希求の雫

北瀬多気

スターチスは途絶えない

第1話・頼みごと

 赤。

 オレンジ。

 黄色。

 揺らめき、混ざり合う、激しい色。

 まぶたの裏にこびりついて消えない色が、朝倉陽太あさくらひなたの脳を支配している。


「お疲れ様でした。これ、バイト一同から」


 そう言って手渡されたのは、雑貨屋に売っていそうなしゃれたドライフラワーの花束とメッセージカードだった。赤い花。オレンジのカード。口の中に広がる苦みを無視して、陽太は一礼して受け取った。ロボットのようだ、と勤務中に笑われた真っ直ぐなお辞儀に、バイト仲間たちからくすくすと笑みがこぼれる。そのなかに数人分、陽太を暗い目で見つめる視線があった。


「お前は悪くないよ」


 それに気づいたのか、バイトリーダーの小林が軽く肩を叩く。


「それはみんなわかってる。悪いのは……」

「大丈夫です。慣れているので」


 陽太が言うと、小林は固く結んだ唇から「すまん」とだけこぼした。


「今日までお世話になりました。ありがとうございました」


 陽太は改めて、ロボットのようなお辞儀をして去っていった。


     *


「陽太くん、またバイトクビになったんだってね?」


 居酒屋のカウンター席で、明星悟あけほしさとるがへらりと笑った。唐揚げが来てすぐレモンをかけようとした明星の手を、陽太の手の甲が払う。


「クビじゃない。自分から辞めたんだ」

「クビみたいなもんでしょ。理由が理由なんだから」


 軽く言うと、明星はハイボールを一口飲んだ。お互いまだ二十歳になったばかりだというのに、明星ののみ方は妙にこなれている。長くしなやかな手足のおかげか、着崩したビジネススーツもモデルのようにきまっていた。

 別の席でのんでいる二人組の女性が、意味ありげな視線を明星にぶつけているのがわかって、陽太は嘆息する。高校時代からこのような場面は慣れっこだ。陽太が女性たちに目をやると、今度は怯えた子ウサギのように目を逸らして縮こまった。明星は最初から気づいていたらしく、陽太を見て軽く笑った。


「まるでオレのSPだね、陽太くんは」

「俺が人に怖がられる見た目なことはわかっている。そのせいで他の従業員の業務に支障が出るなら、これも仕方のない結末だ」

「真面目すぎるよ、陽太くん。それでいくつバイトクビになったと思ってんの?」

「別に、俺は真面目じゃない」

「真面目な人はみんなそう言うんだよ。それに、本当はそれだけが理由じゃないくせに」


 取り分けた唐揚げにレモンをかける明星が静かに言った。

 レモン。黄色。あの日の黄色は、もっと濃かった。激しい赤と混ざり合ってゆらゆらと震えていた。陽太は目を閉じて眉間にしわを寄せる。


「……犯人が捕まってないんだ。事件の関係者が疑われるのは、何も不思議なことじゃない」

「面倒くさい人生送ってるねえ、君は」


 終始軽い調子で、明星は唐揚げを一つ頬張った。ある・・事件・・以来、周りの人間から遠巻きにされてきた陽太にとって、明星の軽さは一種の救いでもある。こうして飲みに誘ってくれる気の置けなさに内心感謝しながら、陽太はレモンチューハイを含んだ。


「――で、話は変わるんだけどさ」


 唐揚げを食べながら明星が言う。


「また仕事なくしちゃって、陽太くん今ヒマでしょ? ちょっと相談にのってくんないかなあ」

「相談?」

「そう。正義感の強い陽太くんにぜひお願いしたくてね」


 言うと、明星はポケットからスマホをとりだして陽太に向けた。画面には女性の連絡先が表示されている。


「……満島?」


 満島楓、の文字に陽太の眉間のしわが深くなる。明星と同じ、陽太の高校時代の同級生だ。


「最近この辺で話題の行方不明事件、知ってるでしょ?」

「! まさか」

「大丈夫、満島さんは無事。今はちゃんと家に帰ってきてる」


 焦る陽太に明星が言葉を被せる。が、ひと安心とはいかない。無事、今はちゃんと帰ってきてる……それは一度、行方不明になっている人間に使う言葉だ。しかもこの事件が話題になっている理由は、帰ってきたあとにある。


「やはり……覚えていないのか」

「そうらしいね」


 スマホをポケットに戻す明星がうなずいた。

 X県七星市連続行方不明事件。若い女性が突然行方不明になったかと思うと、わずか数日であっさり見つかるという事件が何度も続いていた。一件目はただの家出ではないかとたいして話題にならなかったが、一ヶ月のうちに三件も同じようなことが起きれば事件扱いにもなる。満島楓の件も含めれば、今月――五月だけで四件だ。

 しかもこの短期間行方不明には、奇妙な共通点がある。それこそが七星市を騒がせている一番の理由だった。


「満島さんも同じ。行方不明になっていた間のことも、その前後も、全く記憶にないらしい」


 被害者の共通点は、事件の記憶が一切ないことと、記憶が戻った者はまだいないこと。それ以外なんの情報もなく、警察は手を焼いているらしい。


「だが、それを俺に相談してどうする? 俺は医者でも警察でもないぞ」

「もちろんわかってるよ。陽太くんにお願いしたいのは、ある人を満島さんに紹介すること」

「ある人?」


 明星が顔を寄せる。とっておきの秘密を口にするように、明星は陽太の耳元でささやいた。


「――雫師しずくし

「は?」


 聞いたことのない単語に、陽太は疑問の声をあげた。明星はにっこり笑って続ける。


「知らない? 七星市のとある場所に、どんな願いも叶えてくれる雫師っていう人がいるんだって。満島さんはその人に会いたいらしい。でも一人で会いに行くのは不安だから、知った顔がいるほうが安心だって」

「それで、俺を?」

「得意でしょ? 睨みきかせるの」


 言って、明星は横目で先ほどの女性二人組を見た。片方の女性と目が合うと愛想よく微笑んでやる。まるでアイドルからファンサービスをもらったようにはしゃぐ女性を見て、陽太は苦い顔をした。明星が陽太に向き直って話を続ける。


「満島さんは記憶を取り戻したいんだよ。得体の知れない事件に巻き込まれて不安になってる。でも警察には無理だし、医者に相談しても駄目だった。藁にも縋る思いで雫師に頼ろうってことになったんだ。協力してあげてよ」

「それは構わない。だが、本当に信じていいのか? その、雫師というやつは」


 どうだろうね、と明星はグラスに手を伸ばす。


「でも、陽太くんも興味ない? どんな願いも叶えてくれるらしいよ」


 もしかすると、君の願いも。

 明星は言わなかったが、陽太にはそんな台詞が浮かんでみえた。

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