3.出会い

逸くんに家まで送ってもらった私は彼の背中を見送ると、一直線に階段を駆け上がった。


「ただいまーっ、具合はどう?」


部屋に入り声を掛けると、机の上で丸まっていた子猫が少しだけ頭を起こした。身体をブルッとふるわせると、むくっと顔を上げて、紅くひかる瞳を私に向けた。


「落ち着いたみたいね。よかった」


連れて来た時よりも、すっきりした顔になってる。

あとは栄養のあるものを食べて、しっかり休めば大丈夫。


「さぁ、一緒に湯浴みしよ」


モシャモシャに絡んだ毛をキレイに洗い流す。

猫は水が嫌いと聞くけど、この子は嫌がる素振りもせず、終始気持ち良さそうな顔をしてた。

櫛で梳いて、手拭いで乾かすと絹みたいな光沢の、白く美しい毛並みの子猫が現れた。


「なんてキレイなの…」


小さな聖獣は初めて見たけど、この子にも存在感というか、気高さがある。

つやつやの毛を撫でると、指をぺろっとなめて、笑ったような顔をした。


「ほんと賢いんだね、あなたは」


やっぱり動物と聖獣は違うんだなぁと、しみじみ思う。

きっと、話せないだけで言葉は理解してるんだ。


夕餉を食べ終えて、夜も深くなる前に私たちは寝所に入った。

布を重ねた即席の寝床を用意すると、子猫は音もなく滑りこんで身体を丸め、白い毛に顔をうずめた。

しばらく見ていると、スゥーッという寝息が聞こえてきた。


「おやすみ、いい夢見てね」


明日起きたら、名前を聞いてみよう。

燭台の灯を消して、私はすっぽりと布団をかぶった。



「…しまったっ!」


部屋に射し込む眩しい陽の光に、寝坊したことを悟る。

あああ。

やってしまった―っ。

寝所を飛び出し、転がるように部屋を出る。

顔を洗って口をすすいで、髪を梳いて一つにまとめ、仕事用の飾り気のない衣に着替える。

今日は朝からお得意先を巡って、薬の補充をする大事な日なのに。

寝坊なんて、私は何をやってるのよぉぉっ!

もう、最悪―。

身だしなみもそこそこに、私は大慌てで家を出た。


その日の午後。

冷や汗をかきながら、どうにか予定通りお遣いを終え、ウチに戻って来てた私は、すぐに二階へと駆け上がった。


「ごめん、起きてる―っ?」


部屋に飛び込んで寝床を覗きこむと、もぬけの殻だった。


「帰っちゃったか…」


賢いあの子のことだから、きっと、大丈夫だとは思うけど。

残された寝床には、ほのかな甘い香りが揺れていた。


「残念…。仲良くなりたかったな」


私と聖獣との共同生活は、こうしてあっけない終わりを迎えた。



それから一週間後。

お得意先巡りを終えて、市場を歩いていた私の前を、白い影がふわっと横切った。


「あ…」


声を上げた私に振り返った子猫の、紅く澄んだ瞳。


「あの時のあなた、だね」


立ち止まった私の前に猫はトコトコとやって来て、しっぽを振った。

しゃがんでその頭を撫でると、真っ白な毛が陽の下でキラキラと輝く。


「…元気ならいいわ。会えてよかったよ」


紅玉の瞳がジッと私を見つめ、ニャァアと言った。


「ん?…ついてこい、って?」


子猫は首を縦に振ると、またトコトコと歩き始めた。

これはやっぱり、誘われてる、よね?

お遣いも終わったし、時間はある。

子猫がくるっと振り返って、私に振り返る。

着いてきているのを確認すると、コクンと頷いて、また軽やかに土を蹴った。

明らかに、呼ばれてる…。

いいわ、行こう。時間はある。

誘われるがまま、私はその背を追うことにした。


市場の人の波を器用にすり抜け、表通りを真っ直ぐ進んで角を曲がりると、大広場に出た。

ここには天子が住まう宮城の背後に広がる山から水を引いて作られた池があり、その周辺の緑地は都に住む人の憩いの場になってる。


「ここで休憩、ってことかな?」


お昼前の時間帯のせいか、今は閑散としてる広場の、川沿いの芝生に腰を下ろす。

すると子猫はこちらに振り向いて、また頷いた。

やっぱり、会話が成り立ってるわ。

ちょっとだけ驚いてると、子猫は水路に沿って植えられた柳のひとつに向かって、タタッと走り出した。

目で追いかけていると、その柳の幹から大きな影がフッと分かれ、外套がいとう(コート)をまとった人が現れた。


「貴女でしたか」


フードを目深にかぶった長身の男性が子猫を抱き上げると、私を見て目を細めた。


「えっ…」


飼い主さん―、かな?

でも、その身なりが、かなり怪しい。

考えてみて。

こんな天気の良い日に、真っ当な人間が外套で顔を隠しつつ、木陰に佇むかね?

いいや、そんな訳ないでしょ。

そもそも聖獣の飼い主って、『普通の人』じゃないはず。

…なんか、嫌な予感がしてきたよ。


「えっと、私はただの、通りすがりで…」


口ごもりながらも、横目で周囲の様子を探る。

なのに、こんな時に限って、辺りには誰もいない。

助けを呼ぶのはムリっぽい。

そして、自分の唯一の逃げ道になるはずの小路には、何故かこちらをじっと見ている、衛士たちの姿―。


どうする、清花。

もう、池に飛び込んで逃げるしか、道は無いかもよ?

でもね、そんな猛者じゃないのよ、私は。

ご存知の通り、いたって平凡な、嫁入り前の健全な女子なのよ。

当たり前だけど、年頃の娘が白昼堂々と逃走劇なんて、したいワケがないのよ―。

全力で困惑してる私を見てか、飼い主さんは袖を口元に寄せると、ふふっと忍び笑いを洩らした。


「―心配しないで。お礼がしたくて、お迎えに上がっただけですから。それに、この時期に池に飛び込んだりしたら、風邪をひきますよ」

「え?」


なんで?

待って、待って、待って⁉

どうしてわかったの?

そんなの、あり得ませんて。

まさかの非常事態に、全身から冷や汗が吹き出して止まらない。

どうしよう―。

もはや狼狽うろたえるしかない私に、フードの下の灰色の瞳が弓なりに線を描く。


「大丈夫。身の安全は花帝の名の下に保証しますから、ね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る