第3話
「フィランお嬢様は本当に塞ぎ込んでしまったみたい」
「仕方がないわ。だって今年のハラカイニャの数がアレだもの」
「いよいよ本気で落ち込んでしまったのね」
アストラル家の台所では今日も今日とて、使用人達の中でも一等噂好きの三人の女中が集まっていた。
収穫されたばかりのオロイシの花びらを潰して絞り、オロイシの種からは油を抽出し、残った茎の筋を取りながら、三人は作業台に肩を並べてぺちゃくちゃと喋っている。
「他人事みたい言ってる場合じゃないのよ。このままじゃお嬢様は本当に『サルメ』に行かないかもしれないわ」
「行きたくないなら行かなければいいじゃない」
「バカ言わないでよ。サルメに行かなければ、あの方はどこにいることになるの? この屋敷よ」
「ああー」
「それに、アストラル家の跡継ぎがサルメに行かないなんて……ゆくゆくはお取り潰しにされてしまうかもしれないわ。ただでさえハラカイニャのあの数。もしもこのまま忘れ去られれば……この土地は……」
「おおお、こわいこわい……恐ァーーーーい!!!」
苦笑いを浮かべながら、瓶を取ろうと振り返るなりそこに真っ白な影が立っていたのでひとりは悲鳴をあげて飛び上がった。
「気配を消して立つのはおやめなさいって言ってるでしょう!」
「そんなつもりはありませんが」
そこにいたのは”蜘蛛”だった。
屋敷に来て二月ほど経ち、まだまだ痩せてこそいるがかなり見違えた姿になっている。綿埃みたいだった白銀の髪は櫛で梳かされカーテンのようにゆらゆらしていて、血色の良くなってきた顔は肌荒れもだいぶ治っていた。
ひょろりと背に似合う手と足はすらりと細くて長く、”蜘蛛”は蜘蛛というよりナナフシのような出で立ちである。
「殻剥きが終わったので」
「え? もう?」
「だいぶ慣れてきました」
ズイと差し出されたザルの中にあるクラベリルナッツを確認し、ひとりが目を丸める。
「あの人はどこにいますか」
「お嬢様? 今日もお部屋に引きこもってらっしゃるわよ。ハラカイニャの数を知って塞ぎ込んでしまったの」
「まるでクイニーにいらっしゃるんじゃないかってくらい屋敷は静かよ」
「サルメに行こうが行くまいがこのまま静かなら構わないかも、なァんて」
「はあ……」
口々に喋る女中達の言葉に耳を傾けるも、蜘蛛はなんとも曖昧な音しか漏らさなかった。
「ナッツをありがとう。もう自由にしてて良いわよ」
「何か手伝います」
「いえいいわ。私達だけでのんびりやるから」
「手伝います」
気ままにお喋りをしたかった三人は、譲らない蜘蛛に対し笑顔で「あら~そう~?」と努めて有難がった声を出して、茎の筋取りの作業を教えることにした。
先程までぺちゃくちゃお喋りをしていた三人も、混ざり込んだ異物のせいですっかり沈黙してしまう。しかし喋ることが大好きな彼女たちは、今にも話したそうにすぐにウズウズしているようだった。
順調に作業が進んでいく中、沈黙を破ったのは意外にも、普段ほとんど必要なことしか喋らない蜘蛛だった。
「その……ハラ……ハラペーニョ? みたいなのがなんとかって、なんなのですか?」
「ハラペーニョ? 何それ」
「ハラカイニャのこと?」
「知らないの? アイタッ」
蜘蛛が口を開いた途端、三人はほぼ一斉に喋りだした。
信じられないものを見るような目をしたおさげ頭の女中の尻を、ポニーテールの女中がパシンと叩く。
「仕方ないわよ、この子は学が無いんだもの」
「気にしないで。私達だってここにお仕えしてなきゃ詳しくは知らなかった」
「でも耳にしたことくらいはあったはずよ、アイタッ」
おさげ頭のお尻を今度はオカッパ頭の女中が引っ叩いた。
「ハラカイニャはシズェーチャが始まる前に贈り物を送り合う文化のことよ。といっても基本的に貴族文化だけどね」
「まずは下の地位のものがその土地で一年かけて作った名産品やなんかを贈る。そしてそのお返しに上の地位のものが調度品なんかを贈るってわけ」
「お嬢様も毎年たくさん御学友から色んな名産品を頂いてた。なのに今年は……」
彼女らは口々に言い、最後には口にすらできないとばかりな大げさな表情を演出しながら揃って、人差し指と親指の隙間がほとんどない「ちょっぴり」といったジェスチャーをしてみせた。
「きっと皆、アストラル家よりハビ家のほうに乗り換えたのね」
「全く現金な連中よ。お嬢様だって気にすることないのよねぇ」
「仮初の友情は貴族社会の闇ね。その点では本当にお可哀そうなものよ」
女中達はもはや蜘蛛に話すでもなく、また三人できゃいきゃいと喋りだしている。
「なるほど……お歳暮みたいなものか……」
「「「オセーボ?」」」
ぽつりと合点がいったように蜘蛛がつぶやいたその謎の言葉に、三人は食いつく。 しかし蜘蛛はすぐに話題を切り替えた。
「クイニーとかサルメは?」
「あんた本当に何も知らないのねぇ」
「仕方ないわよ。庶民にだって遠い天の国みたいな場所だもの」
「まあ、学校よ。学校」
「学校」と蜘蛛は繰り返した。
