喫茶; 月の踊り子

杜松の実

  

 中瀬さんがこの店に来るようになってから、二度目の夏となった。すっかり顔なじみの常連さんだ。週にだいたい二から三回ほど、決まって三時くらいに来てコーヒーを頼む。夏ならアイス、冬ならホット、と代わり映えはない。

 うちのメニューはそれほどバラエティに富んでないとはいえ、コーヒーばかりを飲むとは。一回、アイスティーを勧めたこともあったけど、やんわりとやさしく笑顔で断られた。丁寧な言い方だったけど、意思の硬さって言うのかな、絶対コーヒーを飲むっていう決意が伝わって来た。だから、それからは何も勧めないことにして、言われた通りにアイスかホットを出している。

 とは言え、うちに来はじめた頃は、もしかしたらいろいろ頼んでみたのかもしれない。それでどれもこれも口に合わず、とコーヒーをひたすら飲んでいるのかも。だとしたら、とっても申し訳ない。むう、忸怩たる思い。店長、現場の改善が必要かもしれませんッ!

 中瀬さんの第一印象はない。そもそも、いつが初めてかさえも分からない。気づいたら常連になっていた――ほかの多くの常連さんもそうだけど。あれ、あのおじさん前も来てたな。そうだ、前もコーヒー一杯で何時間も居座ってた人だ。こんな感じで私に顔を覚えられたら、常連さんの仲間入り。

 中瀬さんは、塾の講師をしているらしい。教えているのは数学と物理だとか。さすが、黒縁眼鏡は伊達じゃない。頭良さそうで頭がいい。なんでも、何年も同じことを教えていると、授業の準備をすることはほとんどなく、それで昼間は暇なのだそうだ。そこで、健康を気にかける年にもなったと、ウォーキングを始めようとすると、時期が悪く夏に思い至ったものだから二十分も歩かない内に疲れ果て、そこに偶然めぐり合わせたのが、この店だったと言う。以前にも数えるほどは来たことがあったらしいが、それも随分前の話だそうで、久しぶりに入ると居心地がよく、それからは二十分歩いてこの店でコーヒーを飲み、それから仕事場まで歩いて行くのを日課としたそうだ。

 たったこれだけのことを聞くだけで、冬を越して春になった。私は結構、コミュニケーションには自信がある方で、この喫茶の、ひいてはこの商店街の看板娘として、みんなから蝶よ花よと可愛がられている。

 話しかけると中瀬さんは、笑顔で答えてはくれるものの、すぐにまた本に目を戻して、これ以上話しかけてくれるなよ、とガッシャーン、シャッターを下ろす。あれ絶対営業スマイルだ。これでちゃんと生徒から慕われているのか心配になる。そういうの、結構敏感に感じ取ると思いますけどね、最近の若い子は。おかげで三ラリー以上会話が続いた試しがなかった。シャッターに果敢に挑んでも、「ああ」とか「うん」とか、曖昧な気の抜けた返事をされて終わってしまう。別にいいんですけどね。お客様人それぞれ、気分よく過ごしてもらうのが喫茶店なので。

 うちの店は小さいながらに、たくさんの常連さんに愛されている。地方の田舎街だから喫茶店がそんなにないのも理由の一つ、というかそれが理由のほとんどだとは思うけど、みんな居心地良さそうにくつろいでくれている。かわいらしいおばさま方のお茶会や、お母さま方がランチのついでに立ち寄ってかやかやとお話したり真剣に情報交換していたり、おじいさんたちがぞろぞろ来てはくだを巻いていたりもする。常連さんたちが一同に会するようなことがあれば、たちまち店は溢れかえってしまう。どころか、二号店、三号店も建てられてしまいそうなほど、この店は街に愛されているのだ。えっへん――ちょっぴり自慢げ。

 でも、そんな心配はいらない。こういうのを杞憂と言うらしい。最近、中瀬さんに教わった言葉だ。まるで示し合わせているみたいに、常連さんたちは入れ替わり立ち代わりに来ては、「明莉ちゃん、こんにちは。今日も暑いね」なんて言って。なんだか、この街の人たちが「このお店は潰させまいぞ」と意気込んで、シフトを組んで来店してくれているみたいだ――もちろん、これも杞憂だけど。

