ある選択肢 〜異世界転生の前に

於田縫紀

ある選択肢

「申し訳ありませんが、貴方は死んでしまいました。

 これは運営神の手違いなのですが、残念ながら貴方を生き返らせる事は出来ません」


 運営神の1人、女神テストステロンと自称する女は俺に告げた。

 そういえばトラックにひかれたような記憶がある。

 痛いと感じる前に意識が飛んでしまったが、きっとそれで俺は死んだのだろう。


 トラックにひかれて、それが手違いで、そして女神が出てきた。

 こうなれば次に何がくるかは想像がつく。


 ただ物事にはお約束がある。

 まずは条件を確認しておこう。


「このまま生き返る事は出来ない。それなら何が出来るのでしょうか?」


「このままでは魂が霧散し、永遠の死を迎える事になります。

ですからもし貴方が希望すれば、私が管理している世界で生まれ変わる事が出来るように取り計らいましょう。

 勿論お詫びという意味で通常の転生とは違う措置を取らせていただきます。具体的には記憶をある程度残しますし、特典もいくつか付けるつもりです」


 出たな、異世界転生。

 しかしここで焦ってはいけない。

 よりいいチートを引き出すためにも、もう少し情報を探っておこう。

 

「その異世界とはどのような世界でしょうか?」


「我々はその世界をムースクロスと呼んでいます。ムースクロスは地球ほど科学技術が発達していません。また人口もまだまだ少なく、魔獣や魔物と戦いながら人間の居住圏を拡げていっている状態です」


 女神の説明に俺は微妙な不安を覚える。

 これって、ひょっとして……


「地球で言うと原始時代のような感じでしょうか?」


「いえ、生活水準は貴方が住んでいた21世紀初等の日本とそれほど変わりません。

 たとえば平均寿命は80歳を超えています。貧困も比較的少ないですし、インターネットやテレビ、ラジオ等がない代わりに新聞や雑誌、書籍等が発達しています」


 俺がラノベ等で知っている異世界よりも進んでいるようだ。

 しかし科学技術は発展していないと言っていたよな。

 それに魔物や魔獣と戦っていると。

 このあたりをもう少し詳しく聞いてみよう。


「魔獣や魔物と戦っていると言っておられましたね。でもどのようにして戦うのでしょうか。

 科学が発達していないという事は、やはり剣や槍ででしょうか。それとも魔法が使えるのでしょうか?」

 

 魔法があったら万々歳だ。

 俺は昔から魔法を使ってみたいと思っていたのだ。

 是非魔法チートを我が手に!


 しかし女神テストステロン、ふっとため息をついた後。


「魔法なんて不合理な力は存在しません」


 そんな残酷な言葉を吐きやがった。

 ちょっと待って欲しい。


「それなら魔獣や魔物とは剣や槍などの武器で戦っているんですか?」


 それってかなり辛い戦いなのではないだろうか。

 そう思いつつ俺は質問する。


「いえ、地球にあるような鉄製の武器では中級程度の魔物や魔獣にしか通用しません。

 人間の最大の武器、それは筋肉です」


 えっ!? 予想外の単語が出てきた。

 どういう事だ一体!


「筋肉で戦うんですか? 武器無しで?」


 女神テストステロンは頷く。


「その通り、人間の鍛えた筋肉こそ最高の武器なのです。

 筋肉は鍛えればダイヤモンドより強く鋼線よりしなやかになります。最強の魔獣であるジヒドロテストステロンでさえ、鍛えられた筋肉貴族の敵ではありません」


「筋肉貴族!?」


 またわけがわからない単語が出てきた。


「ムースクロスは科学の代わりに筋肉を発達させた世界です。筋肉を鍛えれば怪我もしないし病気もしない。ウィルスだろうと病原菌だろうと鍛え抜かれた身体の前には無力です。

 その中でも鍛え抜かれた筋肉強者が72名の筋肉貴族、そしてその頂点がマッチョ帝となります」


 どういう世界なんだよ、それは!?

 俺はわけがわからない。

 しかし女神テストステロンの説明は更に続く。


「筋肉があれば道具はいりません。例えば農作業、鍛えられた筋肉があれば鍬や鋤といった農具は一切必要なくなります。トラクターよりも早く自在に地を耕すことなどわけもありません。


 自動車も必要ありません。鍛えた筋肉があれば自動車より速く大量に物を運ぶなど訳も無いことです。排気ガスだの環境汚染等という問題もおこりません。

 そう、筋肉こそ万能なのです」


 女神テストステロン、きっぱりそう言い切りやがった。

 しかしちょっと待って欲しい。


「そんな世界では暮らしにくいという人もいるんじゃないですか?」


「貴方がいた日本は、勉強が苦手な人に対しても最低で義務教育9年、多くは更に高校の3年、そして半数近くは大学4年まで勉強なんて事をしたでしょう。


 それと同じです。ムースクロスでは幼い頃から義務トレで全員がバルクアップに励みます。義務トレが終わる15歳なら最低でも時速60km/hで7時間は走れますし、2t程度の物はリフトアップ出来るのが普通です。


 更に専門トレに進んだり高等トレ、そして大トレ、院トレとバルクアップする事で、個人にふさわしい筋肉の使い方を身につける事が出来るようになっています」


 これは異世界だ、間違いなく。

 俺には異常としか思えない世界、という意味で。


 だから俺は聞いてみる。


「他に転生できる世界はないのでしょうか?」


「貴方が選べるのはムースクロスに生まれ変わるか、永遠の死を選んで魂を霧散させるか、どちらかです。

 しかし今回の件は我々運営神のミスが原因です。ですのでムースクロスに生まれ変わる事を選択した場合、幾つか特典を与える事になっています。


 具体的には3歳時にある程度の記憶を思い出す事が出来る他、人の半分の負荷でバルクアップ出来、筋疲労が半分で、速筋線維と遅筋線維両方の能力を併せ持つ最強の筋肉を持つ身体を与えましょう。

 また生まれる家も伯爵位以上の現役筋肉貴族家にします」


 転生特典も筋肉まみれかよ!

 そうは思うけれど、その世界ではとにかく筋肉第一である以上、最高のチートになるのかもしれない。

 今の俺には価値がよくわからないけれど。


「そうは言ってもすぐに決めるのは難しいでしょう。気が済むまでじっくり考えて答を出して下さい。

 ふさわしい場所を用意しました。答が出たら私を呼んで下さい」


 俺と女神テストステロンしかいない空間が変化した。

 様々な機器や道具が置かれた部屋だ。

 具体的にはストレッチマット、各種ベンチ、ダンベル各種、ショルダープレスやチェストプレス等の油圧マシン、更には各種ウエイトマシンやランニングマシン、バイク等有酸素マシン。


 つまりどう見てもトレーニング施設としか思えない部屋。

 これが考えるのにふさわしい部屋なのだろうか。

 脳味噌まで筋肉になりそうだと思いながら、それでも俺は考える。

 筋肉の世界へ転生するのと素直に消滅を選ぶのと、どっちがましなのだろうかと。

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