すりすり

 ――家に帰されて、今日も深夜。


「恭くん。どうして。どうして」


 わたしは、恭くんにすがりついて泣いていた。

 明日、恭くんは、大学に行けるのだろうか。

 こんなに傷だらけになって。


 恭くんは、お兄ちゃんに殴られた。

 殴られた。殴られた。……徹底的に、殴られた。


 お兄ちゃんは長年ボクシングをやっていて、とても強い。

 恭くんは、とてもとても、かなわない。


 鍛えてやる、なんて言葉だけの――それは、あきらかに蹂躙だったのに。


 恭くんは、自分で傷を消毒して、ガーゼを巻く。……器用だ。


「いいから。咲花さんは、仕事の電話、折り返しなよ。ただでさえ待たせてばっかりでしょ、最近」

「でも、でも、それより、恭くんが」

「たいしたことないから。骨も折れてなさそうだし、適当に手当しとけば大丈夫」

「やっぱり念のためにお医者さんに行こうよ。わたしも一緒に行くから」

「……俺がいいって言ってるのに。犬のくせに、咲花さんはずいぶんしつこいね」

「……だって、だって、恭くんは」


 わたしは、今夜。結局、……いちども、殴られなかった。

 

「わたしのために、殴られたの? わたしが……殴られないために……」


 そうだ、とは。

 恭くんは。……言わなかったけど。


「……意味もなく犬を痛めつけたら、虐待だから。俺は、そういう飼い主にはなりたくないな、って」


 ひとを犬として飼う時点で、虐待だ、と。

 まともなひとならば、きっとそんな風に言うのだろう。


 でも、わたしは知っている。

 恭くんは、ただ壊れただけの男の子。

 ほんとうは、きっと、ひとを痛めつけたりしない。……ただ、監禁生活であまりにも辛い目に遭ったから。

 ひとを、犬として飼いたい。そう願うだけの、男の子。


 やっぱり、かばって、……くれたの?


 いまのわたしは服を着ていて、犬の「えみ」ではなかったかもしれない。

 けれども、恭くんの胸に頭をこすりつけた。

 すりすり、すりすりと。


「……あれ。頭をすりつけるなんて、教えてないのに」


 わたしは、恭くんを見上げて、ちょっとだけ舌を出して微笑んだ。

 犬。犬になることで、……あなたに気持ちが伝わるならば。


 恭くんは、ゆっくりと、時間をかけてわたしの頭を撫でてくれる。


 思考をまとめるかのように。

 恭くんはぽつりぽつりと雨だれのように話した。


「……あいつら、俺に接触するなって言われてるはずなのに。どうせ。バレないと。思ってんのかな……もしそうなら、やりようはあるかもしれない」


 確かに――お兄ちゃんたちは、恭くんと、……そして実はわたしにも近づかないように言われていた。

 当たり前のように接してくるのはたぶん、……わたしと恭くんが、逆らえないと思っているから。

 実際。弱みを握るために、真衣ちゃんは動画を撮ってるのだろうし――。


「身体だけでも、立場だけでも。どっちでもいい。何かひとつでも。……時雨たちより強く、なれるかな」


 それは。

 意外な、言葉だった。


「えみのこと……守れるのかな……」


 自分でも、びっくりするくらいの、異常なほどのあたたかい気持ちに、……むしろ戸惑いを覚える。

 あたたかく。広がる。じんわりと。


 きっと、わたしももうおかしい。


 犬として扱われるなんて、ひどいことされておいて。

 痛いこと。恥ずかしいこと。されておいて。


 それなのに、恭くんの言葉がこんなに嬉しいなんて――。


 地獄でもいいよ。どこでもいい。

 だけど。……まもってほしいよ、恭くん。


 まもってくれるひとがいるなら、地獄だってそんなに、怖くない。

 犬になる、ことなんて。たいしたことじゃないんだ、きっと――。


 まもって、お願い。

 

 願いを、すべて込めて。

 わたしは、もっともっと、頭を恭くんの胸にこすりつけた。

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まもって、お願い。 ~加害者少女は犬になる~ 柳なつき @natsuki0710

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