第一の鑑定  血の涙を流す少女の肖像 1-5

 御一新から四十年近くが過ぎ、日本の市場には国内外の様々な美術品が出回るようになった。最近では、ただの綺麗な絵を『曰く付きの品だ』と言って法外な値段で売りつけようとする悪徳商人が出てきたという。

 その美術品が本当に『曰く付き』なのか、それとも普通の美術品なのか……。

 真実を見極めるために、甲斐は画家をしている幼馴染に『鑑定』を依頼するようになった。中津川は自ら絵筆を握る西洋画家だが、美術品全般に対して知識が深い。その芸術家としての眼を信頼してのことだ。

 中津川の生きがいはこういった奇妙なものを間近で見ることである。三度の飯より曰く付きの品が好きで、いつも喜んで鑑定を引き受ける。

 もちろん鑑定をするとそれなりの謝礼が支払われる。礼金を払ってもまだ儲けの方が多いらしいので、中津川と甲斐、双方にとって良いことだ。

 困ることは、ただ一つ。

 鑑定の依頼が入ると、中津川は絵筆を放り出して曰く付きの品につきっきりになってしまう。ただでさえ普段から本業を疎かにしがちなのに、ますます画布から遠ざかってしまうのだ。

 最近は中津川自らが『曰くの真贋鑑定士』と名乗り始めた。そのうち本業と副業が入れ替わてしまうのではないかと、一番弟子の雪緒は気を揉むばかりだ。

「あの壺、夜泣きするのも面白いけど、モノ自体もなかなかだね。仏蘭西の貴族が持っていたと言っていたけど、もとは独逸産……マイセンだろう。しかも千七百年代に焼成された、マイセン窯黎明期の作品だ」

 すらすらと壺の抱える背景を述べた中津川に向かって、甲斐は満足そうに頷いた。

「さすがだな一臣。その通りだ。もともとは独逸の王族が持っていて、それが仏蘭西貴族の手に渡り、さらに流れ流れて先月、横濱の居留地に持ち込まれて……」

 中津川と甲斐が例の壺の話で盛り上がっているうちに、雪緒は三人分の番茶を注いだ。

それをまず、客の甲斐に差し出す。

 甲斐は湯呑みを受け取りながら、今日一番の笑顔を浮かべた。

「ありがとう雪緒くん。いつも本当に気が利くね。雪緒くんが女の子なら、俺、真っ先に求婚してるよ」

「え、えぇっ……!」

 爽やかに笑った甲斐の口元から真っ白な歯が覗いた。あまりの眩しさに、うぐぐ……と拳を握りしめながら動揺を押し隠す。

 雪緒は甲斐の前でも『弟子の雪緒少年』を貫いている。

 ちなみに弟子としての雪緒は性別を偽っているが、年齢も実際より三つ若く、十三歳と言ってある。着物や髪型で姿形は何とか誤魔化せても、声だけはどうしようもないので、男子が声変わりしていなくてもおかしくないぎりぎりの年齢にしてあるのだ。幸いにも小柄なので、誰もこの設定を怪しむ様子はない。

 というわけで、甲斐は雪緒の本当の姿を全く知らない。知らないからこそ『求婚』などという言葉を平気で口にするのだろうが、言われた当人は否応なしにドキっとしてしまう。

 何せ、甲斐は婦女子なら誰もが振り返る美丈夫で、雪緒は本当は十六歳の小娘なのだ。男としてふるまうと固く決めていても、時々この圧倒的な爽やかさに、化けの皮を剥ぎ取られそうになる。

「雪緒くん雪緒くん、僕にもお茶をくれないかな」

 甲斐の顔を見つめたまま固まっていると、後ろからちょいちょいと着物の袖が引っ張られた。振り向くとぼさぼさの癖っ毛が目に入ってきて、雪緒は露骨に顔を顰める。

「はいはい。どうぞ!」

 わざと、どんっ、と音を立てて湯呑みを置いてやった。勢いあまって中味がぴょこんと飛び跳ねる。

「おっと、乱暴だな。雪緒くん、師匠にお茶を出すときは丁寧に。敬う心が足りないよ」

「敬ってほしいなら、もう少しちゃんと、ぼくに絵を教えてください!」

「ふむ。教えてほしい……。そんなことを言っているようじゃまだまだだね。芸術の素質があるなら、師匠の姿を黙って見ているだけでも何かを学び取れるものだよ」

「は? いつも昼寝しているか薄気味悪いものばかり愛でているだけの先生を見て、一体何を学べと?!」

「……あの、ちょっといいかな」

 言い合いになりかけた雪緒と中津川の間に割って入るように、横から遠慮がちな声が飛んできた。弟子と師匠の横で、放置された客人が苦笑している。

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