第8話・手がかり3

 そこは暗くて狭い空間だった。

 人ひとりがやっと通れる狭い通路を抜けた先に、例の現場があった。大人が四、五人いるだけで圧迫感を感じるような小さな場所だ。汚れて読めなくなったビラやタバコの吸い殻があちこちに捨てられている。壁には黒いスプレーで謎の落書きがされていた。どこにでもある空き地、といった印象だ。

 時刻は午後六時十四分。連続行方不明事件――否、誘拐事件の起きる時間より早い。外はまだほんのりと明るく、細い通路の向こうからは、がやがやと人々が通り過ぎる騒がしい音が聞こえていた。


「特別、おかしなところはなさそうだな」


 ぐるりと周囲を見回した陽太が言った。話しかけたつもりだったが、相手は無言のまま。言葉は陽太の独り言のように空気に溶けていく。


「……」


 相手――ミサは陽太を見もしない。

 鏡夜の店を出てからずっとこの調子だ。ミサは一言も発することなく、ただ黙って陽太についてくるだけ。話しかけたところで振り向きもしない。

 ミサは入口から動かず、陽太から少し離れたところで現場を見ていた。まるで人形だ。メイド服から着替えた全身黒のワンピースが余計にそう思わせる。

 ミサの周りだけ、空気がひんやりとしているように感じられた。彼女の持つ不思議な雰囲気がそう思わせるのか、陽太にはわからない。ただ一ついえるのは、おそらくミサが今見ているものは、陽太には見えない何かだということ。


「夏目鏡夜は、君には魔法の痕跡が見えると言っていたが」

「……」

「君も魔法使いなのか?」

「……ミサは魔法使いではありません」


 やっと返事が返ってきた。ミサはようやく陽太を視界に入れると、無表情にそう答えた。


「痕跡というのは、魔法使いでなければ見えないというわけではないのか?」

「魔法使いにしか見えません。ですが、ミサには見えます」

「それは、なぜだ?」

「……」


 答えない。

 疑問には答えるが、深く聞こうとすると途端に無口に戻ってしまう。これでは会話が続かない。鏡夜は毎日どうやってコミュニケーションをとっているのか不思議に思う。

 しかし、今はそれを考えている時間ではない。陽太はここにミサとおしゃべりしに来たわけではないのだ。

 改めて、薄暗い空間を見た。やはりこれといって特徴的なものは何もない。陽太の目には。


「君には何が見える?」


 現場の入口に立つミサに問う。ミサはゆっくりと首を動かして答えた。


「複数の魔法の痕跡があります。満島楓様を閉じ込めた魔法と、記憶を奪った魔法、両方の痕跡かと思われます」

「すごいな。そんなことまでわかるのか」

「いいえ。痕跡だけで魔法の種類まで特定できることは稀です。鏡夜様が、ここにあるだろうとおっしゃっていたので、そうかと思い口にしただけです」


 ミサが機械的に答える。

 まるでコンピューターと会話しているような気分だ。十代ならもう少し感情を表に出してもよさそうなものだが、と陽太は思う。もし妹なら、魔法と聞いて目をキラキラさせながらこちらを質問攻めにしそうなものだ。生きていたら、ちょうどミサと同じくらいか……。


「……とにかく。ここで魔法が使われたことは確かなようだな。あとはどうやって犯人に辿り着くかだが」

「朝倉様」


 陽太の言葉を遮るように、ミサがこちらへ早足で向かってきた。


「どうした、何かあったのか」

「失礼いたします」


 返事するより早く、世界が逆転した。

 ミサが陽太を担いで飛び上がったと気付いたのは、激しい音と光が地面に広がったあとだった。着地したミサが、光の発したほうを向く。先ほどまで立っていた地面から白い煙が上がっていた。


「何が起こっている」


 ミサに担がれたまま動けない陽太が言う。まだ視界は上下が反転していて、光と音の正体もつかめない。


「ここで何してる!」


 細い路地から鋭い声がした。ミサがそちらを向くと、陽太にもかろうじて声の主が見えた。

 赤いキャップをかぶった小柄な男が陽太たちを睨んでいた。その背後にもう一人、痩せた細長い男が立っている。キャップの男の手のひらには、火花のようなものがチカチカと光っていた。

 おそらく魔法だ。先ほどの光はキャップの男の攻撃だったのか――理解した陽太を、ミサが雑に地面に下ろした。ミサと二人の男との睨み合いになる。


「お前ら、警察じゃねぇな。魔法使いか。ここになんの用だ」

「貴方の質問にお答えする義務はございません」

「……ふざけやがって!」


 すまし顔のミサに、キャップ男が手のひらを向ける。バチッ、と電気が走ったような音がしたかと思うと、ミサの足元に光が現れた。ミサがすぐさま後方に飛ぶと同時に光が激しく点滅する。地面にいくつもの小さな穴があき、白い煙を上げた。


