第36話 神域展開
「……開いた! なんだ、ちゃんとできてるじゃない」
ドアが開く。神様さんの横から女の姿が見えた。間違いない、あの日の夜に顔を合わせた女だ。
その女の歓喜に満ちた顔が、こちらを見てさっと青ざめたのがわかった。
「わ、え、いきなりそれって」
「あれで懲りていればよかったのにねえ」
瞬時にふたりの距離が縮んだ。神様さんが跳躍したのだ。
真っ直ぐに突進したように跳んだのに、女にぶつかるわけではなく停止。彼の手は目を見開いた女の腹部に触れる。
決着は一瞬だった。
抵抗なく正面に倒れ込む女を神様さんは支えなかった。続くのはゴツっという鈍い音。顔面を強かに玄関先にぶつけることになってしまったが、大丈夫だろうか。こういう部分で容赦しないあたり、神様さんはとても怒っていらっしゃるのだろう。
女が部屋に入ると同時にドアはゆっくりと閉まった。
だが、問題はここからだ。
ずるりと女の背中から黒い塊が這い出てきた。
目が合う。目らしきものは見えなかったのに。
私が体をぶるりと振るわせるなり、神様さんはその黒い塊の肩のあたりをガシッと掴んだ。黒い塊は慌てたようにハングアップする。
「待ってって。ジョーダン。なにもしない」
黒い塊がふるりと揺れると、表面がパリパリと割れてこぼれた。真黒のかけらは輝く床にこぼれ落ちる前にすっと消えてしまう。脱皮みたいな様子にこわごわと見守っていると、やがて黒い塊は人間らしい姿になった。
烏の濡れ羽色と表現していいだろう艶やかなロングヘアに銀縁の眼鏡を掛けた燕尾服の男が女の隣に立っていた。身長は神様さんより少し高いくらい。よく見たら髪はハーフアップのようだ。髪の間から覗く耳に複数のピアスが見える。
……燕尾服、だよね? どういうチョイス?
私のまわりに現れる怪異たちの姿は一応は人間に寄せているつもりだろうが、いつもどこか奇抜だ。
「ね。その女とは縁を切るからさ、見逃してよ」
「見逃す予定があったら、僕の神域に引き入れたりしない」
軽い調子の燕尾服に、神様さんは凍るような低い声で言い切った。
あー、この金色空間、神域なのかあ。
今もなお私の部屋は金色に光っている。不思議とそれほど眩しくはないのだけど、かなり派手だ。ほんのりと梅の香りがして、どことなく暖かい。
燕尾服の男はへらっと笑った。
「……そっ。だよなあ」
軽いノリで返して頭をカリカリと掻く。やらかしたなあの表情を浮かべているが、その顔を背後の神様さんには向けなかった。
「君の能力はこの空間では作用しない」
「ひっ」
神様さんの掴む手により力が込められたらしかった。服の肩まわりに皺が増えた。燕尾服は顔を強張らせる。
「僕の伴侶に乗り換えようとしても無駄だよ」
「わぁかってるって」
「警告はしたのにねえ」
バキッと何かが砕ける音がした。神様さんに掴まれていた右側の腕がだらんと垂れる。
「いやぁ、オレにも都合がありまして、ね?」
「初めから、君の狙いは僕の伴侶だったんだね」
神様さんが手を動かすと、燕尾服の腕が床に落下した。ごとりと音を立てたかと思えば、さらさらと砂になって消えていく。
「……っ」
痛みはないのかもしれない。燕尾服は苦笑しただけだった。
「ここにいる君が本体ではないことも僕は気づいている。しばらく近づくことができないように刻ませてもらうよ」
「待て、交渉をしよう。な? 穏便に済ませようじゃないか」
「問答無用」
神様さんの腕が横に薙いだ。瞬時に燕尾服は霧散し、金色の輝きに紛れて消失する。
「……さて、こっちも処理しないと」
燕尾服男が消えたのを確認して、神様さんは足元に転げたままの女の背中をポンポンと叩く。すると彼女もまた綺麗さっぱり消え失せた。
「え、消したんですか?」
「この近所の体育館裏に転送したよ。ついでにもう一発どこかに顔をぶつけているかもしれないけど、うっかり転倒してしまったように装ったから、問題ないんじゃないかな」
そんなこともできちゃうんだ。
私はほっとしてその場にへたり込んだ。ピリピリとした気配がなくなったので安堵したのだ。
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