5.小競り合い

「いいですよ―」


覚悟を決めた私は、一番上に羽織っていた仕事用の衣を、肩からストンと落とした。


「脱げば、いいんでしょ?」

「は…」

「どうぞ、心ゆくまで調べて下さい」


掴んだ上着をひょいっと投げると、彼は目を丸くした。


「ほら、ちゃんと見て。はい。これもどうぞ」


飾り紐のついた帯の結び目を解く。勢いよく引き抜くと、シュッと乾いた音がした。

それも床に投げると、彼は「うっ」と小さく唸って、沓をズズッと引いた。


「…ちょっと、待て」

「は?」

「もう、いい」

「今、なんと?」

「いいから、着ろ」

「脱げといったのは、そっちでしょうが」


今更なによ。

疑うのなら、潔白を証明するまでよ。

こんなところで斬りつけられるくらいなら、いくらでも脱いでやるわよ。


「つべこべ言ってないで、早く調べなさいよ。風邪ひいたら薬代、払ってもらいますからね」


ふん。

開き直った乙女に、怖いものなんか無いのよ。

たじろぐ男に「ほらっ」と、脱いだ衣を二枚まとめて投げつける。

更に腰紐を解いていると、衣の山を前に立ち尽くしていた男の顔がみるみる紅潮し、ブルブルと震えだしたかと思うと、突然大声で怒鳴った。


「だから着ろと言ってるんだっ!女が簡単に下着姿になるなっ!」

「はぁ?」

つつしみというものがないのか、お前には!」


はい?

何言っちゃってんの、この人?

逆ギレですか?


「あのねぇ」


なんで私が罵られないといけないの。

いい加減にして。


「慎みっておっしゃいますけどね、突然現れて剣を抜くような野蛮な人間に、そんなこと言われたくないわよ!自分こそ、破落戸ゴロツキみたいな格好で人様の家に上がり込んで、今更何を言ってるのよ!」