 私にはミッションが課されている。それは、経営改革! 新規のお客様をえっさほいっさと開拓しなければ、早晩この店は立ち行かなくなってしまうのだ。こっちは本当の心配事。お客さんはたくさん来てはくれるけど、一杯二五〇円のコーヒーだったり軽食だってほとんど利益なし。それに回転率は悪いから、薄利多売なんて喫茶店には縁はなし。お客さんも四六時中誰か居る訳じゃない――うちは二十四時間営業ではないことは補足しておきます。

 そこに私のバイト代を差し引けば、ほとんど店長の手元には残らない。それは別にいいの。店長は結構なお年だし――たぶん私のおじいちゃんより年上? それに、ほとんどお昼寝していて働いているのは私だから。でも、こんなに赤字すれすれの低空飛行経営じゃ、何か大きな風でも吹けば、あっという間に倒産。

 それは困る! ここ気に入っているし、大きな声じゃ言えないけど、ゆくゆくは私のものにならないかな、なんて考えていたりもする。だいたい、この状況を黙って見過ごすのは、なんか許せない。

 店長はやる気なく寝てるだけ。私の好きにしていいって。でも、値上げは駄目、近所のばあさんらが困るからって。わかるけど、それでお店畳んじゃったら意味ないじゃん、とは思いつつ、自由にやらせてくれるということなので、予行練習のつもりでいろいろやってみることにした。

 改革案の第一弾、夏のかき氷作戦。去年、夏休みに合わせて始めたところ、男児を中心に大盛況だった。このときは、私って商才あるじゃんと、鼻を高くして、氷を盛った器をお盆に載せてホールを踊っていたものだ。かき氷、なんてったって水だ、原価は知れてる。一杯九〇円だって儲けは大きい。これを夜店では三、四〇〇円取るのだからアコギな商売だ、って気づいてしまったのはちょっと残念、これから買うのを躊躇しちゃいそう。

 かき氷のおかげで、閑古鳥の鳴いていた午前にも客入りが、安定して期待できるようになった。驚くことに、十時のオープン前に店先で待つ人まで現れた。小学生男児、彼らの若さにみなぎるエネルギーは図り知れない。なんと、十時には既に、一遊びして来たあとなのだ。汗で頭をびっしょりと濡らした四、五人の小学生が、軒下の小さな日陰の中で団子になって、ゲームかアニメかなんかの話をしていた。暑いだろうから「中に入ってもいいよ」と声をかけても、「いえ、まだ十時になってないんで」と断られた。大人びているなあ、というか、むしろ子供っぽい立派な態度に、この子たちの正義を邪魔しちゃ悪いなと思って、それ以上構うことはしなかった。熱中症で倒れちゃわないかな、とひやひやしながら様子は伺っていましたけどね、大人ですから。

 ランチ前には部活を終えた中学生が来てくれるし、常連さんもかき氷を使ったフローズンドリンクを注文してくれたおかげで、売り上げは上々だった。

 それですっかり自信を付けてしまった私が打ち出した第二弾は、冬季限定ロイヤルココア作戦だった。これが、認めたくはないが、成功とはならなかった。人が少なくなる夕方の集客を見込んで展開した訳だが、なぜか売れなかった。おかげでココアパウダーは在庫と化し、ポップに書かれた「冬季限定」は、上から「おすすめ!」と書かれた紙が貼られ埋もれる形となった。

 なにが悪かったのだろう。ココアは粉から練るという本格っぷり。なんと、練るときにバターを使う高級仕様、そこにハチミツ、ホットミルク、隠し味にちょっぴりのお塩。これだけ手が込んでいるのだから、お値段はうちでは高めの四五〇円。どうしても提供に時間がかかってしまうのが玉に瑕だが、人の少ない夕方なら問題はなかったはずだ。そういえば、中瀬さんは一度も頼まなかった。店中に貼ってあるポップが目に入らないはずがないのに。

 夕方になると客足は遠のく。お母さま方は夕飯の準備があるからなのだろう。すると、店内は急に涼しくなったみたいに静かになって、残るのは中瀬さんだけということがよくあった。私は沈黙に弱いたちで、それで中瀬さんに幾度と声をかけた訳だが、結果は惨敗。「中瀬さんって、お仕事なにされてるんですか?」「塾の講師です」終わり、な感じで一言二言呟くだけで本に帰ってしまって、やんわり拒否られる。

