第5話 しばらくお酒は控えよう


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 シーツや枕カバーを含めた洗濯物を適当に自動洗濯乾燥機に放り込み、床に放置されたあれやこれやを決められた位置に戻していく。物盗りに入られたと嘘をついても、この様子ならそうだねって頷かれそうな惨状であった。せめて洗濯物はちゃんとクローゼットに片付けるべきだったと反省する。


「――掃除機とか雑巾とかないの?」

「フロアモップが洗濯機の横あたりにあるかと」

「ああ、これかな」


 そう返事があって、目的のフロアモップを持ってキッチンに戻ってきた。

 彼は三角巾に割烹着姿のお掃除スタイルになっている。どうも形から入るタイプのようだ。これはこれで妙に似合う。イケメンはいいなあ。

 替えのシートを取り出してフロアモップにセットして渡すと、彼は片付いた床を磨きはじめた。指示しなくても的確に綺麗になっていく。ありがたい。


「風呂上がりに掃除になって申し訳ないです」

「掃除を提案したのは僕だからね。汚れたらまた清めればいいじゃない?」


 楽しそうにしながら言うので、私は片付けの手を止めて彼を見上げた。


「……スケベなこと、考えてます?」

「下心はあるよー」


 正直者である。冗談で言っているのではなく、隙あらばねじ込んでやるという気迫があった。迂闊なことは言えない。


「それに、そういうこと、好きなんでしょ?」

「特別に好きというわけじゃないですよ……。あなたを拾ってしまったとき、そういう気分だったってだけで……」


 適度に発散する余裕があったらまだマシだったのだろう。仕事に夢中で過労状態だった上に彼氏の裏切りが発覚してあちこちのネジが吹っ飛んでいた。そういうときこそ、気を引き締めるべきだったのに。

 お酒の失敗はしたことがないつもりだったんだけどな……

 後悔先に立たず。今後はお酒を控えよう。


「そうなのかい?」


 じっとこちらを見る目が何かを探ってくる。綺麗な金色の瞳だ。見つめていたら魅入られそうな気になるのは、神様という属性によるものなのだろうか。


「性欲は解消されたので、しばらくは大丈夫です。お気遣いなく」


 見つめ合っていると内側を暴かれてしまいそうで、私は先に目を逸らした。片付けを再開する。


「僕はまだまだいけるよ?」

「誘うならもう少し工夫してほしいですが」

「ふふふ。僕が本気出したら、きっとご飯どころじゃなくなっちゃうよ」


 上機嫌なテンションの声。こういう会話だけでも満たされるようだ。彼は張り切ってモップがけをしてくれる。


「まあ……そうですねえ」


 適当にあしらって、私は床から荷物が消えたのを確認する。不要なチラシは後で紙袋に突っ込んでゴミ捨て場に持って行こう。ダイレクトメールも緊急性の高いものはないことを確認できたので、分別して処分だ。

 私は時計を見る。まもなく十一時だ。


「そろそろ、かな?」


 インターフォンが鳴る。出前が来た。エントランスの鍵を開けて部屋まで来てもらうことにする。もう一度インターフォンが鳴って、私はカメラで相手を確認するとドアを開けた。


「ご注文ありがとうございます。特製バケットサンドとコーヒーフロートをお持ちしました……って、いや、マジなんだな」


 出前を届けてくれた青年が、私の背後にいる割烹着姿の彼を見て顔をあからさまに顰めた。


「アニキにも見えるのね……」

「人間でもなさそうだな」


 私たちは彼から見えないようにヒソヒソ話をする。神様が本気を出したらこの会話なんて筒抜けなのだろうけど。

 そう。私は出前にかこつけて助けを呼んだのだった。行きつけの店で働いている実兄を召喚することに成功した。なお、彼は異形に好かれることはないし祓うこともできない一般人寄りのステイタスだが、見分けることは可能である。たぶん、私のせい。


「どうしたらいいと思う? 御守りも失くしちゃったし、外出できないんだけど」

「御守りは取り寄せてるから、ちょっと待ってろ。夕飯の差し入れには間に合わせるから」

「さすがはアニキー!」


 頼んだ食べ物が入った紙袋を渡される。ここの特製バケットサンドは具沢山で大好きだ。パリパリのバケットが芳ばしいのも好ましい。少し甘めの特製ドレッシングが最高である。

 お腹がぐうと鳴った。


「ってか、アイツはどうしたんだ、ケイスケは」


 元カレの名前が出て、私はムッとする。


「アレとは縁が切れた。新しい女作ったから用済みなんだって」


 紙袋の上を開封して中身を確認する。いい匂い。閉じたままだと湿気でパリパリ感を損なうので、こうして換気する必要があるのだ。

 兄が小さく舌打ちをする。


「親同士が決めた許嫁なのに。オレは聞いてねえぞ」

「気まずくて言えなかったんじゃない?」

「オレから連絡しておくわ」


 兄が頭を抱えている。申し訳ない、巻き込んで。

 ん、待って? ケイスケが許嫁? 親が決めた婚約者ってこと?


「話は終わったかい?」


 混乱していると上からヒョイっと手が伸びてきて、私が抱えていた紙袋が奪われた。


「お兄さん、はじめまして。これからは僕が彼女を守るから、心配しなくていいよ」

「……いや、心配はするだろ、大事な妹なんだ。どこの馬の骨かわからんやつにやれるような神経はあいにく持ち合わせていないんでね」


 挑発しないでください、兄さん。

 ニコニコと友好的な態度の彼に、兄は噛み付くような視線を送った。

 私と違って背が高くゴツい上に目つきが悪いことで定評のある兄である。中身を知っているから私は怖くないのだが、こうして睨みを効かせると一般人はだいたいビビるものだ。


「君は……梓(あづさ)くん、かな。仲良くしようよ。争うのは好きじゃないんだ」

「それは貴方の出方次第です。妹に手を出したら許さない」

「あー、じゃあ、許されなくてもいいや」


 困ったように笑って、神様は紙袋を持って引いた。

 その言動に、兄は思案する間を開けて私を睨む。困惑も混じった視線に、私は冷や汗が止まらない。


「まさか、お前……」

「やけ酒の勢いで契ってしまったらしいです……」


 契約という意味でもあるし、肉体的な意味でも自称神様と契ってしまったのは事実だ。認めたくないけど。


「なんでまたそんなことに」

「記憶もなくてですね……」

「お前……はあ。もういい。あとは任せておけ。あまりそいつを刺激するなよ。夕飯の差し入れにもう一度訪ねてやるから」


 大きなため息とあきれた気持ちを微塵も隠さない言葉。私は苦笑するしかない。ごめんな、兄さん。


「お願いします」

「じゃあ、また後でな」


 そう告げて、もう一度神様を一瞥し、兄は家を出て行った。


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