47 はじめてのドタバタ

47 はじめてのドタバタ


 ミックの手元にある鍋の中身は、キラキラと輝いていた。

 鶏肉とノビルが黄金の卵に包まれ、くつくつと煮立っている。


 それはイナホにとって初めて見る料理であったが、すでに美味を想像しているかのようにごくりと喉を鳴らしていた。


「おやこ……どん……ですか?」


 ミックはしゃもじを手に取りながら答える。


「うん。鶏肉と卵を使うからそう呼ばれてるんだ。あとはタマネギを入れるんだけど、無かったからかわりにノビルを使ってみたんだ」


「ほんのり甘くて、とてもいい匂いです……それに、この色……」


「いいでしょ? ダシと醤油とみりんと砂糖を煮込んだやつだよ。あ、砂糖以外はこの世界にはまだないんだった」


 「しまった」と口を押さえるミック。

 しかしイナホはツバを飲み込むのが止まらなくなっていて、それどころではなかった。

 こくこく喉を鳴らす彼女を横目に、ミックはおひつにあった炊きたてのごはんをどんぶりに移していく。

 その上に、とろとろになっている具を乗せれば……。


「できたっ! ふわとろ親子丼の、かんせーっ!」「にゃにゃーんっ!」


 肉球バンザイで喜ぶロックが、「じゃじゃーんっ!」とでも言いたげな鳴き声をあげる。

 レベルアップを告げるファンファーレも重なり、親子丼のできあがりを祝福していた。


 ミックは親子丼を3つこしらえると、フタで閉じる。

 そのひとつを自分用にして、残りはイナホとロックにそれぞれ渡した。


「えっ? わたくしも頂いてもよろしいのですか?」


「当然だよ! じゃあ、さっそく食べに行こう!」


 3人は親子丼を手に、村長の元へと向かう。

 ミックは調理前に、祭のスタッフにちゃぶ台を発注していたおいのだが、櫓の上にちゃんと用意されていた。


「遅いっ! 遅いぞ! 目に見えているくだらん勝負に俺様を待たせおって! さっさとせんか!」


 ミックは村長に怒鳴られてもガン無視で、ちゃぶ台の上に親子丼を置いていた。

 イナホは戸惑っていたが、ミックに促されるまま対面に正座する。


「じゃあ、いただきまーっす!」「にゃーんっ!」


 ミックとロックは合掌すると、親子丼のフタをとる。

 ふわっ、と湯気がたちのぼり、甘い香りが広がっていく。


 それだけで、櫓の下の観客たちはみな釘付け。

 食べ盛りの子供のようにぱくぱく食べるミックとロックを、ヨダレを垂らして見つめていた。


「うん! おいしいっ! こんなおいしい親子丼、初めてだよ! さすがゴールデンファウ! お肉はぷりぷりでジューシーだし、卵は濃厚でしっとりしてて最高っ!」


 イナホも親子丼をしっかりと胸に抱いたまま、その様子を見守っていたのだが、


「さぁ、イナホお姉ちゃんも食べてみて!」


 ミックに勧められ、自分が同じものを持っていることに気づいてハッとなっていた。


「は……はいっ……!」


 いまは祭りの最中、そして大事な勝負の最中のはずなのだが、イナホもう親子丼以外は眼中にない。

 緊張した面持ちでフタを開け、震えるハシでどんぶりの中身をすくいあげる。


 黄金色に輝く鶏肉とぷるぷるの卵、真珠のようにツヤツヤのごはんを、その桜色の唇に……!


「おっ……おいしぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 次の瞬間、村人たちは信じられない光景を目撃する。


 いつも穏やかな微笑みを絶やさず、物静かで落ち着いていて、おしとやかで清楚なあの娘が……。

 所作のひとつひとつが丁寧で、なにがあっても決して乱れることなどなかった、村のマドンナが……。


「はっ! はふっ! ほっ! ほふっ! はぐっ! ほむっ! ほふぅ!」


 どんぶりを手に持って、全力でかきこんでいたのだ……!