 春先に、中瀬さんはぱったりと来なくなった。お仕事の配置換えだったりと、春から来れなくなる常連さんはままいる。けれど、そうした常連さんは挨拶に来てくれることが多い。中瀬さんからはなかったが、そういうことをしそうにない人にも思えたので、もう来ないのだろうと、脳内の常連さんメモリーから消しかけていた。

 すると、三週間ほどして、普段と同じような素振りで店に入って来た。「お久しぶりです」くらい言ってもらえるとリアクションしやすいのだけど、そこは中瀬さんらしく無言で入って来て、おばあさま方の会議の脇を通って奥の窓際の席についた。私がお冷を持って注文を取りに行っても、「ブレンドコーヒー」とだけ言って鞄から本を取り出していた。

 四時を過ぎ、お客さんは中瀬さん一人になった。この頃になると、四時でもまだ空は明るく、向かいの民家越しの沈み始めたばかりの陽が、中瀬さんに当たっていた。そのコントラストのせいな気がする。私はまったく不用意に中瀬さんの前に座った。それは文字通りのだった。何も考えず無意識に。だから、私は自分でもびっくりしていたけど、それ以上に中瀬さんは驚いていた。本を両手に開いたまま目をまん丸にして、私のことを見詰めていた。驚くと言葉が出ないなんてよく聞くけどそれは、驚くとその人の中から言葉が居なくなって空っぽになるってことなのだと思う。そのときの中瀬さんの目から、本当に空っぽになっているのが分かったから。そんなことに瞬間的に気づくと、優越感って言うのかな、余裕が出てきて――自分より緊張してる人が居るとリラックスできる理論と同じやつ――それで私聞いてみた。

「それ、何読んでるんですか?」

 別に興味があった訳じゃない。多分、すごくどうでもよかった。私もまだ混乱してたんだ。だから、咄嗟に聞けることがそれくらいしか思い浮かばなくて。でも、何か言って、先手を取らなければ、っていうのがどこかで分かっていたから、焦っていたのだと思う。

「ああ これ?」

 中瀬さんはほっとしたような顔をした。そんなに不安にさせてたの、と申し訳なく思ったけど、ちょっと面白くてうれしかった。でも、それもそうか。いきなり店員さんが向かいに座ったら怖いな、ふつうに。

 つらつらと本を紹介してくれた。それはある詩人に関するものだった。石原吉郎という、戦後を代表する詩人の一人らしく、最近の映画でも取り上げられた旧ソ連の強制収容所(ラーゲリ)を経験した人らしい。「伝記かなにかですか」と聞くと中瀬さんは困った顔で「そうじゃないんだけど」と声を濁した。分類としては評論というものに位置するらしいが、私には評論がなにかさっぱり分からないし、中瀬さんもよく分かっていない様子だった。

「どうして読んでるんですか?」

 塾の先生、それも数学と物理――どちらも最大限に私がキライだった科目だ――の先生が読むものとしては自然に思えなかった。だから、知りたくなった。猫を殺すのは好奇心、の好奇心が矢みたく中瀬さんに向かって、ビュッ、と飛んで行く。

「うん。興味があって」

 あっからさま。途端に距離を感じる声と表情。会話の終わりの合図、LINEで言えばおやすみのスタンプ。私の放った矢は届くことなく、ばっさりとその鼻先で切って落とされた――その頃、宮本武蔵の漫画を読んでいたのです。敗兵は去るのみ。私は黙って業務に戻った。

 しかし、その日からというもの、私は図々しくなった。別の言い方をすれば馴れ馴れしくなった。中瀬さんを驚かせて子どもみたいなまん丸な目をさせた数瞬が、弱い部分を知った途端に親近感が湧くみたいに、私を少しだけ変えた。

 例えばこんな感じ。お冷のお代わりを注ぐと中瀬さんは決まって軽く会釈して、また本の続きを読む。私はピッチャーを手に提げたまま、

「詩って、よくわかんないんですよね。小説とかは割と読む方だとは思うんですけど、詩はなかなか。手が出なくって。ほら、テレビで俳句の番組やってるの知ってます?「うん」そういうの見てても、俳句の説明聞いて初めて、なるほどなあって、良いこと書くなあって思うくらいで。五七五……十七文字でそういうことを表現できるのはすごいって思いますよ。で、それを読み解ける人からすれば、それが楽しめるのも分かります。でも、私にはわかんない。小説で書いてくれたらわかるんですけど。いや、そういうことじゃないってのはわかるんですよ。それが俳句のよさなんですし。「うん」私も詩とか俳句とかわかる人になりたいなあ」

