少女と「醤油差しの人」

里場むすび

色々なことがうっとうしい年頃


 夜歩きが好きだ。

 とくに深夜、人気ひとけのない街中を散歩するのは心地がいい。


 理由は色々ある。


 人がいないから。

 空気がひんやりしているから。

 月が煌々と輝くから。

 口うるさい親も兄も、ここには来ないから。

 醤油差しの人がいるから。

 道端の茂みの奥で猫ちゃんが丸まっていて癒やされるから。


 もこもこのジャケットのチャックを締めて、私はスキップするように歩く。


 一人きりの街路。

 一人ぼっちの街灯の下。

 動く影はひとつきり。

 この季節は虫もあんまりいないから本当に気持ちがいい。


 ——私にはたくさんの兄弟がいる。なんて言ってもいるのは兄ばかりで、私は末っ子の末妹にして長女。そんなだから、今までずっと家のなかでは肩身の狭い思いをしてきた。


 一番上のお兄ちゃんは良かった。結婚もして子供もいて、普段は東京で都会の生活を送っている立派な社会人だ。そのおかげか、デリカシーがある。


 だが、その下は違う。デリカシーのデの字も——いや、テの一番上の横棒さえも、持ち合わせていない。なんであいつらは私に生理が来たと分かったら揃いも揃って買ってきた赤飯を近隣住民に配り出したのだろう。時代を30年は間違えているのではないだろうか。


 いくらここが田舎町——と聞いて都会の夢見がちなサラリーマンがイメージするような自然の豊かさなんてものなんかない、寂れた、都市未満の地方都市——だとしても、そんな恥ずかしいこと、しないでほしかった。


 はあ、とため息。ふと思い出して憂鬱な気持ちになってしまった。


 あのバカどものせいか、次の日にはもう学校中の全員が私にアレが来たことを知っていたみたいだし…………。兄、どころかこの街自体、一体どうなっているのだろうか。


 そのことを話して文句言ったら「みんなの理解が得られるんだからいいことじゃないか」なんて呑気に笑って…………ああ、またむかついてきた。


 フンっ。こうなったらバカ1号から盗んだ財布の中身、全部使ってやる。コンビニで肉まんとかおにぎりとかケーキとか買えるだけ買って、みんな一人で食べてやる。


 そんなこんなで目的地が決まり、最寄りのコンビニまで歩いていく。子供には売ってくれないと聞くけれど、今日はたしかバカ3号が深夜のシフトに入っていたはず。なんだかんだ私に甘いし嫌われたくないとか言ってるから売ってくれるだろう。


 ——と。そんなことを考えながら歩いていたら、遠くの街灯の下におっきな影があった。

 醤油差しの人だ。

 砂時計のくびれを上に寄せたような形のからだ。くちばしのような出っ張りが二つ、右端と左端にある頭。それがなんだか家にある醤油差しに似ているから、そう呼んでる。


「こんばんは」


 近くに行って頭を下げると向こうも「こ■にさ■」と挨拶する。礼儀正しい人なのだ。子供の私が相手でも耳の痛くなるようなことは言わないし、なんというか、対等に接してくれてるような感じがする。


「あれ、今日はみーちゃん撫でてないんですか?」


 私が見かけるときはいつも、みーちゃん——この辺をうろついてる野良猫だ。バカ3号が猫アレルギーだから仕方なく、外で餌をあげたりしている——を撫でていたのに。


 醤油差しの人と初めて会ったときもそうだった。道端にしゃがんで、ゆっくり優しく、みーちゃんを撫でていた。私は、あんまり人に懐かない、私ですら撫でられるようになるのに時間がかかったみーちゃんを撫でてるこの人を見て、びっくりした。

 たしかにその姿は独特で、ほかの人とは違うけれど。

 それ以上にみーちゃんが大人しく撫でられているという事実の方にびっくりして、そしてこう思ったのだ。


 ————この人は、きっとわるいひとじゃない。


 実際、その通りだった。この人は周りの大人やバカどもとは違う。ウザくないし、愚痴を聞いてくれるし、頭が良くていつも面白い話をしてくれる。


 とにかく、この人と一緒にいると時間があっという間に過ぎてしまう。「もう、時間だ■ら」と言ってどこかへ行ってしまうまでの数十分。それがとても楽しい。みーちゃんも一緒だから、尚更に。


 なのに、今日はみーちゃんがいない。いや、野良猫なんだからいつも一緒とは限らないか。

 …………あれ? じゃあなんで今までは一緒だったんだろ。


「みぃちゃん、は、こ■だよ」


 醤油差しの人はそう言って自分のお腹を撫でた。そして自分の足元を指差す。


 ぽたぽた、なにか、なまぐさいものがこぼれていた。


「あカちゃん」


「…………?」


「でき■よう、なった」


 とつぜん、なんのはなしをしているんだろう。


 醤油差しの人が手を伸ばす。


 ————あれ。なんで私、こんなわけわからないモノを、「人」だと思ったんだろ。

 言葉もところどころヘンなのに、どうして「面白い話をしてくれる」なんて、思ってたんだろ。


 にげ、なきゃ。


 とっさにそう思っても、身体が、動かない。

 気付けば、みーちゃんのことを思い出していた。

 みーちゃん。いつも大人しく撫でられていたかわいい野良猫。警戒心がそれなりに強くて、知らない人が触ろうとするとすぐにふしゃーって威嚇する子。


 あの子が大人しく撫でられていたのは————もしかして————


 ぴと。


 バケモノのやたらと細長い指先が、私の肩に触れた。その時。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!」


 ぴりぴりと肌がひりつくような声で、ソレは絶叫した。


 耳を塞いで、「あれ。身体が動く」と気付いて目を開けると……


 そこにはもう、何もなかった。


 いや。


 正確にはひとつ。なまぐさくて黒い、血みたいなものが、ちょうどバケモノが立っていたあたりに落ちていた。

 それが、さっきまでの出来事が夢じゃなくて現実だという、証だった。


 それから私は走ってバカ兄3号のいるコンビニに向かった。冬の夜を走ったせいで唇が痛くなった。バカ兄は店に飛び込んできた私にびっくりした様子だったけれど、何も聞かないでバックヤードにかくまってくれた。


 ……なんだ、案外デリカシーあるんじゃん。


 兄のことを少しだけ見直して、私は寝た。


 悪夢は、見なかった。


(了)

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少女と「醤油差しの人」 里場むすび @musmusbi

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