筋肉力士、明石

白浜 台与

第1話 筋肉力士、明石

やあ、俺の四股名しこなは明石。


本名は彦十郎で出身は今でいう東北地方の出身で農家の十男に生まれたから彦十郎だ。


お天道さまのご機嫌次第で飢饉に見舞われる地方の農家の十男で十歳にして身の丈五尺(150センチ)の食っても食っても食い足りたい子供なんて、親兄弟に邪険にされるだけだ。


俺は庄屋の子だから生まれてすぐに息を止めさせられるいわゆる間引きに合わなかっただけでも有難いと思っている。


だけれど寺相撲では負け知らずだから穀潰しの大男にも居場所はあった。


裏では大人たちが相撲の勝敗で賭けをして俺のところの村長が一人勝ちして儲けてたから、ってカラクリがあったけどさ。


さて、そんな俺に転機が来たのは十五の時。江戸勧進相撲の親方が村にやってきて俺の体格を一目見るなりにかりと笑い、


「江戸に来て相撲取りにならないかい?おまいさんなら大関になれる(この時代には大関が最高位だった)」


と誘った。いわゆるスカウトって奴だ。両親ふたおやも俺を追い出してしかも仕送りもしてもらえるってんで俺を親方に押し付けてとっとと俺を江戸へと送っちまった。


信濃から江戸へ向かうにつれて段々暑くなってきやがる夏の頃だった。


親方の部屋に入った俺は「明石」という四股名を与えられ勧進相撲の序の口からデビューして勝ち続け、二年で大関に昇進しちまったい。


なんでそんなに強いのか。って?


その頃の力士は部屋住みではなく長屋を借りて働きながら相撲部屋に通っていたから皆、労働で体を鍛えて錦絵みたく筋骨隆々だったのさ。


どっかの時代の力士みたく部屋で飼われてちゃんこで太らせたぶよぶよとは違うよ。



鍛錬するためわざと重い味噌や塩を運ぶ棒手振り(行商)になったやつもいる。実態は延焼を防ぐための家屋ぶっ壊し屋である町火消しになった奴もいる。


その中でも俺は最も重労働の廻船問屋の船の荷下ろしの仕事に就き、毎日足腰を鍛えていたって訳。


廻まわしを締めて四股踏むたびに地面に吸い付く分厚い足の裏からふくらはぎ、太腿にかけて大地の気が入り込み、けつの肉からせなの筋肉を通って脳天にまで突き上げるあの爽快さは力士になってみないと味わえないよ。


太くなった首の左右に盛り上がり、腕を曲げるたびに富士山みたいに盛り上がる力こぶを俺は最も愛した。


それは、土俵の上での立ち合いの瞬発力となって相手を圧倒して勝ち、褒賞を貰ってお客を喜ばせる力になるからさ!


故郷の親も一家を富ませてくださる明石大明神、と俺のいる江戸の方角に向かって朝晩伏し拝んでいる。と人づてに聞かされた。


まったく調子のいいもんだぜ。




廓(遊郭)でも筋肉の鎧武者、明石。とそれはそれはもててもてて夜の四十八手を披露したもんよ。えっへっへ。


旦那衆に廓に連れて行ってもらい、ほろ酔いで気分で吉原大門を出て行った夜、俺の人生はいきなり終わった。


建物と建物の隙間からそいつの手が伸びて来て俺の襟首を掴み、もう一方の手で梵の窪。いわゆる俺の頸椎をこきっと捻りやがった。


ぐう、とも言えず息の根を止めて俺は倒れた。


「悪いが、最初の横綱候補に上がっているあんたに消えてもらいたいお大名の命でしてねえ…」


と取り巻きの太鼓持ちに化けたその刺客は俺を見下ろして言い、路地裏に消えた。


大関明石の二十七年の人生、一体何が言いたいかって?


結局、大事なのは筋肉より骨!


後記


横綱制度はパトロンになった大名たちによる、土俵の上での代理の戦。水面下では生臭い駆け引きもあった。

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筋肉力士、明石 白浜 台与 @iyo-sirahama

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