 中瀬さんは生返事をするだけで、ほとんど私が一方的に話していた。長々と話すことはしない。時間で言えば一、二分くらいのものだと思う。聞いていないってことはないようだった。返事が適当なのはただ面倒なのか、あるいは緊張しているのか。年が、多分二回り近く離れている娘に話しかけられて、緊張しない人はいないでしょ?

 店の近くに桜のきれいな公園がある。だから、この時期は繁忙期となって、オープンからクローズドまで、お客さんが途絶えない。これは夜間のライトアップのおかげでもある。春でも夜になれば、この標高も相まってなかなかに肌寒い。そこでテイクアウトのコーヒーがよく売れるのだが、今年はココアも出してみたところ、これが大成功だった。ロイヤルココアで打った下手が、ここでちゃらになった訳だから気分は上々だった。店内もやや騒々しくなって、中瀬さんみたいな静かな時間をゆったり過ごしたい常連さんは、この時期ばかりは足が遠のく。

 桜が散るとまた常連さんたちは戻ってくる――戻ってくる、なんて鮎やニジマスみたい。この喫茶店からだけ見える、春の風物詩。実りの春の終わりを告げる風物詩なのだ。そしてまた、嵐の前の静けさ、と言うと大げさだけど、隙間のような日常がそこにはあった。程よく静かで、程よく賑やかで、誰もがのびのびと、朗らかにくつろいでいるように見えたのは、春の陽気のせいだけではなかったと思う。その頃の私は、お客さんと話す笑顔の下に、「ああ、どうでしょう。今年ばかりは梅雨がなくてもいいのではないでしょうか」と祈るような気持ちでいました。

 でも、残念。梅雨が来ました。当然です。本気で来なければいいのにと思っていた訳でもないし、来ない筈も無いと分かっていたけど、じめじめとした気持ちにはなってしまう。この街の、畑とか田んぼとかあと生態系に影響を与えない範囲で、という注釈付きで、梅雨が避けてくれればなあ、という夢物語を妄想するくらいに、梅雨がきらいだ。

 梅雨は、一年で最も退屈とした時間だ。一日を通してお客さんが来ない。店長は飽きて――諦めて?――二階の家に引っ込んで、寝てるかテレビを見てるかしている。そもそも、店長がアルバイトを雇おうと思い立ったきっかけが、梅雨のこの退屈さだった。退屈が生成するフラストレーションは、三十年以上店を切り盛りしてきた店長を怠け者に変えられるくらいだ。私にだって作用する。

 雨の中でも変わらず習慣的に訪れてくれる数少ないお客さんの中に、中瀬さんもいる。仕事の前に寄っていただけだから、雨だろうとルーティンは崩れることなく来てくれる。定位置の窓際の席に座って、しとしとと降り続ける雨に関心なさそうに、平然と本を読んでいた。

「お代わりいります? 出涸らしですけど」

 それは、お客さんに出したコーヒーのカスからとった二番煎じで、私が自分で飲む用にしているものだった。もちろんお客さんに出したことはなかったし、何しろその時期にはコーヒーを飲んでくれるお客さん自体が少ないものだから、出涸らしは貴重な私の飲み水、持て余した暇をかろうじて埋めてくれる嗜好品だった。つまり、それを中瀬さんにどうぞと差し出した当時の私は、どうかしていた。

「あ。じゃあ、いただきます」

 押し出された空のカップに出涸らしを注いだ後も、その場で立ったままでいると、私が左手に持って来ていた空のカップに気づいたのだろう。「どうぞ」と言って、向かいの席を示してくれた。さすが先生、察しがいい。でも、どうぞと示した仕草が面接を思い出させて、にやつきながら座ってしまった。いくら察しのいい中瀬さんでも、私がどうして笑っているかはわからなかっただろう。気分を悪くさせてしまったら嫌だし、それ以上に恥ずかしくて、慌てて真顔に戻した。

