第1話 再春 

"黄色の春草野の匂う"飯田橋の交差点。僕は振り返る。人が多すぎてわからない。信号が点滅。僕の足が早足に。立ち止まることなく渡り切った。朝のラッシュ。僕はそのまま駅のホームに。昨日から線路の拡張工事で駅の入り口が移動。乗り継ぎの僕にとっては少し遠くなって不便だ。しかし、新しい駅は嫌いではない。僕は3年前に大学を卒業。しばらく東京を離れていた。長崎の支店でみっちり会社のイロハを学んだ。長崎は魅力的な街で僕は好きだった。思案橋からオランダ坂。レンガ色の石畳み坂の上から見える港。稲佐山。異国情緒の空気感。水色の突き出したベランダのホルムが美しいグラバー邸。線をつなぐと維新の人間の駆け引きの、どくどくしさが重く僕の中に入り込む。苦しいがここもまた僕の好きな場所だ。ここには、時空空間の部屋の一つがある。今昔の時の流れが帯のように柔らかく、すり鉢状の街を包み込む。現実世界だが時空空間との曖昧が交差する街長崎。感じ取る人には送られる境界線からの便りの届く街。2月のランタンフェスティバル。ランタンの赤やピンクの華やかな色の怪しげな光に紛れて僕は受け取ってしまった。ランタン、春の訪れを喜ぶ人々。僕は僕の記憶の"黄色の春草野の匂い”を受け取ってしまった。そして、歯車は動きだした。僕は先週より急に東京本社勤務。東京は久しぶりだ。湯島の梅が満開の東京。あと2週間もすれば3月。僕の好きな桜の季節が来る。神田川の桜。頭の中を桜の花びらを描いた瞬間。"黄色の春草野の匂い"が。”菜”君はどうしているだろうか?長崎の僕の元へ時空空間の便りをよこし。呼んでおいて姿が見えない。気まぐれな”菜”。君は変わらないな。3年との時間が過ぎ、僕はもう学生ではない。社会人だ。気まぐれに夜中にジャージでコンビニに行かない。境界線人の君から見たら人間の3年なんて、君が瞬きをするくらいの短い時間かもしれない。時間の流れが境界線とは違う。いつか”菜”君が言ってたことを思い出す。長崎まで、時空空間を超えてまでの便り。僕に頼みごとがあったんじゃないか。呼び出しておいて姿が無いとは”菜”相変わらず、ほんとうに憎らし、気まぐれだな。早く出てきてくれ。“人間の僕には時間がない。”そして僕は黄色の電車に乗り込む。「次は水道橋。水道橋。」ドームが見える。銀色ドームの上にふわふわ人間の喜び、ワクワクの光の帯が漂っている。幸せな親子連れ。カップルの光だ。もちろん所々にマイナス黒い点も見えるが、おおむねハッピーオーラの幸せな人たちの光でいっぱいだ。僕は少し面白くなかった。僕は今、幸せではないのか?違う。違う。寂しいのか?春は心を惑わすエネルギーをも漂っている。無意識に引きずられそうだ。「いかん。いかん。」僕は僕の中の僕を戻した。心が戻る。「キーっ」電車が急ブレーキ。総武線ではめずらしい。「ガタン。」僕の体が左右に揺れる。満員電車内。僕の背中の低い位置で頭があたる。"黄色の春草野の匂い”がした。僕は振り向きたかったが満員で動けない。「電車動きます。次は秋葉原。」ドアが開く。また”黄色の春草野の匂い”がした気がした。ホームで僕は振り向いた。”菜”はいない。”菜”今君はどこに。まだ境界線の中なのか。






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