影齧虫

こうちょうかずみ

影齧虫

 深夜、灯りのない闇を歩くとき、そいつらは現れ、いつの間にか影を食らう――。


 ――――――――――


 田舎というわけでもないが、都会というわけでもない。

 いわゆる下町というところ。

 この辺は昔ながらのブロック塀が多く立ち並び、街灯もまばら。

 夜12時を回ったとなればなおさらだ。


「ちょっとそこの人」


 突然、闇から声が聞こえ、横を振り返った。


 こんなところにで露店?


 見ると、先程まで何もなかったように思えた場所にブルーシートが敷かれ、その上に男が一人座っていた。

 暗闇のせいで顔はよく見えないが、その手元には傘が握られていた。


「どうしたんです?こんな時間にこんなところ。危ないですよ?夜の散歩は。影齧虫かげかじちゅうも出ることですし」

「影齧虫?」


 男の言葉に、首を傾げる。


「えぇ。闇夜に出る異形の虫です。ほら、闇の中にいると人って自らの影を見失うでしょう?それを狙って影齧虫は人の影を食らうんです」

「食われた人はどうなるんです?」


 男は饒舌に語り続ける。


「光と影は対なるもの。影が消えれば対となる光もまた消えてしまう。つまり影を失った人は光もまた失ってしまい、そして光の消えた者はいずれ命の灯火さえも失ってしまう」

「つまり、死ぬと」

「えぇ」


 虫によって、人が死ぬ――。

 何とも恐ろしい話だ。


「近頃は影齧虫による被害が多くてですね。本人も気づかぬうちに影を食らいつくされてしまうことが多いのですよ。光にさらされたとき、ようやく自分の影がなくなっていることに気づく。しかし、もうそのときには手遅れなのですよ」

「なるほど。ではその傘は?」


 そう言って男の手元を指さすと、男はニコッと口元を緩ませた。


「影齧虫というのは人の影を認識して食事をするのですが、このように傘をさして自身の影を隠してしまえば、影齧虫は人の影に気づくことができません」

「要は、この傘があれば助かると」

「はい。一本1000円です。いかかです?」


 一本1000円。

 まぁ傘としては妥当な値段か。

 それに、そんな怖い虫を防げるというのなら、買っておいたほうがいいに決まっている。


「それじゃあひとつ――――とでも言うと思ったか?」


「え」



 低い声で男を冷たく見下ろす。

 態度が豹変したことに驚いたのか、男の動きがピタッと止まった。


 なるほど。

 この男はこうやって、客を引っ掛けていたわけだ。


 境界線をわきまえぬ痴れ者が。


「場所も変えずに闇営業とは、思い切ったことをしたものだ。この辺は夜暗いわりに、人が多く住む地域だからな。残業帰りで深夜帰宅する人も多いんだろうよ。客が多くて図に乗ったか?」

「な、何者だ、お前」


 先程までの堂々とした態度から一変、男は動揺を露わに声を震わせた。


「影齧虫は確かに、深夜闇の中に出て人の影を食らう異形の虫。いわゆる怪異というやつだ。だが、奴らは普段、人の影のほんのわずかしか食らわない。そりゃあ毎日毎日連続して食われれば、それなりに体にも影響はあるだろうが、そうでもなきゃ、一日にして命を奪われるほどのことはない。一晩二晩寝れば、影なんてすぐに回復する」


 そう。普通、影齧虫はほぼ害のない怪異。

 そのはずだ。


「だがな、確かにお前の言う通り、最近おかしなことを聞くんだ。突然影がなくなった、と」


 男の震える肩が見える。

 そんなに体を縮こまらせても仕方がないというのに。


「さっき言った通り、影齧虫が一日に食べる影の量はごくわずか。人の影を食らいつくすほどの量となると、影齧虫が1000匹は必要だろう。何らかの要因で大量発生したと考えるしかないが――どう考えても自然には起こらないんだよ」


 男の頬を冷汗が伝う。


「事前に調べておかなかったのか?影齧虫はな、10匹程度の群れで普通暮らしている。そして体が小さいわりに、縄張り意識は人一倍強く、群れ同士で生息地をかなり離していることが多いんだ。わかるだろう?一度に1000匹以上が、同じ場所にいることなんてありえないんだよ。そう、例えば――人為的に放たれない限り」


 その言葉に、男ははっと息を飲んだ。


「いい商売だな?影齧虫を使って人を襲わせ、闇夜に影が消えると噂を広め、一方でお前はこうして影齧虫の話をして、信憑性の高まった噂話にほいほいつられ、人は傘を買う。得しかない話だ」


 男の瞳に、にやりと笑った祓い屋の顔が映った。


「だが杜撰だったな。噂話が広がれば、それは怪異を断つ者の耳にも当然入る」

「お前、まさか祓い屋の――!」


 目を見開き、そこでようやく自身の置かれた状況に気づいたのだろう。

 男は大事な商売道具であろう、傘を放り投げ、一目散にその場から駆け出した。

 醜い後ろ姿が街灯に照らされる。


「人間だと侮るなかれ。祓い屋は世のため人のため、怪異を捕らえることだってあるんだ――――黒狼こくろう


 そう低く言い放つと、足元の闇がぬるりと動き、黒く巨大な狼の姿をかたどった。


「食らえ――」




 ――――――――――


「本当に、ありがとうございました」

「いいえ、良かったです。無事影も戻られたようで」

「はい。頂いた薬を垂らしたら、一瞬で影が戻って。今ではもう体もすっかり軽くなりました」


 ペコペコとしきりに礼をしながら、その客は店を後にした。


『捕らえた男、結局どうしたんだ』

「あぁ、あれなら本部に任せたよ。今回はかろうじて死者は出なかったが、あと少し間に合わなかったら大惨事になっていただろうからな。刑はかなり重くなるはずだ」

『へぇ。そんな外道なら、俺が食ってやりたかったなぁ』

「はっ。お前はただ人を食らいたいだけだろうが」


 黒い巨犬を足蹴にし、小さな店の奥へと入っていく。


「今回捕らえた影齧虫は全部で2000匹か。あいつ、結構捕まえてたんだな。――あぁ、影齧虫なんて普段捕まえるのが難しいというのに、こんなことなら、本部に突き出す前に、うちでスカウトするべきだったなぁ」

『俺と言っていることが大差ないと思うのだが?この怪異コレクターめ』


 ここは祓い屋。

 巨大な黒犬が鎮座し、変わり者のコレクターが店主をしている。


 皆様も、深夜に散歩されるときなどは、影齧虫とそれに伴う悪徳商売に、どうかお気をつけて。

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影齧虫 こうちょうかずみ @kocho_kazumi

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