「仕事じゃないんだから、何を着ようがオレの勝手だろ!」

「アナタのカッコなんてどーでもいいわよっ!」


売り言葉に買い言葉。

不毛な会話だって分かってるけど、始まったものは止められない。


「オレだってお前なんぞに興味なんかないわっ!」

「脱げって言ったのはアナタでしょうが!」

「誰も本当に脱ぐとは思わないだろが!!」

「今更何言ってるの!バカじゃないのっ?!」

「バカとは何だ!」

「自分で言ったことも忘れちゃったの?本当にバカなんじゃないの?」

「お前がはしたないからだろうがっ!!」

「なんですってぇっ?」

「…君たち、何をやってるの…?」


後ろから割り込んできた声に、ふたり同時に振り返る。すると、白奎さまが呆気にとられた顔で、こちらを見ていた。


「あ、爺―。んわぁっ、ぎゃぁっ!」


白奎さまの背後から現れた紅晃が、荒くれ者に向かって飛びかかったと思うと、バフッという音と共に床に倒れ込んだ。


「ねぇ、えいくん…」


沈痛な面持ちで問う白奎さまの声が、耳に痛かった。




「わぁ~!美味しそう~っ」


円卓に所狭しと並べられたご馳走を前にして歓喜の声を上げる私に微笑みながら、白奎さまはそれぞれの杯に葡萄酒を注いだ。


「さぁ、お好きなだけどうぞ」

「ありがとうございますっ。いっただきまーす!」


頬を撫でる風が心地良い、宵のいり

池に臨する四阿あずまやに設けられた、夕餉の席。

見たことのない果物や、婚礼の時に饗されるような手の込んだ料理を前にして、成長期の胃が喜びの舞を踊ってる。


「美味しいぃ~」


金色の杯に注がれた葡萄酒は砂漠を越えてやって来た、西域の名産品。

豪華な食事に、高価な果実酒を頂けるなんて、幸せ過ぎて飲み過ぎちゃう。


「…ほんと、幸せそうな顔しやがって」


片膝を抱えるようにして座る『えいくん』とやらが、こっちを見て嫌味たらしく言う。


「幸せですけど、何か?」

「それはよーございました」

「えぇ。お蔭様で」


あなたがいなければ、もっと楽しめたんですけど。

なんて白奎さまの手前、口には出さないけど。


「ごめんなさいね、清花。潁くんはちょっと反抗期で」

「おい、爺っ!」

「反抗期って、その年で―?それは母君もお気の毒に。子育てって大変ですね」

「誰が親不孝だ」

「『潁くん』が、だそうです」

「誰が潁くん、だ。お前の方が年下だろうが」

「こっちは反抗期終わってますから」


余裕の笑みを見せつけると、彼はフンっとそっぽを向いた。

そういう所が反抗期なんだよ。わかってるのかな、この人。


「彼は私の古い友人の忘れ形見でね。弟みたいなものなんです」

「若ぶるなよ、爺。爺のくせに」

「…反抗期の弟の面倒まで見て、白奎さまは大変ですね」

「ほんと、大変で」


それまでの澄まし顔とはうって変わって、フフフっと目を細めて笑う白奎さまの表情は、春風みたいに穏やかで。

この様子から察するに、二人はかなり親しい間柄らしい。


「おふたりは仲良しなんですね」

「懐かれてる、と言う方が正しいですね」

「人を動物扱いするな」

「愚弟のしつけが行き届かず、清花には迷惑をかけました―。潁くん、ちゃんと謝った?」

「む…」

「謝罪の言葉はまだ、特に」

「勘違いしたのは貴公なんだから、ちゃんと謝って」


こら、と顔をしかめて、ふくれっ面の彼をたしなめる白奎さま。

いや、母君か。

思わず心の中でツッコんでしまった。

躾って大変よね。でも、間違えたら謝るのは当たり前だし。

こんな細腕の私を刺客と思い込んで、剣先を向けたんだから。その事実は平伏して反省すべきよ。


「…悪かった」

「分かってもらえれば結構です」

「偉そうに」

「だって、私に非は無いもん」

「大人に対する口の利き方も知らないのか」

「潁くん。大人げない」


白奎さまに諭されると、彼はすねた顔して杯を口に運び、やれやれと肩を上げてみせた。子供か。


「まったく、素直じゃないんだから…。清花。穎公はね、今では数少ない、気の置けない友人のひとりなんです。…私には皆、気後れするらしくてね。だからかつい、今も世話を焼いてしまう」

「え?白奎さまは皆から敬われるお立場、ではないのですか?」


四賢臣、とうたわれる、四人の重臣たち。

聖獣を従え天子を守護する彼らは、宰相よりも格が高く、廷臣では最高位にあたる。

四人は時に協力し、時に牽制しながら、陰に日向にこの国を支えてるという。

その一人である白奎さまの憂いが混じる声に、つい口が滑っちゃった。

言ってから気づいた。

余計な一言だったわ…。

悔やむも時すでに遅し。

彼はふっと眉を寄せると、遠くへと視線を投げた。


「…皆、本音ではいとわしく思ってるんですよ。この見た目も、私の存在も不気味だと」


静かに語る横顔は憂いを帯びてて、それは見惚れるほどの美しさ。

人によっては、近付きがたい雰囲気を感じるのかもしれない。

私なんか、その美貌を分けて欲しいなんて思っちゃうけど。


「そうですか?そんなこと、私は思わないですけど…」

「人はね、未知のモノに対して、恐怖と嫌悪を抱くものなんですよ」


―確かに。

人ってそういうとこ、あるよね。

正体がわからないものに対しては、異常なほど怯えて警戒したり、露骨に敵視したりする。これって一種の生存本能みたいなもの、だと思う。


「ちゃんと話したら、白奎さまは悪い人じゃないって分かりますよ」

「そう?清花が気づいてないだけかもしれませんよ?」

「いえいえ。本当に悪い人って、善人の顔して笑ってるので」


初めて見た時から、気になってたんだ。

見とれちゃうくらい美形なのに、どこかもの悲しさがただよう白奎さまの横顔。

…同じ顔した人を、私は知ってる。

その人が抱えた傷は誰にも癒せない程に深くて、花帝の花さえ慰めにしかならなかった。

この方もきっと、心に古い傷を抱えてるんだと思う。

だから余計に、自信を持って言える。


「以前、仕事で何度か聖獣を従えた方にお目にかかりました―。どなたも本当に、威厳の塊!って感じで、私なんかが気安く話なんて出来ない雰囲気で…。でも、白奎さまは私のような平民にも、ちゃんと目を合わせて微笑んでくださるし」


悲しいかな、階級社会のこの世。

自分より下位の人間を碁石を投げるみたいにぞんざいに扱う役人を、今まで沢山見てきた。

権力に胡座をかいて威張りちらす輩が、この珀都はくとにも掃いて捨てるほどいる。

そんな世知辛い世の中で、指折りの高官である白奎さまが無官の、しかもなんの取り柄もない小娘に気さくに接する、なんて常識ではあり得ないことなの。


「それに、聖獣はあるじに似ると聞きます。あんなに可愛い紅晃の主人が、悪い人だとは到底思えません…。確かに白奎さまは近寄りがたい美貌と雰囲気をお持ちですけど、見た目よりもずっと優しくて、親切な方だって思います。ほら、大きな反抗期児の面倒見たり」


ブッと吹き出す音がしたが、今は無視しておこう。


「こうやって子猫を一晩看ただけの、何処の誰かもわからない人間を屋敷に招き入れて、ご馳走までしてくださるんですもの。仁義を重んじる、素敵な方だと思います」


私の前に座って聞いていた白奎さまが、にこりと笑ってうなづいた。


「…さすが紅晃が認めた方。言葉に嘘がない」

「噓はつきません。その場を取り繕うだけの嘘は誰の為にもなりませんから。医師は患者との信頼関係が一番大切なので、都合よく誤魔化したりしたくないんです。…って、今はただの見習いですが」


格好つけすぎた。恥ずかしい。

照れ隠しにへへっと笑ってみたら、白奎さまがふっと口元を緩めたのがわかった。


「清花は医師になるのですか?」

「はい。ずっと父の背中を追いかけて…。変わり者ですが、腕のいい医者なんです」

「貴女も腕がいい。暁の傷を治してくれた」

「薬が合ったみたいで、よかったです」


花を使った事は内緒…。なんだけど、大丈夫かな。


「貴女はもう立派な医師ですよ。そこで、です」

「はい」

「よかったらその腕、後宮で活かしてみませんか」

「はい?」

「眠り姫を夢から連れ戻して欲しいのです」

「ほ?」


突拍子もない提案にポカンとする私に、白奎さまの真剣な眼差しが注がれる。


「貴女の力で、どうか私を、助けて下さい―」

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