 そして押し黙ってしまった。ここからはノープランだった。何か話さなきゃ、何を話そうと考えると同時に、やってしまったと後悔した。全部梅雨のせいだというやりきれない怒りも片隅にあった。思い立ったが吉日、善は急げ、な性格でこれまでも何度も失敗してきた。「急がば回れって、あんた何回言えばわかるの」と母に怒られるまでがワンセットだった。

 中瀬さんが口を開いてくれた。

「雨、好きですか?」「きらいです」

 咄嗟だった。その数日間、梅雨を恨めしく思い続けていたからだと思う。それと、藁をも縋るような気持ちも乗っかっていた。

「僕もきらいです。一緒ですね」

「そうなんですか。一緒ですね」

 中瀬さんみたいな人は雨が好きと言いそうだと思ったので、意外だった。

「意外です」

「ですよね。自分でもそう思います。理由はちゃんとあるんですよ。僕、仕事場まで歩きなので、雨が降っちゃうと傘、差すの面倒でしょ。靴下とかズボンの裾とかも濡れちゃいますし」

「私も理由ありますよ。雨が降るとお客さんが来ない。すると、退屈なんです」

 そう言って店内を見回してみせると中瀬さんも見てふっと笑った。

「なるほど。それで僕のところに?」

「はい」と大きくうなずいてみせた。

 中瀬さんは「退屈」について教えてくれた。人はどうして退屈するのかという話から、退屈しないで済むようになるにはいろいろなものを楽しめるように訓練しなければいけない、とかっていう話だった。それは『暇と退屈の倫理学』という本の内容らしく、中瀬さんはその本を三周も読んだそうで、私があれこれ聞いても全部答えてくれた。

 私たちはそんな風にして話をするようになった。決まって私が出涸らしのお代わりを持って行き、中瀬さんが仕事に行くまでの二十分か三十分くらいの時間、いろんな話をした。小説だったり、映画やドラマの話。それから哲学についても。私が読んだことのある小説は、ほとんどを中瀬さんも読んでいた。映画やドラマは私の方がたくさん知っていた。哲学については、完全に中瀬さんの領域、私は聞き役で何でも聞いた。本当の先生と生徒みたいだった。

 好きなものには理由はいらないけど、嫌いなものには嫌いな理由を考えなくてはいけない。これも中瀬さんが持つ哲学の一つだった。これは何かの本で読んだ訳ではなくて、持論だと言う。

 ただ単に嫌いに感じるから嫌いではいけない、なぜ嫌いだと感じるのかをちゃんと考えないと失礼だと言っていた。嫌いだと思うことに正当な理由はあるのか、嫌いだと感じる根拠は間違った偏見などに基づいていないか。そうやって考えれば、嫌いなものは減らせるかもしれないし、偏見も無くせるかもしれない。他にも、嫌いな理由を見つけることで、自分のことを改めて知ることができる、とも言っていた。それなら、好きな理由を考えることでも自分を知れるような気がした。

「好きっていう気持ちは、それだけで尊いものだと思う。だから、あれこれ考えて分析しなくてもいいと思う。例えば、好きな理由が本当はAとかBとかCとかあったとして、でも改めて考えたときに、AとBしか思いつかなかったら? 私がこれを好きな理由はAとBだ、って決めつけたときに、Cは置いてけぼりになってしまう。それはもったいないと思う。だから、好きな理由は考えなくてもいいんじゃないかなって思ってる。別に考えてもいいけどね」

 中瀬さんはやさしい人だ――但し、懐に入れさえすれば。私が持っていた空のカップには気づいてくれるし、雨が嫌いだと言うことを意外だと言っても、そこに隠れた偏見に気づいていながら嫌な気せずに受け入れてくれた。話が難しくてたくさん質問しちゃうけど、一生懸命わかりやすく説明しようとしてくれるし、答えられない質問にはうれしそうにして一緒に考えてくれる。中瀬さんが見ていない映画の話でも聞いてくれるし、それってこういうことじゃない、とか私では考えられなかった視点で物語を語ってくれる。

 中学や高校にこんな先生が居てくれたらよかったと思う。たくさん話を聞いてくれて、いろいろなことを教えてくれる先生がいたら、もしかしたら私の人生、変わっていたかもしれない。

