第6話 中庭で(5)sideエリシャ

 魔の森から発生した黒い霧が発生したのは、今から一年前。

 実に七十七年ぶりに訪れた『禍の気』は音もなく王国全土を包み込み、気づいた時には壊滅的な状況に陥っていた。

 河川の氾濫に凶作に疫病、山火事に魔物の襲来。あらゆる災害が次々に押し寄せ、リースレニ王国は闇に閉ざされた。

 『禍の気』の発現から半年。誰もが絶望しかけていた、その時。

 グリッタ聖山の神殿に、空から一筋の光が射し込んだ。

 異世界から聖女が召喚されたのだ。

 黒い霧は瞬く間に晴れ、リースレニ王国は平和を取り戻した。

 そして聖女と王太子は結ばれ……エリシャという婚約者の存在は不要になった。

 エリシャは『禍の気』のもたらした被害にとても心を痛めていた。そして災禍を鎮めてくれた聖女に言葉にし尽くせないほど感謝している。

 更にエリシャは聖女が現れたことに別の意味でも安堵していた。やっと『王太子の婚約者』という大役から解放されるのだ。王国が救われ、孤独な聖女を王太子が救うのならば、この上ない大団円だ。

 エリシャは初対面の宣言通りザカリウスから婚約破棄を言い渡され、『慰謝料』という名の十年間の報酬を貰った。

 婚約期間中、エリシャはまったくザカリウスに恋心を抱いていなかった。

 それよりも、何かにつけて自分を気遣ってくれたテオドールの存在が大きくなっていた。『禍の気』が訪れた時、宰相である父とその補佐である兄と共に被害の対応に奔走するテオドールの姿はどれほど心強かったことか。

 自由になったエリシャは、テオドールに思いを伝えようと決めた。彼はいつも彼女に優しかった。だから、もしかしたら彼もわたくしを――!

 そう考えていたのだが、現実は甘くなかった。

 『王太子の婚約者』という檻から出て、拓けた視界で世界を見回すと、今まで見えなかったものが見えた。

 まず、自分は『可哀想』と言われていた。


『エリシャ様、お辛いですわよね。でも王太子殿下と聖女様は運命だから仕方ありませんわ』

『エリシャ様に非はありませんから、次はきっといいご縁がありますわ!』

『わたくしでよければ相談に乗りますわよ』


 名前しか知らないような同級生達に一生懸命励まされた時は、眩暈がした。

 ザカリウスの名誉の為にも、「彼は元々聖女の熱烈なファンだったのでノーダメージです」とは言えなかった。

 そして次に知り得た事実に、エリシャは愕然とした。

 ――テオドールは、超絶モテるのだ。

 常に女子生徒に囲まれ、黄色い声を浴びている。

 当たり前だ、彼は容姿も家柄も良く、成績優秀で気さくでほがらかな性格。好かれる要素の塊だ。

 学園の廊下、楽しそうに女子達と話すテオドールの姿をぼんやりと眺めていたエリシャは、ふと彼と目が合った。すると彼はすぐに彼女の前まで来てくれた。


『エリシャ嬢、婚約破棄残念だったね。大丈夫?』


『ええ、わたくしはなんとも……』


 苦笑いのエリシャに、テオドールは腕組みして憤慨する。


『ザカリウスも酷なことを。エリシャ嬢、辛い時はなんでも吐き出してくれ。俺で良ければ力になるよ』


 同級生達と同じことを言われて、すうっと血の気が引く。


(……そうだったのね)


 不思議と納得してしまう。テオドールがいつもエリシャに親切だったのは、『王太子親友の婚約者』だったから。今声を掛けてくれるのは、エリシャが『可哀想な王太子の元婚約者』だから。


(なにを思い上がっていたのかしら? わたしくしはザカリウス殿下の付属品であって、わたくし自身エリシャはテオドール様の『特別』ではないのに)


 ちょっと優しくされたくらいで勘違いしてしまった自分が恥ずかしい。


『ありがとうございます、テオドール様。これからもとして仲良くしてくださいまし』


 公務で鍛えた鉄壁の笑顔で返す。

 これで彼との関係は終わったと思ったが……。

 テオドールはそれからも、なにかにつけてエリシャに構ってくる。

 そして今日も、昼休みに一人で本を読んでいた彼女のベンチの隣に気さくに腰を下ろした。でも、


(今回も、王太子殿下と聖女様のお姿を見て、わたくしが傷ついていると思って声をかけてきたのね)


 ここに座ったのはただの偶然でエリシャの落ち度なのに。

 ……こんなに親切にされたら、また勘違いしちゃう。

 エリシャは本を閉じて立ち上がった。


「あの、テオドール様。午後の授業が始まりますので、教室に戻りますね。ジュースありがとうございました。今度お礼を……」


 空のグラスを掲げて言いかけた、瞬間。


「じゃあ、俺とデートしてよ」


 不意討ちにボンッとエリシャの脳が沸騰する。


「デ、デ、デートですか? わた、わたくしと? ええと、あの、よ――」


 ――ろこんで! と答える前に、


「ウソウソ、冗談だよ!」


 テオドールは自分の発言を必死に撤回する。


「からかってゴメン。ジュースくらいで恩に着せたりしないよ。だからまた今度会った時は普通に喋ってよ」


 おどけた口調に、エリシャは露骨に肩を落とした。


「ええ、ぜひ」


 無理矢理作った表情は、ちゃんと口角が上がっているだろうか?


「では、ごきげんよう。テオドール様」


 頭を下げて、すぐにその場を離れる。ともすれば涙が零れてしまいそうだから。

 テオドールが見えなくなると、エリシャは大木の根元にへたり込んだ。


「もう! わたくしのバカバカバカ!」


 囁きの音量でジタバタする。


(あんな冗談真に受けて! テオドール様だって困ってらっしゃったわ)


 勘違いしちゃダメ。彼がわたくしを構うのは、『可哀想な王太子の元婚約者』だから。  エリシャは自分に言い聞かせるけど……。


「でも、話しかけてもらえて嬉しかった」


 空のグラスを抱えて、こっそり独りで思い出し笑いした。

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