1-3 猫のくせにブサイクっすね!

 会議室の風景は消失し、周囲は暗闇に包まれた。

 いや後方だけは明るいようだ。

 俺は左手でコントローラを回転させ、仮想空間の中で体の向きを変えた。


 そこには長閑のどかな村の風景が広がっていた。

 どうやら今いる場所は高台のようだ。

 青々とした樹木に囲まれたその土地は、太陽光を反射してキラキラと光る小川を中心に、いくつかの木造の家屋が点在している。穏やかな風に葉がそよぐ音や、小鳥のさえずりも聞こえている。よく見ると動き回る村人たちの姿も確認できた。川でズボンをまくし上げて遊んでいる子どもたちや、沿道でおしゃべりを楽しんでいる女性たち。重そうな荷車を引いている農夫らしき男もいる。

 ワールドクリエイション機能で「小規模な村」を指定した場合に生成される、典型的なマップのようだ。見たところ平和そうで、ただちに命の危険が迫っているとは思えない。

 

 村の中央付近に目を見やると、黄色い矢印が浮いているのを見つけた。

 次の目的地を示すアイコンだ。

 俺は左手のコントローラを前方に傾け、さっそく移動を開始した。


 不意に落下する感覚があった。シュタッという効果音とともに地上に着地する。

 上を見上げて確認すると、どうやらさっきまでいた場所は樹上の小屋だったようだ。

 あそこが俺の住処なのだろう。

 歩き始めてみると、猫の身長だと視点が低くて遠方が見えづらいことに気づく。

 いっぽう指先の爪を伸ばすことで、垂直に切り立った木の幹でさえ容易に登ることができる。

 猫が高い場所を好むのは、こうゆうことなんだと納得した。

 

 「おや、デオロン様。おはようございます。今日もいい天気ですね」


 老人キャラクターが俺に話しかけてきた。

 頭上にタグが表示されていないので、名無しのNPC(ノンプレイヤーキャラクター)のようだ。

 老人から敬語で話しかけられるということは、俺はそこそこ権威のある猫なのだろう。


 猫は俺以外にも、村のあちこちにいた。

 キジトラ、茶トラ、ミケ、ブチ……雑種ばかりだが種類は様々だ。

 それぞれ自由気ままに散歩したり、屋根の上で丸くなったり、鳥かごの鶏を挑発したりしている。

 もしかしたら、人間の人口よりも猫のほうが多いかもしれない。

 

 いろいろ観察しながら歩いていると、ようやく目的地アイコンの場所へとたどり着いた。

 今まで見たなかではいちばん大きく、作りのしっかりとした家屋だ。

 おそらく村長の家か、役場といったところだろう。

 木製の玄関のドアを爪でガリガリと擦ると、屋内から男の声がした。


「はいはい。ちょっとまってくださいな」


 ドアを開けて俺を出迎えたのは、身なりのしっかりとした老人だった。

 頭上には黄色い文字で「アントン村長」と表示されている。

 この村の代表者ということか。

 最初のクエストの依頼主が村長というのは、RPGではよくあるパタンだ。


「猫神様の守護が弱まってしまった原因は、まだわかってはおりません。幸い村の中はまだ安全ですが……一歩でも村の外に出れば、たちまちモンスターに襲われてしまいます」


 村長はいきなり本題を切り出してきた。

 「猫神」なるものに守られていた村が、なんらかの理由でモンスターに脅かされるようになってしまったらしい。その原因を突き止めるのが最初のクエストということだろうか。


「村の北にある猫神様のほこらの様子を見に行きたいのですが、人間だけでは不安です。どうかこの者に同行していただけないでしょうか」


 村長が視線を横に向けると、その先に少女が立っていることがわかった。小柄で細身の体を黒い装束に包んでいる。クラスは忍者のようだが、忍びには似つかわしくないほどオレンジのツインテールは目立っているし、装束の下からは白い太ももが思いっきり露出している。少しタレ目がちの幼そうな顔には緊張感が無く、およそこれから危険な旅に出ようとしているようには見えない。

 頭上には青い文字で「チーカ」と表示されている。

 ネームタグが青いということは、彼女はNPCではない。生身の人間が演じているアバターだ。

 猫を演じている俺とは違って、彼女のアバターは実際の本人そっくりに作られている。事前に全身を3Dスキャンしたのだろう。ただ、まだゲームの操作に慣れていないらしく、動きが明らかに不自然だ。リヴァティではAIが自動的にスムーズなモーションを生成してくれるのだが、感情表現エモーション機能を使いこなせるようになるまでは、どうしても単調な動きになってしまう。

 チーカは仁王立ちしたままうわずった声で叫んだ。


「もしもしー、聞こえる?」


 いきなり世界観ぶち壊しのセリフだった。ビデオ会議じゃねぇっつうの。

 俺は『老齢の猫らしい口調』ってどんなだろうと想像しながら、なんとか不自然にならないように返事をした。


「聞こえておるわ。猫の聴覚は人間を遥かに上回るのじゃぞ」

 

 俺の声にはボイスチェンジャーがかかっているようで、ヘリウムガスを吸い込んだような、少しピッチの高い声になって響いた。


「おー、猫が喋った! あっしはチーカ。よろしくっす!」


 まるで不良スケバングループの下級生のような口調で喋りながら俺に近づくと、チーカは俺を高い視点から見下ろして無邪気に言い放った。


「うっわー、猫のくせにブサイクっすね! あはは!」


 うっせーわ!

 こうゆう猫種なんだっつうの!

 ――つうても、中身もおっさんなので可愛くはないのだが。


「えーと。しゃがむときはどうすれば……」


 彼女が操作方法に困っている様子なので、俺はしゃーねーなとため息をつくと、通話モードをプライベートに切り替え、「左手のBボタンを押せばしゃがめるからやってみな」と伝えた。プライベートチャットなら視聴者には聞こえないはずだ。


「んーと、こう?」


 突然、俺の視野が暗くなった。

 なんだろうと目をこらすと、なにやら前方に白い大きな布のようなものが見える。

 そうか、彼女は俺の目の前でしゃがんだのか、その結果……


「きゃあ! えっちーっ!」


 チーカは叫び声を上げると、俺の頭上に激しく手刀を叩きつけた。

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