 脇目もふらず、一心不乱に……!


 その猛烈な食べっぷりは、さながら部活終わりの柔道部員。

 いや刑務所から出所し、数十年ぶりのシャバの食事にありついた囚人のようであった。


 やがて満ち足りたため息とともに、米粒ひとつ付いていないどんぶりが下ろされる。


「ぷ……はぁぁぁぁーーーーっ! け……結構な、お点前でした……!」


 その顔は、恍惚そのもの。

 同時に、村長の我慢も限界を突破する。


「は……早く! 早く俺様にも食わせろっ! どうせマズいのはわかっておるが、勝負だから仕方なく食ってやる! 食わなきゃ負けになっちまうからな! さぁ、早く俺様にもよこせっ!」


 無粋なその声に、ミックは食べかけのハシを止めた。


「あ、そうだった。おじさんの分をすっかり忘れてた」


 ミックは宝箱からなにかを取り出す。

 それはロック用のエサ皿で、「はいどーぞ」と投げて村長の足元に滑らせた。

 村長の足にコツンと当たったエサ皿には、食べ終えたどんぶりに残った米粒を集めてひとつにしたようなものがぽつんとあるだけ。

 肉はもちろんのこと、卵もノビルも入っておらず、親子丼のつゆが染みたごはんがひと口分あるだけであった。


「なっ……なんだこれは!? 食べ残しか!? 俺様をバカにするのもいい加減にしろっ!」


「食べる前からマズいなんて言うおじさんには、それでじゅうぶんだよ。あ、嫌なら食べなくてもいーよ。負けを認めるならね」


「ぬがぁぁぁぁぁーーーーっ! ふざけやがってぇ! わかったぞ! 俺様が食わないように仕向けて、勝負をウヤムヤにするつもりなんだな!? だがその手には乗らんぞ!」


 村長はしゃがみこみ、ガッとエサ皿を掴む。


「このエサみたいなのを食えば、俺様の勝ちだ! イナホは俺様の嫁となり、小僧は俺様のペットとなるんだ! なにもかも、ぜんぶ俺様のものだっ! ゲコココココココ!」


 高笑いとともに飲み下した直後、


「うんまぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」


 絶叫が、村中に轟いた。

 村長のうまい宣言に、どよめく村人たち。


 しかし当人は、決定的な敗北宣言をしたことも気づかず大興奮。

 エサ皿に顔を突っ込んで、ペロペロと舐め始める始末であった。

 やがて残り香も無くなると、顔をあげていけしゃあしゃあと言う。


「こ……こんなうまいもの、初めて食べたっ! もっと、もっとよこせっ!」


「もうないよ」「にゃーん」


「お前らが食ってるぶんがあるだろうが! そいつをよこすんだ!」


「やーだね!」「にゃーん!」


 どんぶりを持ったまま、ちょこまか逃げだすミックとロック。


「逃がすかぁ! その親子丼は、俺様のものだぁ!」


 村長はもはや他のものなど眼中になく、親子丼まっしぐら。

 美食で肥えた腹をゆさゆさと揺らして宝箱を追いかけはじめる。


 本来ならば止めるはずの立場のイナホは、親子丼の余韻がまだ残っており、うっとりした表情でまどろんでいた。


 追いかけっこが始まった櫓のまわりは、もうしっちゃかめちゃっちゃか。

 すでにミックは宝箱状態で走るのにも慣れていたので、太っちょの中年などに遅れを取るはずもない。


 村長はミックにいいように翻弄されていた。

 狭いところに入り込んだミックを追って柱に頭をぶつけたり、おびき寄せられて壁に激突したり、高い梁の上に登っては突き落とされたり。


 豪華な装束はズタボロ、身体じゅうアザだらけになってノックダウン。

 倒れたその背中をベンチがわりにして、ミックとロックは親子丼を完食する。


 何事もなかったかのように「ごちそーさまでした」とふたりで手を合わせていた。

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