「あんたと出逢った日に、お嬢様はクイニーをご卒業されたのよ。そして次は順調に行けばサルメってわけ」
「それは別の学校なんですか?」
「そりゃそうよ! いつまで経ってもクイニーにいるわけないじゃない!」
三人はあはははと笑った。蜘蛛は何故笑うのか分からなかったが、どうやらとんでもなくおかしな事だったらしい。
「私達のような一般市民にはよく分からない世界だけど……サルメはクイニーとは全く違うわ。誰ももう子どもではいられない。学ぶことも、競うことも、今までとは比べ物にならないほど熾烈になる。だから皆、それに備えてクイニーから切磋琢磨するのよ」
「だのにお嬢様ったら……クイニー最後の日にあんな事になって……そりゃサルメにも行くのだって気も重くなるわよねぇ」
「そもそもサルメまであと
「ご主人さまがお許しになるもんですか。あ、その筋取りが終わったらこっちの花絞りを手伝ってくれる? もう手がヒリヒリよ」
すっかり三人で喋りだした女中達の中で、蜘蛛だけは考え込むように黙々と花びらの入った布をぎゅうぎゅうと絞っている。
桃色の汁がぽた、ぽた、と瓶の中に落下してゆく。ぽた、ぽた、ぽた。
「だめだめ、もっと力を入れないと。ほらこうよ!」
「無茶言わないの。こんなひょろひょろでどこにそんな力があるっていうのよ」
「そうよ、ごめんなさいねぇ、手伝ってくれてありがとう、もう十分よ」
勢いよく絞ってぶしゃーっと桃色の汁を出したおさげ、そのお尻をまたペシンと叩くポニーテール、苦笑いを浮かべているオカッパ。
これはもう明らかに追い出されているな、と蜘蛛はもうその場に用もなかったので台所を去ることにした。
◆◆◆
「開いてるわ」
数度扉がノックされる音が続き、フィランは煩わしそうにそうに返事をした。しかし私室の扉が開かれる気配はない。
またコンコンと音が鳴る。その音が扉からではなく窓から聞こえてくると気づき、フィランは本の上で踊る文字から視線をやっとこさ外した。そして。
「ギャ!!」
と悲鳴をあげる。窓の外に亡霊……もとい”蜘蛛”が立っていたからだ。
美しく咲く薔薇の生け垣に彩られた窓枠の中心に、真っ白な人影があれば驚きもする。
フィランはそれが、ニヶ月ほど前に自分が拾ってきたものだと思い出すと、目尻を吊り上げて窓辺に寄り、叫んだ。
「驚かせないで!! 悪霊かと思ったわ!!」
「――……――……」
「は? 何?」
窓越しに何か喋っているようだが籠もった音しか聞こえない。フィランが訝しげな顔をするのを見て、開けてくれ、というようなジェスチャーを蜘蛛が繰り返している。薔薇の茎を掻き分けようとして、棘が刺さったのか蜘蛛が何度か息を呑む。
フィランはあからさまに面倒そうな顔で舌打ちをし、窓の鍵を解除して窓を上へと押し上げた。
「良いお日和ですね」
「バカじゃないの!!!」
そんな呑気な一言を聞く為に読書を中断させられたのかとフィランはギャンと喚いた。
「そんなことを話すためにアタシの読書を邪魔したっていうワケ!?」
「あ、いえ。話のとっかかりとして言っただけですね」
「いらないわよとっかかりなんて! 言いたいことがあるならさっさと言って出ていきなさい!!」
「えっ」
フィランは吐き捨て、窓は開けっ放しのまま勉強机へと戻ってゆく。
あまり表情の変わらなない蜘蛛は、しかしやや狼狽えた様子で窓から部屋を覗き込んだ。
「で、出ていきません」
「あそう」
存外、フィランはあっさり言った。彼女はもう本へと視線を落としている。
「あの……」
「煩わしいわね! まだいたいなら好きにしなさいよ! 好きな時に出ていったらいい。いるのも去るのも金がいるのなら、家令に言いなさい。伝えておくから、テキトーに」
シッシッと手で追い払うような仕草を食らった。
この時、蜘蛛は自分が全くもって期待されていないと知った。
なんとなく分かっていた事であるが、この令嬢にとって誰かを助けるなんてことは金を使えば簡単にできてしまう事で、なんの期待も誇りもない。恩着せがましくなく、それどころか興味だって無い。
「走り込みをしてます」
「…………」
フィランは返事をしない。くだらない話に付き合うつもりはないとでもいうように、冷たい表情で紙面に並ぶ文字に視線を滑らせている。
「必ず役に立つまでに回復します。ご恩は忘れませんので」
「…………」
「失礼します」
そよ風に乗って、駆ける足音が遠のいてゆくのをフィランは暫く聞いており、その音が完全に聞こえなくなってから、気まぐれに顔をあげる。
誰もいなくなった薔薇の生け垣の向こうには、春を迎えて青々と輝く屋敷の庭園が見えた。
「顔色、良くなってた」
ポツリと呟き、フィランはそんな自分にハンと鼻を鳴らした。
「これで天国行きは確定ね」
そうぼやきはするものの、全く期待などないような卑屈な笑顔で、フィランは読んでいた本を床にボトンと落とすのだった。
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