11.横顔
「…さすが天下の白奎さま、ですわぁ」
冊子にひと通り目を通した私は、深い感嘆の息を漏らした。
期待以上の内容に、ただただ感動しっぱなし。
ほんと、仕事デキる人って、何を頼んでも期待以上のモノか返ってくるからスゴい。
昨日、翠英さまの部屋を訪れた私は、その様子からひとつの仮説を立てた。
その裏付けが欲しくて、大理寺に戻ってからすぐに、白奎さま宛ての文を書いた。それを潁くんに託して大理寺を出た時には、すでに夕日が沈みかけていた。
そして今朝。
昨日遅かったし、彼らも忙しそうだから、返事はしばらく先になるだろう―。なーんて、のんきに構えていた私が出仕して目にしたのは、意外な光景だった。
「おはようございます―。って穎くん、これは?」
「そこ、そなたの席だ。好きに使え。―あと、箱は白爺から。頼まれてた資料だと」
机に山と積まれた書簡のすき間から、ひょいっと顔をのぞかせた穎くんが指さす先には、真新しい机と、綺麗に並べらえた文具たち。
そして、机の上には漆塗りの、いかにも上等そうな箱が鎮座している。
「…これ、私が使っていいの?」
「あぁ。他に足りないものがあれば、取り寄せる」
「ほんとに?助かるわ…。ありがとうございます」
ペコリと頭を下げると彼は軽くうなずいて、また書類の山の間に姿を消した。
この人、仕事となると一変してマトモになるのね。
ちょっぴり感心しつつ、机に向かい、備品に目を遣る。
定番の筆記用具の他に、反故紙や手拭きや座布団、水差しに香炉まで、どれもが高級品のオーラを放つ、見るからに高価な品物ばかり。まさに至れり尽くせりの職場環境。
さすが宮廷。
これは否が応でも、仕事がはかどるわ。
早速、つやつやに磨かれた螺鈿細工の箱の蓋を開ける。両手で抱えるほどの大きさの箱の中には、いくつもの巻物と冊子が整然と並べられていた。
手にとっていくつかパラパラとめくってみる。
全ての資料の表紙には、題名と日付を書き記した付箋が糊付けされてた。
一番古い物を探すと、約三年前の日付だった。
「完璧。これだけそろっていれば、正確に割り出せる―」
既往歴から毎日の食事、体温に至るまで、すべての記録がそこに記載されていた。
他にも入内前の検診から、最近の典医の診断まで、参考になりそうな資料も併せて用意されている。
これだけあれば、自分で書庫に行く必要はないわ。
あとはしっかり読み込んで、証拠を見つけ出すだけ。
「よし、やるか―」
数本の巻物を手に取り、糸留めを解いて机の上に広げる。そして文字の海に頭から飛び込んで、気の済むまでひたすらに墨字の間を泳いだ。
◇
「食うか?」
不意の声に顔を上げると、カタン、と目の前に皿が差し出された。
「ん…?」
「もう
「あ、あぁ…」
言われるまで、気が付かなかったよ。
窓の外に目をやると、さっきまで明るかった庭が、夕闇に塗りこまれている。
部屋の燭台に明かりが灯され、柔らかな黄色が辺りを照らした。
「まだ、時間かかりそうか?」
「う〜ん。あと、ちょっとだけ」
「なら、すこし腹に入れておけ。糖分も足りたないだろ」
「ありがとう…」
差し出された皿の上には、月餅がふたつ。
胡桃が上にのったものを手にとって、口に運んだ。
「あ、おいし…」
香ばしい
いつも行列が出来る西市の有名店よりも、ダントツに美味しい。
あまりの美味しさに、つい、食べかけの月餅をまじまじと見てしまう。
作り方自体はそんなに難しくないから、材料が味の差になるのか。それとも、作り手の技なのか。
何れにせよ、こんな美味しいお菓子が毎日食べられるなら、大変な仕事も頑張れちゃうかも、なんて単純かな。
