。予想通り、一段目には注射器と、中に液体の入った小瓶が収まっていた。






   △






「やりやがったな、馬鹿野郎め」


 店に入るなり、カウンターの内側の中越は目を吊り上げて、そう言い切った。

 俺は、何の話かなと言いたげに肩を竦めたかったが、治療済みのアバラがまだ痛み、そのポーズも取れなかった。精一杯、きょとんとした顔を作ると、中越はカウンターの上にある小型のブラウン管テレビを指差した。


『プレジデントM、自宅で不審死』


 テレビから音声が流れていなくとも、そのニュース番組が今朝判明したプレジデントMの死を知らせるものだということは、テロップから読み取れた。

 俺が投与したドーピング薬により、プレジデントMは死亡した。死体の第一発見者は彼のマネージャーで、唐突過ぎる死に謎が多いと言われている。


「こちらの協力者がプレジデントMの刺殺されているのを確認。警察に届ける前に、薬を処分する。その筋書き通りのはずなのに、なんだこの体たらくは」

「しょうがなかったんだよ。ボディガードがいたんだから」


 そう言って睨むと、中越は気まずそうに目を逸らした。


「……ボディガードの存在は、こちらも知らなかった。恐らく、周囲のきな臭さを嗅ぎ取ったプレジデントMが、独自に雇ったんだろうな」

「……」


 念を押して確認するまでもない。こいつは本当のことを言っている。

 中越は、卑劣な手を平然と使うが、自分の損になる嘘はつかない男だ。この場合、ボディガードの情報を俺に売ってから、注意深く仕事をさせた方がこいつが得する――そう考えて、自分がとんでもないことをしでかしてしまったのではないかと薄ら寒くなってきた。


「そういや、そのボディガードの情報がどのニュースにも出て来ていないけど」

「第一派遣者が到着する前に、とんづらしたみたいだな。お前、あいつと争った痕跡は消したか?」

「ある程度は」

「こいつも同じことをしたらしい。まあ、流石に帰りは急いでいて、外の監視カメラに映っていたが。どこの誰かは、すでに分かっている」

「流石だな」


 そう言ってみたが、感心した訳じゃない。やっぱりお前は恐ろしい奴だ、そんな気持ちを込めた。

 ただ、このボディガード以上に、中越に追い詰めらてれるのは自分だと分かっている。判決を待つ容疑者のような気分の俺を、中越は睨みつけた。


「今回の報酬は出す。ただし、ボディガードとやりあった追加分と、そのアバラの治療費は、一切出ないからな」

「分かっている」


 それだけの処分でいいのかと、体から力が抜けそうになった。

 一方、中越は深い溜息を吐きながら、座っていた椅子の上で半回転する。今までカウンターの死角で見えていなかったが、片手はずっとスマホを操作していた。


「こっちはもう大変だ。予定が全部狂ったからな、誰をどこに動かして、事を収めるのか、プランの練り直し中だ」

「そ、そうか」

「他人事みたいに言うな。お前も、損害分、タダ働きしてもらうからな」

「ああ」


 頷きつつも、それだけでは終わらないような気がした。この一件で、中越からすると俺は、勘違いのまま勝手に動くという印象が付き、割りのいい仕事は回りにくくなるだろう。

 それはもう仕方ない。この先のことは、未来の俺に任せよう。

























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