38歳中年陰陽師〜これで結構フィジカル勝負なお仕事です〜

椎楽晶

38歳中年陰陽師〜これで結構フィジカル勝負なお仕事です〜

 俺は今、猛烈に走っている。

 脇には救出対象である5歳児を抱え、辛うじて道っぽくなっている山道を全力で駆け降りる。

 背後からはこの山の元・神さま、現・邪神。

 数百年の時間の流れの中で信仰も薄れ零落し、今では山奥の隠れ集落の少数から腫れ物のように封印されていた存在。

 そして俺が抱えている子供は、今回の生贄に選ばれていたとある大物政治家の隠し子。

 行方不明になってから手を尽くされ探し出された結果『生贄になってます』と判明したのは、10人以上が行方不明の中、半死半生で戻った11人目の探偵がもたらした情報だった。

 ちなみに、戻った探偵がちょっとありえない亡くなり方をしたので『生贄ってもしかして本当?』と思い知ったらしい。

 そうして、話が持ち込まれたのが俺のとこ。

 令和の世になって数はだいぶ減らしたが、正真正銘の陰陽師。38歳独身。

 最初は五体満足で、と言われたが『無理だから他を当たれ』と追い返した。

 数日後に『多少の怪我なら許す!』と、まだ現状を理解出来ていない様に怒鳴り散らすので、一昨日きやがれと門前払い。

 さらに数日後、しょぼくれた顔して『生きてさえいれば何でも良い』と土下座の勢いで頭を下げてきた。

 ようやく理解できたらしい。零落した元・神さま…邪神相手に生贄の奪還なんて命知らずなこと誰も受けやしないと言うことに。

 髪のひと束でも持ち替えれば御の字なんだよ。

 

『生きてさえいるならどうでも構わない』と言質をとり、やってきた某県某市の山奥。

 登山装備の至る所に札だとか呪具だとかを仕込んで、麓の駐車場に車を停めて山を登り始める。

 普通に登山道から山に入り、一般人では見つけられないように隠してある痕跡を見つける。

 きっと探偵たちは勘と経験から見つけたんだろう。だが、陰陽師である俺からすれば一目瞭然だ。一般人には見えないものや感じ取れない痕跡がそこらじゅうに残っている。行方不明の10人の探偵はこの近辺で処理されたのだろう。


 集落に近づくにつれ、物理的な対人用の罠に加え呪術的なものが増えてくる。

 索敵も兼ねてるだろうそれらを避けてコソコソ進み、ようやく集落が見えた。

 行方不明になってから俺がここにくるまでに数ヶ月立っているが、命も無事で五体満足でまだ生きている子供を見つけ、小脇に抱えて後は一目散。

 精神や魂をじわじわ吸い取る系の喰い方するヤツで良かった。有無を言わさず頭からバリバリいくヤツなら、今頃は骨も残っていなかっただろう。

 生贄を持ち出した段階で、邪神的には契約違反なので集落の人間は一瞬でお陀仏。追っ手の数が減っていくらかましになる。

 生贄を求めて自分の領域からズルリと邪神が這い出ると、すごい速さで追ってくる。

 ここからはとにかく、俺と邪神との命懸けの追いかけっこだ。

 幾つにも枝分かれした足、二の腕ぐらいしか長さのない腕。やたらと大きく膨れ上がった頭に、耳まで裂けた大きな口からは牙と二股の舌。

 怨嗟の声が木霊して、頭中にある目の全てが、前方を走る俺に注がれている。

 背中に走る寒気から走る足がもつれそうになる。霊衣で守護した完全装備に、札やら何やらで補強してもなお精神を蝕んでくるガチもんの存在。

 そんな最高にヤバいモノが、デカい頭を左右に揺らししっかり真っ直ぐ向かってくる。

 子供とはいえ5歳児は小脇に抱えて走るには相当重い。意識もないとなればさらに。

 テレビに出れるような華も見栄えもないおっさん陰陽師なので、とにかく現場仕事が中心になる。体力第一主義の現場で動けなくなったら、即死だ。

 そのために筋トレは欠かさず行い、腹筋はバッキバキだ。

 あまり筋肉をつけすぎると逆に重くなって持久力に支障が出るから、必要最低限に。

 でも腹筋はバッキバキだ(2回目。ちょっと自慢)