「どうした?」
じっと月餅を見つめる私を妙に思ったのか、穎くんが首を傾げながら聞いてきた。
「こんな美味しい月餅、はじめてで、つい」
「あぁ、それ全部食っていいぞ」
「穎くんは、食べないの?」
「オレは菓子はいらん」
「じゃ、いただきます」
ひとつめの残りをパクっと平らげ、遠慮なく2つ目に手を伸ばす。
こっちの胡麻餡も、いつも食べているモノよりなめらかで、やっぱり美味しい。
「ほんと、おいし…」
甘い物ほど世の女子を幸せにする物はない。
幸せな余韻に浸っていると、ほら、とお茶の入った器を渡された。
すごい。ちょうど飲み物欲しいなって、思ってたところなの。
「ありがと。…あなたって、意外に気が利くのね」
すこし熱めのお茶をふーふーと冷ましつつ、机に軽く腰かけて茶碗を傾ける穎くんの横顔をのぞいた。
「…オレが飲みたかっただけだ。単なるついでた」
ボソッと低い声で言うと、フイッとそっぽを向いちゃった。
「…なんだ。親切な人だなって思ったのに、私の勘違いか。ざーんねん」
ワザとらしく言うと、彼は無言のまま器にお茶をコポコポと注ぎ、一気に飲み干した。
「…礼を言われるほどの事じゃない」
口を開いたと思えば、吐き捨てるような言いっぷり。
なんだろ。この可愛げのない態度は。
せっかく感謝してるのに。
時々いるよね、素直なじゃない人って。
「…潁くんは、もうちょっと素直さがあれば、可愛いのにね」
「お前は顔以外、可愛くないな」
「えー。ありがとー」
「ほめてないぞ」
「うそ。褒め言葉でしょ」
「馬鹿か。楽観主義者は嫌いだ」
「前向きだと言って」
打てば響く、この悪態よ。
ポンポンと続く会話のテンポの良さは嫌いじゃないけど、この口の悪さだけは、直した方がいいと思うわ。
「―ほんと、面倒くさい女だな」
「女は手がかかる生き物なの。覚えておいて」
「関わりたくないもんだな」
「あれ?生涯独身宣言?」
「あぁ。独り身で結構」
「そんなこと言ってると、後で後悔しますよ」
政略結婚が当たり前のご時世で、独身主義なんて、この人、過去に大失恋でもしたのかしら。
まだ若いのに、枯れた仙人みたいなこと言っちゃって。
「噂話しか興味のない
「ろくな女に出会わなかったのね。お気の毒に」
「…かもな」
「…」
ありゃ。認めちゃったよ…。
これは、よほど痛い目にあったんだな。そうに違いない。
恋愛のトラウマって尾を引くって言うしね。
この人、一見クールぶってるけど、実際は繊細がゆえにこじらせちゃった、過保護なお坊っちゃまなのかも。
なんか、もったいないなぁ。
よくよく見ると、そこそこイイ顔してるのに。
精悍な横顔に、引き締まった身体。
黙っていれば(ここ大事!)、女子にキャーキャー言われてもおかしくないスッキリした見た目。
これでも一応お偉いさんだし、
「なんか顔についてるか?」
「ううん。穎くんって顔はいいのに、活かせてないなって」
「余計なお世話だ」
いい年した大人の、不貞腐れた言い草に笑いを噛み殺して、ゆっくりお茶をすする。
まだ、すこし熱い、濃い翡翠色の水が喉をすべり落ちる。
渋みが強めだけど、その分、後味はさっぱりしてて、飲み干すと気分も頭もスッキリした気がする。
「…それで、なんか見つかったか?」
しばらく黙っていた潁くんだったけど、私が二杯目のお茶を飲み終えたタイミングで口を開いた。
「うん。ちょっと怪しいのがあって」
「どれ」
彼は私が向かう机に軽く腰を掛けて、机の上に広げられた巻物に顔を寄せた。
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