心優しき人
炎に包まれても涼しい顔をしている人間がいたら、誰でも理解に苦しむものである。捕虜2人の表情は、驚きを通り越して、最早恐怖の域に達していた。
「ら、来訪者様…」1人がそう言って、地面に付くくらい頭を下げた。
この世界で、アーチーはそういう存在なのだ。悪い気はしなかった。だが同時に後ろめたさを感じるのは、彼にとって神は1人しかいない為だった。
「お前達の指揮官は、わざとこのお方の正体を明かさなかったのだろう。それはきっと、騎士団とは異なる組織の圧力によるものだ。違うか?」
騎士達は明らかに狼狽し、互いに顔を見合わせた。ちなみにこの時、アーチーの身体はまだ燃えていた。
不機嫌なパラティアが、いつまで経っても炎を消そうとしないからだった。(早く消してくれよ…)青年は眼でそう言ったが、返事はなかった。
「大祭司…」間を置いて、捕虜の1人が答えた。「教団の仕業という訳か」
ウィルは村人達に、騎士達を縛っている縄を解くよう言った。その言葉に眉を顰め、言外に抗議をする村人達に、彼は静かに諭した。
「来訪者様は、彼らを許すと決めた。彼らも同じ来訪教徒、つまりは兄弟だ。兄弟同士で争ってならない。もしも彼らが主に再び弓を引くなら、その時はそれ相応の報いを受けよう。難しい決断ではあるが、今は彼らを放すのだ」
そう言いながら、ウィルは腰元の剣を直ぐに抜ける体勢にあった。パラティアの方もアーチーの身体を燃やしながら、2人の騎士を警戒し続けている。
アーチーはというと、いい加減火を止めるようパラティアに言うタイミングを、今か今かと待っていた。いつになったら、このシリアスな場面は終わるのだろう。
騎士の1人は、縄で締め付けられた手首を揉みながら周囲を見回した後、そんなアーチーを見つめた。
「非礼を、どうかお許しを。来訪者様、あなたとは知らなかったのです。まさか、我が命ある内にあなた会えるとは思わなかった。あなたの心は、大空のように広く、山脈のように高い。あなたの慈悲は、いずれこの国に遍く行き渡ることでしょう」
そう言って、男は頭を下げた。顔を上げた時、男の目線はウィルへと移った。
「見逃してくれるなら、お前達の事も見逃そう。命令を受けたのは俺達だけではない。四方に偵察が出ている。それで、これからどうするのだ」
「主を連れて逃げる。このお方は地上に降りて来たばかり。今はまだ雌伏の時だ。我らの救世主を、大祭司に潰される訳にはいかない。君達だって、同じ考えだろう」
「災厄は東にある、西はまだ手薄だ。用心しろ。俺からはそれしか言えん」
「ありがとう、友よ。貴方に神の祝福がありますように」
男はアーチーの方を観て、苦笑した。(そうか、俺がその神様な訳だ)自分で言って、青年は恥ずかしさの余り眼を逸らした。よくは分からないが、彼らはアーチー達の味方をしてくれるようだった。
「ありがとう。えっと、君達の名は?」
「私はアルモン。こっちはピロシュです。主よ」
そう言って、2人の騎士はもう一度丁寧にお辞儀をした。
「アルモンにピロシュ、2人とも、俺達を見逃してくれてありがとう。あと、その、こんなことを言うのは変だろうが、君達の友人を殺してしまって、ごめんよ…」
アルモンとピロシュは同時に目を見開いた。「主よ」ピロシュが答える。
「主よ、貴方が何を謝る必要があるのでしょう。貴方は人の皮を被ったか魔物を退治なされました。誠、聖書に書いてある通りのことです」
◇
騎士達が去ってすぐ、村は慌ただしくなった。
「ここを出るのよ。さあ、あんたも手伝って」
村人達が台車に家財道具を載せるのをテキパキと手伝いながら、パラティナが言った。ウィルが付け足す。
「あの騎士達は告げ口をしないでしょう。ですがいずれ、噂は伝わるものです。そして一度伝わった噂は、枯野に火を放つ如く瞬く間に広まる。それより前に、我々は動かねばなりません」
何と殺伐とした世界だろうか。騎士が我が物顔でやって来て、老人や子供が暴行され、その見返りに騎士が1人焼き殺されて当たり前の世界。
