ネズミ退治

 ボン! その音がした時、アーチーは自分の体が跡形もなく吹き飛んだのだと思い込んだ。


 だがそれは音だけで、青年は生きていた。空中には粉塵が舞い、口の中に異物を感じた青年は唾を飛ばした。土の味がした。


「アーチー、さあ早く!」


 ジュードに促されるまま、アーチーは走った。土煙が目眩しになり、騎士達は、右も左も分からないでいるようだった。パラティアが何かしらの魔術を使い、窮地を救ったのだ。


「あ、ありがとう、パラティア」

「良いから、とにかく走って!」


 アーチー達は夜闇の中を走った。敵を巻くため、入り組んだ裏路地をひたすらに巡る。前がよく見えず、青年は何度も何かに身体をぶつけた。


 身体中にアザを作りながら、それでも青年は走り通した、筈だった。


「あれ?」ある時、青年は立ち止まった。周りに、自分以外の人の気配がしなかったからである。


「ジュード? パラティア?」


 アーチー震える声に、答える者はいなかった。手当たり次第に暗闇に向かって、何かに触れられるよう(決してやましい意味ではない)に手をバタつかせたが、やはり誰もいなかった。


(不味い…)青年の体は一瞬にして縮み上がった。(はぐれたんだ…!)


 慌てず、冷静にならねばならなかった。2人と合流しないと。向こうもアーチーがいない事に気が付くだろう。そうすればきっと引き返して来るから、自分はここにジッとしてよう。


 だが敵に追われている中、自分が辿った道を覚えているものだろうか? 仮に覚えていて、戻ってくる余裕あるのか? それどころか、2人が襲われていたら? 


(そんな時に、俺はここで1人呆けたまま?)


 首元を汗が滑り落ちた。


(ダメだ、2人を探そう)


 アーチーは決心した。なんて事はない、自分はアメリカ人だ。颯爽と仲間を見つけて、救うだけ。映画のように。


(そうと決まれば、よーし、行くぞ!)


 だが2歩進んだ所で自分以外の足音に気がついた青年は、まるで猫のように後ろに飛び退いた。


 アーチーは慌ててジュードからもらった剣を引き抜くと、それを構えた。足は生まれたての子鹿のように震えていた。


 青年はすっかり口癖になってしまった言葉を心の中で呟いた。即ち、(ああ、神様!)


 路地の曲がり角から、人影が出てきた。よくは見えないが、自分よりも頭2つ分は背が低いようだった。小柄でも、騎士団員になれるのだろうか?


「あんた、ジュードの兄ちゃんの仲間やろ?」


 聞き覚えのあるロタハの声だと分かり、アーチーは安堵の余り巨大なため息を吐いた。


「やっぱり。こっちや、着いてきて」


 ロタハは有無を言わせず、アーチーの手を引っ張った。全く持って、誰かに手を引かれるばかりの人生。


「ロタハ、こんな時間にこんな所で何をしてるの?」

「別に、うちの自由やん。酷い物音がすると思ったら案の定。でもまさか、相手が大祭司の犬だとは思わんかったけど」


「えっと、助けてくれたんだよね?」

「助けるもなにも、ジュードの兄ちゃんに駄賃を沢山貰ったんだから、このくらいのことは当然や」


 (ジュード、ああジュード)青年は大事な親友の事を思った。あいつは、本当にいい奴なんだ。早く会いたい。あと、パラティアにも…。


「商売相手を騙すなんて。ケサル・マラタの面汚しや。来訪者よ、かの者を地獄の業火で燃やして下さい! 心配せんでも船を出せる場所は他にもあるから、そこに連れて行ってあげる」


 (あの、実は俺がその来訪者なんだ)


 アーチーはそう言おうか迷ったが、辞めることにした。信じてもらえる訳がないし、仮に信じてもらえてもパラティアのように失望されるかもしれなかった。青年としては、後者の方が辛かった。


 颯爽と狭い裏路地を駆けるロタハの後ろを、青年で付いていった。ロタハは時々立ち止まっては、アーチーに向かって口元に人差し指を当てた。


 そんな時は大概、すぐ側を騎士団の連中がガチャガチャいわせながら通り過ぎて行った。


「いない」そんな奴らの内の1人が言った。「きっと奴らを手引きしている者がいるのだ」


「恐らく、異端派の連中だろう」相手が答える。「まだ生き残りがいるのやもしれん」


「忌々しい事だ。奴等ネズミは決して死に絶えることがない」

「その分、俺達の仕事があるわけだ。救世主の僭称者を探し出したら、今度はそちらを…」


 騎士達が離れて行ったので、それから先は分からなかった。暗闇に慣れた青年の眼に、何か思い詰めた様子の少女の顔がなんとなく浮かび上がる。


「行こう」ロタハはただそれだけ言って、また歩き出そうとした。


 その時だった。ドカン! 文字通りの爆音が、どこか遠くの方でした。アーチーは驚き、ロタハの側へ飛び退いた。


「な、な、なんだ!」

「ジュードの兄ちゃんとパラティアの姉ちゃんやろ。あの2人なら多分大丈夫。落ち着きや、みっともない」


 自分より5歳は年下であろう少女に宥められて、青年は口を開けたまま頷いた。


(そうだ、あの2人は大丈夫。それより自分の事だ。良い加減、年上としての威厳を見せやがれ、アーチー!)