 そんなことを思いついているとはっと気がついた。違うだろって。お前が拒絶していただろって。先生は何度も話しかけてくれていた。それを面倒がって無視したのは私だった。先生が近づいてくると、いつもむしゃくしゃした。うるさかった。何を言っていたのかは覚えてないし、何を話そうとしていたのか、聞く耳を持たなかった。「中瀬さんみたいな先生が居てくれたらよかったなあ」という声は、寸でのところで飲み込んだ。

 そうして梅雨が終わり夏になった。

 私は今年もかき氷をやろうと、シロップと氷を注文した。そういえば、去年の夏はこのかき氷がたくさん売れて楽しかった。お客さんがたくさん喜んでくれて、来年は自家製のシロップを作ったら楽しそうだなと考えていたのを思い出した。あれだけ暇だったのだから作っておけばよかった。

 相変わらず五時前にもなればお客さんが中瀬さん一人ということはままあって、そういう時は出涸らしを注いで、お話をしている。

 今年はじめのひどい夕立の日。「降ってきちゃいましたね」と窓を見て言うと、「大丈夫です。折り畳み傘あるんで」と言った。夕立って、分厚い黒い雲があってそこからざあざあと雨が降るのだから、ずいぶん暗い印象を持っていた、一気に夜になっちゃったみたいな。でも、そうじゃないってことに初めて気づいた。雨は烈しいけれど、その一つひとつが光のすじみたいに光って見えた。夕立って、思っていたより明るいんだ。ああ、夏ってすごいなって。

 ぼんやりと外を見ていると中瀬さんがトイレに立った。テーブルに一冊のキャンパスノートが置かれていた。それは中瀬さんが本を読みながら、時折メモを取るのに使っているものだった。中を見たことはなかった。

 その残されたノートが、「中を見て」というメッセージに思えた。見て欲しくないものだったら、中瀬さんだったらきっと、不用意に目に付くところに置いて行ったりしない。そっと手を伸ばし開いてみる。ボールペンが挟んであるページは真っ白だった。罫線のない無地のキャンパスノートを見たのは初めてで、その自由帳みたいなノートは奇妙で、雪みたいに眩しく面白く思えた。ペンをどかし、一つ前のページを開く。

 走り書きの読みにくい文字で箇条書きに埋め尽くしてあった。ただ右下の隅に、そこだけ縦書きで、丁寧な文字で書かれている文章があった。



     朝の月も綺麗だね ってこぼせば

     皮肉っぽい と君は睨んで

     照れるのだろう 気づかない僕が

     雲みたいな月を カーテンで

     覆って煙草に火をつける

     ぐっすりと眠るために



 詩だとわかった。初めて中瀬さんの前に座った日、詩の話をしたのを思い出した。スマホのメモ帳に「石原吉郎」の名前が記録されていた。初め、これは誰かの詩を書き写したものだと考えた。でも次第に、これは中瀬さんがつくったものだと自然に感じられるまで、そう時間はかからなかった。

 中瀬さんがトイレから戻って、何も言わずに椅子に座った。私は慌てて「すみません。勝手に見ちゃいました」とノートを開いたまま、中瀬さんに返した。

「別にいいよ」

 とだけ言ってノートを引き取り、閉じた。

 聞いてはならない。そう私は直観していた。聞いたら多分、損をする。でも、持って生まれた性格は、簡単には止まらない。

「それって、恋の詩ですか?」

 明るく、努めてなんでもないように。ただ好奇心に唆されているだけの幼気いたいけな雰囲気で、冗談めかした声が出ていた。多分、その声に合った表情もしていたと思う。

 中瀬さんは首を横に振り、「恋じゃない」と言ってノートに掌を載せた。

 恋じゃないなら……

「愛ですか?」

 とは聞けなかった。そこに触れたらもう、戻れなくなる予感がしていたのだと思う。問うてはならない。問うということは、何かが失われるということ、何かが生まれるということ。決して元には帰らない不可逆の行為だ。そのことを、私は初めてこのとき、手触りさえ感じ取れるほどに、はっきりと見たのだと思う。

 押しとどめた言葉が栓になったみたいに私は黙って窓を見た。暗澹たる空は重たげで、雨粒が激しく打ち付けていた。遠くで雷が光り、心の中で数を数える。中瀬さんも数えているような気がした。