 それでも辛い。スピードはどうしたって落ちる。

 たまらず尻ポケットから3枚のお札の話にならって、札をぶちまける。

 あの話では桃やら筍やらになって鬼女の気を逸らしたが、これはどちらかといえば爆竹や閃光弾に近い。

 邪神の大量の目が強烈な閃光と爆音にやられたのか、スピードが遅くなる気配を感じる。

 その隙にとにかく走りに走る。


 しばらく走るが、まだまだ麓には着かない。おそらくどこかで空間が歪められ実際の距離よりも引き伸ばされているのだろう。

 背後からの寒気や、枝葉をバキバキと折る音が迫ってくる。

 もう追いついてきた。

 目眩しの札は多少の時間稼ぎにしかならなかった。当然だな。

 今度は立ち止まり、懐からナイフを取り出す。

 意識がなく、ぐったりとした子供の柔らかい髪を剃り落とし胸ポケットに入れていた筒につめて藪に向かってばら撒く。

 簡単な身代わりだ。

 わざと道から外れた藪の中に放ったそれらを追って、邪神が薮も木々も薙ぎ倒す音が後ろから聞こえる。

 ここにきてやっと、詰めていた息をひとつ吐いた。頭の半分が頭皮の見えてしまっている子供を、再び抱えて走り出す。


 まだ見えてこない山の終わりに焦燥感を噛み締めながら、やや速度を緩めて下りていると咆哮とでも言うような声が周囲一体に響き渡る。

 子供の髪を使った目眩しがバレたらしい。

 追いつかれるまで時間の問題だが、俺は子供を下ろし、今度は道の傍にある木に背を預けて座らせる。

 懐のナイフを再び取り出し、頭に添える。

 髪はもう使えない。同じ手は2度も通用しない。

 俺は髪が剃られ頭皮の見えている側の耳を摘むと、そこにナイフの刃先を滑らせた。

 ものは現代のゴツいサバイバルナイフ。持ち歩いてるのがバレたら1発で捕まる刃渡りをしている。

 しかし、神仏の加護をふんだんに込めて鍛えたナイフなので霊刀並みに霊験はあらたかだ。実物よりも何倍も切れ味が鋭い。

 まるで豆腐にナイフを入れたようにゾルリと耳は削ぎ落とされ、痛みにより流石に意識の戻った子供が悲鳴をあげた。

 その口にボディバッグに詰めていたタオルを詰め込み、ついでに耳の止血もする。

 削ぎ落とした耳は、髪をつめたケースの入っていたのとは反対の胸ポケットに入れておいた、ワンサイズ大きいケースに押し込んで、再び藪の中に放る。

 意識が戻ったのか痛みと恐怖で混乱し抵抗する子供を、肩に担いで走り出す。

 生贄の血の匂いと声で、邪神もだいぶ誘われたはずだ。

 少しでも放り投げた耳と距離を離すべく、再びの全力疾走。

 担いだ子供が抵抗するのに辟易しながら、とにかく走る。

 声はかけない。邪神の領域で声を出そうものなら、俺も認識されてしまう。

 暴れる子供に舌打ちも出来ないが、この瞬間の鬱憤晴らしよりも自分の人生の方が大事だ。

 背後に迫ったアイツが、また藪の中を分け入っていくのを音で把握して、それでも速度は緩めず走り続ける。

 後ろに迫る邪神を目の当たりにしたからか、子供は失禁しまた意識を失った。

 おいおいおい…担がれながらしょんべん漏らしてんじゃねぇよ!!


 髪の毛と違って、耳は血肉を伴っている。

 それでもいつまでも効果は続かないだろう。ここいらで最後の手段に出るしかなくなった。

 できれば五体満足で連れて帰るつもりだったが、いつまで走っても見えてこない木々の切れ間や麓の様子に、いよいよマズイことを悟る。


 3枚の札の話になんて例えるんじゃなかったな…。


 あの話は逃げおおせる話だが、結局札は3枚とも使い切っていた。

 子供の意識が戻って抵抗されても面倒なので、準備は今しておこう。

 肩に担いでいた子供を下ろし、うつ伏せに寝かせる。腰のベルトを外して左の太ももにキツめに縛り付ける。

 刃物を守護する神に祈りの言葉を捧げ、ベルトを巻きつけたやや下あたりに目星をつけて滑らせる。

 パンケーキを切り分けるほどの抵抗もなく、さっくりと子供の足が切り落とされた。

 流石に痛みで意識を取り戻した子供は、また失禁するがあまりの痛みに動くこともできすに細かく痙攣だけをしている。

 切り口に火の神の力を込めた呪符を貼り付け、焼いて止血。

 口にタオルを詰められているので声は出せないが、それでも喉の奥で絶叫が響く。顔面から出せる汁を全て出しているので、顔はぐちゃぐちゃだ。

 デイバッグに詰めていたありったけのタオルと包帯を巻き応急手当てを施す。

 切り落とした足には特別な札を、プレゼントのラッピングのようにきっちり貼っていく。

 最後に詰めていた口のタオルを取り出し、自由になった口がまた声を上げるのを防ぐように札を貼る。切り落とした足に貼った札と同じものだ。

 するとピタリと子供の声は消えた。

 悲鳴も喉の奥の泣き声も、恐怖でガタガタと震えていた歯の音も全て。

 