恐ろしい世界だが、そこでも、人々は逞しく生きている。(人間って、凄いなあ)アーチーは素直に、そう思うのであった
「ぼーっとしてないで手伝って!」
呑気に考え事をしている青年を、パラティナが怒鳴りつけた。怒鳴りながらも、作業の手を止めてはいなかった。烈火のように怒り、馬車馬の如く働く娘。
アーチーの微生物程の手助けもあってか、小一時間ほどして準備は整った。ウィルが、大きなボロ布を青年に手渡した。
「主を、これをお羽織りください。荒野の夜は冷えます。いずれ街でもっと良いものを手に入れますが、どうか今はこれでご勘弁を」
アーチーはTシャツにジーンズという、西部人の制服の上からボロ布を羽織った。鏡は無かったが、自分がクリント・イーストウッドの爺さんには遠く及ばないことは明らかだった。
「聖書に書いてある通りね。『来訪者、ボロの他には何も纏わず』少しは様になって来たじゃない」
聖書を暗誦するパラティアは楽しげだった。来訪者というのは、ダサいの代名詞なのだろうか。
「主よ、どうかお気を付け下さい。あなた様にお助け頂いた恩義は決して忘れません。食料と路銀をお持ち下さい。あなた様の御恩に報いるには、余りに少なすぎますが」
別れ際に村長が言った。
「ありがとう。でも皆が無事ならそれで良いんだ。こっちこそ、貴方がたに迷惑をかけて申し訳ない。怪我はないですか? 頭を打った子は?」
「へい、皆無事です。これも皆、あなたさまのお陰でございます」
「それは良かった。それで、家はどうすんだい? 雨風を防げる場所はあるの? 食べ物は? 夜寝る所は?」
「大丈夫です。暫くは近くの村を頼ります。何とかなります。日干しレンガの家は、また作り直せば良い。来訪者様、今はご自分の命を大事にして下さい。我々の願いは、ただそれだけです」
(なんて良い人々。地上に、こんなに善良な人々がいたなんて)
アーチーは泣きそうになるのを何とか堪えた。Z世代にも、プライドはあった。迷惑はかけたが、兎にも角にも皆が無事で青年は安心した。
「なんと慈悲深い事か。やはりあの人は来訪者だ」
「軟弱者よ。こんなことで荒野の民が泣き言を言うわけが無いのに」
ウィルとパラティアの会話は、きっちりと青年の耳にも届いていた。
(感慨が台無しだ)だがそちらの方が良かった。少しでも気を抜けば、世界だと直ぐに死んでしまいそうだった。
村人達は安全な西に向かった。そちらには集落も少なく、軍の警戒も緩いという。反対に、アーチー達は東に行くという。東は危険なのではなかったか。
「同じ方向に逃げたら、また村人達を危険に晒すことになります。東は危険ですが、村や街も多く、それだけ隠れ場所も確保できる。それに、ここは一気に遠くへ逃げるべきだ」
ウィルがそう言うと、パラティアはあからさまに不服そうな顔をした。彼女はぶつぶつと何かを呟くと、大きく溜息をついた。
「しょうがない。聖書にもあるもの、『来訪者、僅かばかりの同行者を連れて旅路を行く。それは厳しく、苦難の道のりである』」
(その異世界あるあるみたいなのやめてくれないか…)
眼を瞑り、夢見る少女のように聖書の一節を呟く少女を、アーチーは苦々しく見つめた。
いちいち知らないこの世界のセオリーを持ち出される度、青年は無知な自分が惨めに映った。
3人が村を離れたのは、夕陽が今まさに岩肌だらけの荒野に沈もうとしている時だった。
カリフォルニアとは違う、人間には厳しすぎる大地。陽が落ちてしまえば、恐ろしいまでの暗闇が訪れた。時折吹く風以外、物音は聴こえない。
そんな時、アーチーは街のネオンを思い出した。けばけばしく、安っぽくて、気品のかけらもないもネオン。普段は何も思わないそれらが、急に恋しくなって来た。
ああ、カレン! 自分の想い人は今何をしているのだろう? もしかしたら今頃は、別の男の上に跨っているのかもしれない。
「ハハッ、ハハ…」アーチーの乾いた笑いは、ウィルとパラティアには聞こえなかったらしい。
(帰りたいなあ、アメリカに)
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