 私たちの様子がおかしくなったのはその日だけだった。その二日後、きのう中瀬さんが来たときは、お客さんが途絶えることがないまま、中瀬さんは仕事に出てしまったから、お話はできなかった。けれど、挨拶とか注文のときのやりとりなんかはいつも通りだった。



     塔のような雲が太陽を隠し

     輪郭を露わにされる

     4をあとにした短針の先が

     振り子な頭の 目の端に

     引っかかる

     ドミノを倒す東風あゆかぜ

     ドアベルを鳴らし

     傘を差した男が内に立つ

     とう色の流線を飲み込もうと

     積乱雲が膨らんで

     珈琲の香りが吸い出された

     油のような時の中

     天道虫が傘にとまる

     塔のような太陽が

     傾いだ雲の先から

     現れる



 いや、今日の中瀬さんはあの時以上におかしかった。昨日がいつも通りだったものだから、元に戻れたと思っていたけど、そう思っていたのは私だけだったようだ。

 そもそも二日続けて店に来ること自体、これまであまりないことだった。それに普段は決まって三時くらいに来るところを、今日はたまたま四時を過ぎて来たものだから、私は少し驚いた。「いらっしゃいませ。珍しいですね、こんな時間に」と聞いても「まあ」とだけ言って、アイスコーヒーを注文した。

 程なくして他のお客さんがいなくなり中瀬さんだけになる。いつもならそこで私がお代わりを注ぎに行き、お話をする流れなのだが、今日は少しためらってしまった。でも、注ぎに行かないとして、その時私は何をしていればよかったのだろう。洗い物をするにしても十分もかからなかっただろう。掃除を始めれば、当然中瀬さんから見える所で作業をすることになる訳で、それは耐えられそうになかった。それに、いつもはお話しているのをあえて無視しては、特別な意味を含んでしまいそうでいたたまれない。決心した私は、

「お代わりどうです?」

「ありがとう。いただきます」

 中瀬さんの前に座って、アイスコーヒーを飲んだ。一息入れて落ち着いていると、

「三上さんも、詩を書いてみませんか?」

 出されたのはあのキャンパスノートと一本のボールペンだった。もちろん、初めは断った、書ける訳がないと。詩を読んだことは数えるほど、それも多分授業の外では一回もない。中瀬さんの詩が最初だったのかもしれない。それでも中瀬さんは、大丈夫、誰でも書けるから、と押し切られる形で書くことになった。

 それでも、何を書いたらいいか分からないと言うと、

「何でもいいんですよ。最近、感動したことだったり怒ったこと、驚いたことでも。身近なことでいいんです」

「あ、それなら。今日、中瀬さんが来たのには驚きました。しかも四時過ぎてましたし」

「そう、ですか。なら、そのことについて書きますか?」

 自分を詩に入れられるのは恥ずかしいと言いながら、どうやって詩を書いたらいいのか、教えてくれた。

 そうは言っても、中瀬さんも詩のつくり方を知らなかった。誰に教わったことはなく、教書を読んだこともなかった。

 代わりに詩とは何かという話をしてくれた。

「ある哲学者が言うには『詩人は実在の発見者』らしい。正直、この本の内容は難しくて理解できていないんだけど、どうもこの言葉はすごく印象に残っていてね。というのも――」

 中瀬さんでも読めない本があるのかと驚きつつ、この先興奮気味に話していた内容は、私にはいまいちわからなかった。シンプルに言えば、物理学というものが、この世界の『究極の実在』を探究する学問らしい。それに、数学者は数学という世界の発見者なのだとか。だから詩が、自分がやってきた物理と数学に親和性があるように感じて嬉しかった、ということらしい。でも、わからない。これはあくまで私の理解であって、中瀬さんが言いたかったこととは微妙に違うかもしれないし、明らかに足りてない。だって、中瀬さんが言っていたことの半分を、私は受けきれずに取りこぼしてしまったから。

「物理学は、言うまでもなく「必然」というものを扱う。原因と結果があって、ある原因があれば、必ず同じ結果が伴う。いつでも、どこでも、必ず。物理学が求める世界は客観的な世界なんだ。それに対して、詩が向き合う世界は違う世界なんだと思う。詩が見る世界は、人と世界との相互作用によって生まれる世界。その場限りの、その時限りの世界、そしてその人にとっての世界、だと僕は理解している。言い換えれば、他の人から見れば、僕の中にしか存在しない世界、ってことだと思う。そして、そこにあるのは物理学の求める「必然」ではなくて、「偶然」が発見されるんだと思う」