「用がないならとっとと出ていけ。ここは遊びで来るような場所じゃない」


 痩せた男が言う。とげとげしい声に陽太が立ち上がった。


「こちらも遊びで来ているわけじゃない。あんたたちこそ何者だ」

「そっちのお嬢さんも言っただろう。答える義務はない」

「ここを調べられると困るんだろ? あんたたちの態度でわかる。行方不明事件の関係者だな」


 痩せた男の眉がピクリと動いた。当たりだ。そもそも出会い頭に攻撃してくるなど、後ろめたいことがあると自ら言っているのと同じだ。


「……おい、どうする」


 痩せた男がキャップ男に聞く。キャップの男は苛立ちを隠そうともせず、再び陽太たちへ手のひらを向けた。


「決まってる。こいつら痛めつけて、あとはいつも通り記憶を消しちまえばいいさ!」

「……ミサ、やはり間違いない。こいつらが――」

「満島楓様のおっしゃっていた犯人、ですね」


 ミサが落ちていた鉄パイプを拾う。互いに構えると、先に動き出したのはキャップ男のほうだった。

 ミサの頭上に雷が現れる。今まさに落ちるというところで、ミサの体は動物のように直感的に動いた。瞬時に左へ体を動かし回避する。トン、と足が地面についたと同時に雷が地面を深くえぐった。眩しい光と、遅れて音。陽太は思わず目を覆った。先ほどまでの脅しの光とは違う。当たっていれば人間の頭部くらい簡単に壊せる威力だ。

 ミサが四つん這いの状態から顔を上げる。キャップ男が再び光を走らせた。ミサは鉄パイプを器用に回し、顔色ひとつ変えずそれを弾く。驚いたキャップ男が後ずさろうとしたとき、ミサはすぐさま鉄パイプをナイフのように持ち直して男の腹部を狙う。

 が、前方に飛び込んだとき、視界の端から本物のナイフがミサを狙った。当たる直前に体勢を変えたミサの毛先をナイフが通る。もう一人の痩せた男だ。彼が突如ナイフを空中に出現させ、ミサの攻撃を防いだ。

 陽太は動くこともできず唾をのんだ。ミサを助けたいが、魔法を使えず対処もできない自分では足手まといだ。必然的に彼女に二対一を強いてしまうことになる。

 それでもミサは無表情のまま、変わることなく二人の男を視界にとらえていた。


「本当にこいつ、魔法使いか? 何もしてこねぇぞ」


 キャップ男が舌打ちする。痩せた男は再びどこからともなくナイフを取り出して言った。


「魔力は感じる。何か隠しているなら、出すまで追い詰めればいい」


 光とナイフが一斉に襲いかかってくる。

 ――ミサではなく、陽太に。


「なっ……」


 失敗した。

 陽太では避けることも防ぐこともできない。飛び退こうにも、足が縫いつけられたように動かない。

 ……殺される?

 咄嗟に浮かんだのは、あの日の赤い記憶。それから、なぜかこんなときに香ってくる、雫師の透明な香り……。


「――ミサ!」


 陽太の両足が地面から浮いた。突き飛ばされた。庇われたと気付いたときには遅く、光とナイフがミサの左腕を貫いていた。雷のような轟音とともに、ミサの片腕が吹き飛ばされ、地面にごろりと転がった。

 全身が心臓になったと思うほどうるさくなる。何か言わなければ。動かなければ。そう思ってミサを見ると、


「なんだあの女!?」


 彼女は獣のように低い姿勢で男たちに突進した。

 片腕のハンデなど意に介さず、ミサは驚いている男たちへ鉄パイプを振り下ろす。


「こいつ、人間じゃな――」


 言いかけた男二人は、ミサの一撃であっけなく気絶した。

 倒れた二人を見下ろすと、ミサは鉄パイプをカラン、と放り投げた。


「お、おい。大丈夫か」


 恐る恐る声をかける。振り返ったミサの腕を見て、陽太はあっと声をあげた。


「問題ありません。腕でしたら修復すれば大丈夫ですので」


 腕が吹き飛んだミサの肩は、まるでマネキンの接合部のような形をしていた。


「君は何者なんだ?」


 陽太の疑問に、今度はあっさり答えが返ってきた。


「ミサは人形。鏡夜様にお仕えする人形ゴーレムです」

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