 見上げた建物の合間から、炎によって照らされた空が僅かに見える。恐らく、先程爆音がした方向だった。甲冑の音に混じり、怒声が微かに聞こえてくる。


「今の内や」とロタハ。


 ジュードとパラティアを囮にしているようで嫌だったが、右も左も分からない夜の街の中で、アーチーはロタハに従うしかなかった。


「もう少し」


 波の音が近くなった。青年達は巡り巡って、また港に近付いたようだった。あと少し、もう少し…。


 鼻息荒く走るアーチー目の前を、不意に黒い影が横切った。影は2つ。青年とロタハの間に割り込むと、片方がロタハを捕まえ、もう片方がアーチーの前に立ち塞がった。


「武器を捨て、投降しろ」立ち塞がってた方が言った。「さもなくば、この娘を斬る」


 アーチーにはその台詞だが、とんでもなく馬鹿に思えた。何度コミックやアニメや映画で似たような台詞を聞いたことか。


「そ、その娘は関係ない。離してくれ。さっき会ったばっかで、名前も知らないんだ」


 青年は相手が承諾するだろうと、この期に及んで信じていた。事実ロタハは雇われただけで、アーチー達の目的とは何にも関係が無かった。そして何より、人質を取るのはフェアじゃなかった。


「なら早く、武器を捨てて投降しろ」

「そっちが先だよ。簡単さ。彼女が逃げるまで、俺はずっとここにいるから」


「面倒だ、どちらも斬ってしまおう」ロタハの首根っこを掴んでいる騎士が言う。


 アーチーは動揺した。丸腰の子供を殺そうとするのが信じられなかったのだ。だが、ここはそういう世界だった。愚かなのは、自分の方だった。


 騎士の言ったことは脅しでは無かった。剣を抜くと、それをロタハの首元に当てたのだ。


「ひいっ」少女は悲鳴をあげると、剣先を見て、それからアーチーの方を見た。


 青年は臆さず、その恐怖に怯える眼を見返した。やる事は決まった。自分でも驚くほど、頭は冷静だった。


 こういう状況でなにをすべきか、アメリカ人ならわかる筈だ。上手くいくかは分からないけど、やってみるしかない。


「待ってくれ。今、武器を捨てるから」アーチーはそう言って、腰元の剣を抜いて地面に捨てると、両手を空に上げた。


 2人の騎士が凝視する中、青年は彼らに近づいて行く。


「何も持ってないよ、な? だからその娘を離してくれ」


 片方の騎士が、ロタハを捕らえている騎士の方に視線を動かした。(今だ!)


 アーチーは出来る限りの跳躍をして、目の前の騎士の懐に向かって飛び込んだ。相手は直ぐ様剣を振るも、それは青年の脇腹を少し切りつけただけだった。


 青年は騎士の首元を押さえた。それで、次はどうするのか?(押さえて、ええっと、ええっと…)


「気狂いが!」相手は叫ぶと剣を放り投げ、逆にアーチーの首を掴み返した。(ああ、マズい…)


「そんなに死にたいなら、今ここで殺してやる!」


 騎士が例の如く呪文をごもごもとやると、彼の手元が信じられないぐらい冷たくなった。


 次の瞬間、騎士の手と繋がっているアーチーの首は凍りつき始めた。次は肩、次は胸、腹、そして下半身と、あっという間に体全部が凍り、青年は見事な氷の彫像のようになってしまった。


(ワーオ、冷蔵庫いらずだな)


 当然、青年は生きていた。アラスカのような寒さだが、死ぬ程では無かった。だがこれで、攻撃のやり方がわかった。今度はこっちの番だ。


 身動きの取れない掌に意識を集中させると、直ぐにボウっという景気の良い音が聞こえた。そして、身体の氷が溶け始めた。


「こいつだ!」騎士はそれを観て、驚嘆に満ちた顔で叫んだ。「こいつが僭称者だ!」


(うるせえ!)


 相手が言い終わらぬ内にアーチーは相手の首元を掴むと、力と意識を込めた。途端、騎士の身体が炎に包まれ、1本の火柱が出来上がった。青年が手を離すと、それは悲鳴を上げながらその辺をのたうち回った。


「クソが!」もう片方の騎士はロタハを突き飛ばすと、青年に向かって来た。


(いくらでも掛かってやがれ、俺は無敵だぞ!)


 アーチーは相手が魔術を使うのを待った。魔術を使わせて、無効化して、それで驚いた隙に倒す。なんと完璧な計画。


 そして騎士は飛び掛かってきた。だが魔法ではなく、剣で。青年は慌ててそれを避け、後ろに飛び退いた。


 護教騎士団は剣も扱えるという事を、アーチーはようやく思い出した。対して周知の通り、自分は剣を使えない。


(ええっと、どうしよう…)


 

 


 


 

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