手は嘘をつかない【KAC20235】

カイエ

手は嘘をつかない

 筋肉が付きづらい体質です。


 父親が超マッチョだったのに、いくら鍛えても筋肉がつかないので、ひょっとして血が繋がってないんじゃないかと疑ったことがあるくらいです。

 実際はバチクソ遺伝子を受け継いでいたので、ドラマもクソもあったもんじゃなかったわけですが、子供の頃は痩せっぽちな体格がすごくコンプレックスでした。


 とにかく食べても食べても肉がつかないのです。


 めちゃくちゃ大食漢なのに、いくら食べても筋肉にも脂肪にもならないし、脳みそにも栄養が行き届きません。


 小さいころは女顔 + この体格のせいでけっこう酷い目に遭いました。

 痴漢に遭って、男だとわかると「紛らわしい」と叱られたことがあります。

 いま思い出しても、ラノベの復讐ものみたいな目に遭わせてやりたいです。

 ちくしょう。


 ▽


 ところで、ぼくの経歴はちょっと変わっていて、最終学歴は製菓・製パンの専門のフランス校なのですが、最初の就職先は調理師学校でした。

 それも、なんと中国料理の専門チームです。

 しかも信じられないことに教員としてです。


 なんでも「手先が器用で細工ものが得意そうなやつをよこせ」と上層部が言い出して、ぼくに白羽の矢が当たったそうです。

 今でも中国料理の細工ものはだいたい作れます。

 変な形の点心とか、野菜の彫刻とかも多分いけます。


 でも、就職当時のぼくには中国料理の知識なんてほとんどありませんから、それはもう苦労しました。

 フランス料理と中国料理の世界のギャップでも大変苦労しました。

 持ち前の凝り性のおかげでそれなりに知識は身につきましたが、今度は実技が必要になります。

 これもゼロからの勉強になりますが、よい師匠などにも恵まれ、1年でなんとか格好がつきました。


 考えれば、本当に人さまに助けてもらってばかりの人生を歩んでいますね。

 ありがたい話です。


 ▽


 さて中華料理といえば鍋振りですが、中華鍋には主に北京鍋と広東鍋の二種類があります。

 具体的には片手鍋と両手鍋です。

 北京鍋は片手鍋なので誰でも簡単に扱えるのですが、広東鍋は両手鍋なので、専用の五徳を利用して鍋を振る必要があります。

 握力、それも親指の使い方が非常に重要になります。


 これを徹底的に仕込まれました。

 しまいには、なみなみと水を湛えた両手鍋を片手で持ち上げることすら苦ではなくなりました。


 すると、左親指の付け根の筋肉が肥大してきます。

 あんなに鍛えても筋肉がつかなかったのに、左親指の付け根だけ超マッチョです。


 これには閉口しました。

 それでなくともあまり格好のいい手ではないのに、ますますみっともなくなったような気になりました。


 最終的には「まぁこれもお仕事だし、しょうがない」と割り切ることにしました。


 ▽


 面白いのが、この手の評判がそんなに悪くなかったことです。

 一般的には、もっとシュッ、スラッとした手が人気なのかと思っていましたが、「変な手のやつ集まれ」みたいなネットのイベントで面白がって写真を撮って送ったら、やたらとたくさん「いいね」が付きました。


 みなさん「いかにも職人さんって感じがする!」「いかにも男って感じがする!」「姫様は、この手を好きだと言うてくれる」などとと言ってくれました。


 でもすみません。その時ぼくはすでに飲食業からは足を洗っていて、全然違う業界にいたのです。


 あと手以外はあまり男らしい見た目ではありません。

 褒められれば褒められるほど、なんだか申し訳ないような気になりました。


 ▽


 さて、ぼくには一つ癖がありまして、それは人と会うとまず顔よりも手を見てしまう、というものです。


 たぶん、建築設計士だった祖父の、親友の宮大工さんの手が特徴的(指が数本なく、しかも傷痕だらけ)だったことも関係しているかもしれません。


 料理人、ピアニスト、打楽器奏者、ペンを使う仕事の人は、とくにわかりやすい気がします。


 もちろん百発百中ではないですし、手を見て職業を当てられるというわけではありません。手を見た時、嘘の経歴を語られれば嘘だとすぐわかる、という程度です。


 顔は嘘をつけますが、手は嘘をつけないというのが持論です。

 そのおかげでいい思いをしたこともありました。


 ▽


 留学中、長期休みバカンスを利用して、いろんな国を旅しました。


 その中でも印象深かったのはオーストリアのウィーンです。

 音楽の街というイメージ通り、ストリートミュージシャンがたくさんいました。


 ぼくはホテルの予約をしておらず、地元の案内所に訪れていました。

(ホテルが取れなかったら普通に野宿するつもりでした)


 そこでへんなオッサンに声をかけられました。

 明らかに欧米人の顔なのに、えらく日本語が流暢なオッサンです。

 そして「ホテルが決まってないならウチにおいで。ここらじゃ一番安いよ」などと言われました。


 もちろん怪しみます。

 虚弱体型の女顔ゆえに、こういう時には非常に警戒します。


 そのオッサンは「モーツァルト」と名乗りました。

 名刺もくれて、日本語で「モーツァルト」と書かれていました。

 ますます怪しいです。

 ついて行ったらきっと売り飛ばされるに違いない、と思いました。


 オッサンはその後も自分がどんなに害のない人間なのかをアピールしてきます。

 曰く、奥さまを愛してらっしゃって、その奥さんは日本人であること。

 家が大きすぎて、バックパッカーを安くで宿泊させるかわりに、音楽を聞かせたり話をしたりに付き合わせていること。

 そしてということ。


 咄嗟に手を見ました。

 ぼくも、素人ではありますが手慰みにドラムを叩いているからわかりました。

 あきらかにガチで打楽器を演ってる人の手、そのものでした。


 ぼくは、それだけですっかりモーツァルト氏を信頼してしまい、後ろを着いていくことにしました。


 ▽


 モーツァルト氏の言っていることは全て本当でした。

 そこには数人のバックパッカーがいて、王侯貴族が住んでそうなだだっ広い部屋で雑魚寝していました(異様な空間でした)。

 そこにはピアノやらチェロがあり、夜には演奏会をするのだそうです。

 日本人でいらっしゃる奥さまも非常にピシーッととした方で、いろんなお話を伺いました。

「お菓子の勉強をしているなら有名どころよりもこのお店に行ってみなさい」とおすすめを紹介さしてくれたり、お手製のお菓子(ウィーンではお店のお菓子は砂糖がけで激甘ですが、家庭で作るお菓子は素朴で甘さ控えめなのです)を振る舞ってくれたりしました。


 とても楽しい時間を過ごさせていただき、シャトーに戻ってからも数度手紙をやりとりするほどでした。


 ▽


 でも、あの時のぼくの判断が正しかったのかは、ちょっと微妙だと思います。


 たとえば、もしも広東料理の職人さんが、今のぼくの手を見たら、きっと「あ、同業者だ」と思うことでしょう。


 でも残念。ぼくは調理師ではありません。

 手は嘘をつきませんが、本当のことを言ってくれるわけでもないのです。


 そう考えると、ぼくがモーツァルト氏を信用したのは、割と危険な行為だったのかもしれません。


 無事でよかったです。


 ▽


 追記。

 痩せっぽちだったのは大人になるまでで、歳をとるにつれ普通に食べれば食べるだけちゃんと肉がつくようになりました。


 目下ダイエット中です。

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