深夜、お腹がすいたから

亜璃逢

深夜、お腹がすいたから

  はぁ、ちょっと休憩にしようかな。


 ゲーマーでもないのにゲーミングチェアなる名前が付いた椅子でう~~んと伸びをする。

 時計の短針がてっぺんを通り過ぎ、数刻たった頃。

 急におなかの虫が鳴きだした。


  こんな時に限って食糧庫にも冷蔵庫にも冷凍庫にもなにもない。

 ん~炭酸水でやりすごそうか。いやでもまだ作業が終わりそうにないからこのままだと胃酸で胃を痛めそうだ。寝るにしたって寝られないだろう。


 一応これでも女性なので、深夜の一人歩きは怖いのだが、とりあえずすっぴんながらも、マスクをつけ、ニット帽を被ってぼさぼさの髪の毛と眉頭がやたら薄い眉毛を隠し、コートをはおって徒歩10分かからないほどの距離にあるコンビニまで、気分転換の散歩がてら行くことにした。

 いろんな場面で不便を強いられているが、こういうときは、マスク生活万歳だ。

 まあ、これでサングラスでもかけていたら、怪しさ全開だが。


 マンションのエントランスを背にして、T字をを逆さにした側からまっすぐ歩く。

 ふと、視界の端を白いものが横切る。


 ふぁっ.......なに!?


 怖いのに、なんでこういうときって、そっちに目がいっちゃうんだろう。両手で顔を隠しても指の間から見てしまうような、好奇心というかなんというか。


 白いものは、なんとネグリジェのようだ。夜目に白いものは淡い色なら全部白に見えるなあ。なんてどうでもいいことが頭をよぎるが、それは置いといて。

 そのネグリジェは来ている人物の背丈より長く、ずりずりと引きずられている。

 冷たい風が、腰くらいまである白髪を揺らしている。


 え、私ニット帽だよ。コートも来てるよ。

 あなた、寒くないですか~?


 いや、そうじゃない。


 カーディガンさえ羽織っていない。薄いネグリジェ。裾を踏んで転んでしまわないか気になりながら足元を見ると、なんと、素足だ。

 足があることに今更ながらほっとする(苦笑)

 いやいや、状況を考えよう。深夜3時過ぎ。

 ネグリジェで歩く、どう見ても白髪の女性.……。

 こ、これはもしや、徘徊?徘徊なの??


 ふと、実家の近所に住んでいた優しかったおばちゃんを思い出す。

 歳を経て、息子さんの家に引き取られていた時、夜中に寝間着のまま家を出て、翌朝五時に保護されるまで外に居て、低体温症で、あくる日息をひきとった。


 ぶるっと身震いして、もう一度、女性を観察することにする。

 でも、ほんとに徘徊なのかどうなのかもわからず、声をかけるのをためらう。


 近くに交番もないし、深呼吸してから110番する。


「はいこちら白樺東警察。事件ですか、事故ですか?」

「あ、田坪と申します。あの、えっと、どちらでもないというか······」

「はい、田坪さんですね。どうされましたかー」

「えーっと、あのコンビニに行こうとしたら、ネグリジェ姿の女性が歩いているのを見つけまして……素足ですし、気になってお電話した次第なんですけど……。声もかけづらい雰囲気で」

「あー、ありがとうございます。徘徊されてる可能性もありますね。ちょっとお待ちくださいね。あー、田坪さんがおられるのは白樺神社前の駅のそばですね?」

「え、なんで!?」

「今、スマートフォンなどからの緊急通報でしたらGPSで位置情報がこちらに……」

「は~。なるほど」


初めて知った。位置情報ONでなくても分かっちゃうんだね。

土地勘がないところから通報して、場所教えてくれって言われても困ることあるもんな。


「あ、お巡りさん、今、女の人、シャッターがあるお店の前で止まりました。駅前、   えーっと東側のロータリーの花屋です」

「どんな様子ですか?」

「ああ、また歩き始めました……踏切越えていきます。もうしばらく様子見てみますが、声かけたほうがいいんでしょうかね」

「ああ、様子だけ見ておいていただけますか。こちらからも、向かわせますので」

「わかりました。お願いします」


 しばらくして、自転車に乗ったお巡りさんがふたり来てくれた。


「あ、東署の方ですか、田坪です。」

「寒い中、見守りありがとうございます。」

「いや、もうどうしたらいいかわからなくって。あ、そうだ、踏切越えて、この道を東へ歩いてらしたんですけど、暗くて見失っ······!!!!!」


 思わずことばを飲んでしまった······

 東を指さしたままフリーズする。

 お巡りさんも一緒にフリーズ。


 なぜなら、3分ほど前に一本道を東へ歩いていったネグリジェ姿の女性が、私たちの後ろ、つまり西側から通り過ぎたのだから……。


 ぐるっとまわって私たちの後ろからくるには少なくとも10分以上はかかるはずだ。

 その女性くらいの年齢なら、20分かかってもおかしくはない。


 お巡りさんも、女性に声をかけるタイミングをすっかり逃してしまっている。


 と、女性は、先ほど止まった花屋の前でまた止まり、ふっとこちらを向いて片方の口の端をくいっとあげたあと、ガラガラとシャッターを開けて、中へ入っていってしまった。


「あ……あそこがおうちなんでしょうか」

「そ……そうですね。ぶ、無事、帰宅されたということで、我々も戻りますが、その前に少し調書をとるのにご協力願えますか」


 あの“ニヤリ”とした顔を見てまたまたフリーズしていた私たちの時間がやっと進み始めた。


 結局空腹を通り過ぎて何欲しくなくなり、コンビニに行くこともなく、帰宅する。かなりの長丁場となってしまった。

 なんと5時前だ。冷え切った体を手っ取り早くシャワーであたため、残った作業は後回しにして、とにかく布団に潜り込む。


 なんだったんだ、いったい。




 あの後ほぼ寝られなかった。

 眠い目をこすりながら、駅に向かう途中、くだんの花屋の前で、白い髪をおだんごにしたかわいいおばあちゃんがこっちを向いて、にっこりと微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

深夜、お腹がすいたから 亜璃逢 @erise

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