 デイバッグのベルトを切り、背負った子供を縛って落ちないように結び、札まみれにした足を道の真ん中に置いて待つ。

 少し向こうの藪から邪神が飛び出したのが、小枝や砂が舞うので確認できた。生贄の血の匂いに誘われて、また一心不乱に向かってくる。

 一飛びで掴みかかれそうな距離まで近づくが、その手前。置かれた足に気がついてむしゃぶりついたのを確認し、また麓を目指してとにかく走る。

 背後からは、まともに肉のついた足に対してあげた歓喜の雄叫びと、バリ…ニチャ…ピチャと言う咀嚼音が嫌でも耳に届く。

 背負われ走る衝撃によって生まれる痛みで、子供がまた意識を取り戻す。

 しがみつく腕の強さや残った足を必死にばたつかせて、おそらく必死に叫んでもいるのだろう。しかし、口からその声が漏れることはない。

 やっと見えた登山者用の駐車場に、やつの領域から抜け出したことを確認し安堵の息が漏れる。

 駐車場に人目がないのを確認し、乗ってきた車に滑るように近寄り素早く乗り込んだ。

 バンタイプの大型車の後部座席に子供を寝かせ、少々記憶をいじる。

 耳やら足やらは儀式と称して集落の人間に削ぎ落とされたことにしよう。

 一応『生きていれば良い』と約束はしているが、流石に助けに行った俺がやったことだとバレるのはまずい。

 どちらにしろ、この子供はもうに会話も出来なくなってはいるが、何かのきっかけでも事が露見するのは避けたいからな。

 結局、山の中を一晩中走ってたらしい。日が登り始めて辺りが見渡せるほど明るくなってきている。

 人ならざるモノの領域から人の世の領域まで逃げたとはいえ、まだここは近い。場合によっては腕がのばせてしまう距離だ。

 俺は子供が眠っているのを確認し、静かに車を発進させた。



 近くの旅館を貸し切って待機していた家族のもとに元に子供を届ける。

 髪を剃られ、片耳を失い、足を切り落とされた我が子の姿に母親は半狂乱。一緒に待機するように指示していた医師による治療が速やかに行われ、俺はやっと肩の荷が降りた心地だった。

 孫の惨状に娘の父親(子供にとっては祖父)が報告を求めたが、俺自身も子供のしょんべんやら泥やら枝やらでぐちゃぐちゃだったので、2時間ほどの休憩を挟んでもらった。

 思いがけず、初見さんお断りの高級隠れ宿で温泉に浸かれた。役得だな。

 酷使し続けた筋肉が緩やかに解されているのがわかる。やっぱり日本人は湯船に浸かってこそだと実感する。

 できればそのまま寝てしまいたいが、そこまであの老人は待てないだろうし現にめちゃくちゃ急かさた。仕方なしに報告に向かう。

 耳やら足は攫った集落の奴らに儀式として切り落とされ、奴らの信奉する『邪神』に目の前で喰われた、と説明した。

 真実味を出すには、嘘は少なくしたほうが良い。

 逃げるために必要な手段…儀式とも言えなくもないことのために切り落としたわけだし。目の前で足が喰われたのも間違いじゃない。

 老人は集落の人間を殺す!と息巻いていたが、その必要はないと告げる。

 生贄を奪われた時点で死んでるはずだ。

 報告を終えて依頼は終了。

 成功報酬を受け取り、なんなら泊まっていけと言う誘いを断腸の思い出断り帰路に着く。

 ここまで来るのに乗ってきた車は向こうの用意したものなので、通りまで出てタクシーを広い観光客のフリをして最寄駅を指定する。

 あの子供はもうな生活には戻れまい。

 痛みとショックで叫ぶ程度ではあったが、その声も札に吸わせて囮に使い…そして札ごと足は喰われた。2度と声は戻らないし、恐怖から精神の異常が治る見込みは低いだろう。

 何より、あの札の効力はまだ続いている。

 噛み砕かれ飲み込まれても、その効果が消えることはない。

 あの子供と邪神の間には、札を通してより確実にえにしが出来上がってしまった。

 まぁ『生きてさえいれば良い』との依頼なので、そこは違えていないしな。

 最も、心の底から願い泣いて縋ってきた母はともかく、祖父の方は思惑が外れて怒り狂うだろう。

 五体に欠損はあれど、血筋が確かならいくらでも利用できる、と算段を巡らせていた筈だ。

 それが声も出ず、精神の以上も治らず、邪神と繋がったことで今後どんな不運に見舞われるか定かではない状態。

 いずれ孫の状態に気がつき人でも寄越しそうだな。事前に、依頼完遂後の接触はしてはならない、と約定を結んでおいて正解だった。


 それにしても、久しぶりにキツい仕事だった。

 いくら体力勝負の現場型陰陽師とはいえ限界はある。

 いつかはいくら鍛えて備えて腹筋をバキバキにしておいても、追いつかなくなる日も来るだろう。

 

 今からでもイメチェンして、見栄え系陰陽師に転向しようか…。

 

 そう思ってタクシーの窓ガラスに薄く映る自分の顔を見るが、無理かな〜と生え始めた髭をショリっとなぞり苦笑しあきらめた。

 

 やっぱり筋肉だな。あと、心肺機能のもう少し鍛えよう。


 とはいえ、大きな仕事を終えたご褒美に、今日は良い酒を開けて自分を労おう。それくらいはバキバキの腹筋も許してくれるはずだ。

 そっと腹をさすってダラリと背もたれに身を預けて目を閉じた。

 

 

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