真夜中のウォーキング

葉月りり

第1話


 夕ご飯の片付けを終えてお風呂の準備をしたらウォーキングシューズを履いて外に出る。リュックには水と懐中電灯、スマホは斜めがけ。真夜中の散歩が日課になって10ヶ月になる。


去年の夏、何気なく受けた無料骨密度検査で要再検査と言われて病院に行った。


「骨、スカスカですよ。このままほっとくとクシャミでも骨折する寝たきり予備軍になっちゃいますよ」


 この年になるとどこかしら悪いところは出てくるものだけど、骨かあ。


「とりあえず、薬で骨量が減るのを防いで、食事に気をつけて日光浴と運動ですね」


 運動?わー、苦手。


「毎日二、三キロ歩くといいですよ。足の血行を良くするといいんです」


 あ、それでいいんだ。でも、毎日かー。

仕事から帰ってからまた出かけるのって、億劫なんだよね。


 何かもっと楽な方法がないかなと調べたりするが、やっぱり歩くのが一番リーズナブル。

 夫に話すと鼻で笑われた。お前にそんなこと続けられるわけがない、三日がいいとこだと。

 確かに、りんごダイエットも炭水化物抜きダイエットも三日と続かなかったけど、なんか悔しい。だって、今回は切実さが違う。老後のQOLがかかっている。


 熱中症を避けるために夜中に歩くことにした。日にあたりながら歩くのが良いらしいけど、夏はムリ。だけど、夏が終わっても時間が固定されて真夜中に歩くのが習慣になってしまった。


 真夜中でもアスファルトは冷めなくて、むわーんとした空気の中を泳いでいるようだった。外に出ただけで汗が吹き出す。毎日もうやめちゃおうかと思ったけど、夫の「三日がいいとこ」と言う言葉と「寝たきり予備軍」の言葉が浮かんで歯を食いしばった。


 そのうち、季節も移ってグッと楽になってきた。人も車もあまり通らないシーンとした道を虫の音だけを聞きながら歩くのは気分良かった。


 銀杏の葉が降る頃になると夜歩くことが当たり前になって、悪天候で歩けない日は気持ちが悪いと感じるようになってきた。小雨くらいなら傘をさして少しでも外に出るようにした。


 冬、モコモコダウンにマフラーぐるぐる巻きで歩く。寒くて辛いんじゃないかと思ったが、五百メートルも大股で歩けば、もうポカポカ。澄んだ夜空に月を見たり、星をみたり、スマホで星の位置を調べたり。ただの住宅街だけど、人にも車にも行きあわない、世界に一人だけのような気がしてくる。


 お正月が過ぎて少し経った頃、歩いているとどこかから良い香りが漂ってきた。


 甘い、でもスーッとするような爽やかな香り。正体を確かめたくて、ぐるぐる歩き回ってみつけたのは、あるお宅の庭にある梅に似た木。道路にはみ出た一部を懐中電灯で照らしてみると、透き通るように輝いた。

 こればかりは本当の色を見たくなって、次の日、明るいうちに出かけてみた。黄色い蝋細工のようなツヤのある花、こんな花びらの花があるんだと初めて知った。


 春が近づいて花の香りがよくするようになった。暗くて本体がどこにあるかわからなくても、花の中を歩いているような気がした。


 梅の香り、沈丁花の香り、そして、いよいよ桜。


 公園はちょっと怖いのでいつもは通ることはないのだけれど、桜の時期は別。近所に桜をライトアップしている公園があって、そこは外せない。

 九時くらいまでは夜桜見物の人がでているみたいだけれど、この時間になると誰もいない。花吹雪の中に一人佇むのはとても贅沢に感じた。


 花は順番に入れ替わってそろそろ紫陽花の時期。雨も多くなるだろうけど、なるべく外へ出よう。最近は夫も頑張ってるねと言ってくれる。


 またあの辛い夏を乗り越えたら、私も少しは骨のあるやつになれるかな。

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真夜中のウォーキング 葉月りり @tennenkobo

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