 さっぱりわからなかった。初めは理解しようと努力したけど、無理だとわかってしまった。中瀬さんも私が理解できていないと気づいたようで、多分同じ内容を言い換えてわかりやすく説明しようとしてくれてはいたけど、どうも集中して聞くことはできなかった。

 それでも中瀬さんはやさしかった。普通なら、なんでこんなことも理解できないんだよって怒ってもいいくらいなのに、まるで上手く説明できなくてごめんね、みたいな面目なさそうな顔をするものだから、こっちこそ申し訳なかった。中瀬さんは普段は、とっても頭のいい高校生を教えているのだと思う。あれくらいの説明で理解できてしまう、大学受験でちゃんと合格するような子をいつも相手にしているのだ。

 ともかく詩を書いてみようということになった。書くことは、中瀬さんが今日お店に来たことへの驚き。

「まず、使いたい言葉から探してみたらどうかな。あとから、その言葉が何を意味するのか、何の比喩なのか、を考えて言葉と言葉を繋げていく。みたいな感じで。書き方としては邪道なのかもしれないけど、僕はそんな感じで書いてます」

 そう言ってノートを開き、上にボールペンを載せた。見開き真っ白のノートは窓から入る夏の暮れはじめの光に照らされて眩しかった。無地のノートなんて使ったことはなく、どこから書き始めていいのかもわからず、なんとも億劫な気分になった。でも、中瀬さんが待っていると思うと書かない訳にもいかず、左上の端から書き出した。〈時計〉

 中瀬さんを見ると小さく頷くだけで、何も言ってくれなかった。表情も穏やかそのもので、〈時計〉と書いたことへの感想なんかは、何も読み取れない。でも全体の雰囲気から、「さあ、次は」と言われているような気分になった。〈積乱雲〉

 沈黙は苦手で何も言わない中瀬さんに「こんな感じでいいんですか?」と聞いてみたけど、「いいと思うよ。まずはたくさん書いてみてよ」としか言ってくれなかった。正直、予想通りだった。〈雨〉〈傘〉〈雷〉

 何かが自分の中で溜まっていく感覚があった。静かさに耐えられなくなって来て、何かを話したくなった。けど、何を話そうということもなく、何だか叫びたい気分にもなった。わかんないです、不満です、って感じの顔をしてみせたけど、中瀬さんは微笑んだだけでまだ待つつもりらしかった。〈男〉〈ドア〉

 早くも言葉が思いつかなくなって、背もたれに体預ける。手を伸ばしてグラスを取り、ストローに嚙みついた。窓の外にはまだまだ青い空を、大きな白い雲が殿として浮いていた。〈積乱雲〉これはもう書いた言葉だった。もっと遠いところで言葉を探さないといけない。中瀬さんの詩を思い出してみた。〈月〉それなら〈太陽〉〈星〉〈宇宙〉

 遠く、となるとそれは過去に進まなければいけなかったりする。だって最近どこかに出かけたりとかはなかったから。もう何年も家と店を行ったり来たりするだけの生活だった。週一の休みは生活用品を買いに行って、洗濯して掃除して、テレビを見て本を読んで終わる。掃除、洗濯、〈選択〉

 中学校までは楽しかったけど、高校では友達が一人もできなくて誰とも話さなかった。卒業して就職して、二年して辞めて家を出て、彼氏と同棲を始めた。でも長続きしなくて一年くらいでそこを出て。ファミレスとかカラオケとかいくつか掛け持ちでバイトして。スーパーの帰りにたまたまこのお店にあったアルバイト募集の張り紙を見つけた。雨で濡れた張り紙はぐしゃぐしゃだったけど、窓から覗いた店内は暖かそうだった。思い返せば、傘を差していながらよくあの張り紙を見つけられたなって思う。運がよかった、というよりむしろ運命だったんじゃないか。なんて。〈張り紙〉〈運命〉

 昔を思い返してみても、それらしい単語はあまり見つからない。そこで、中瀬さんの提案とは外れるけど、書く内容の方から言葉を探してみることにした。内容は、中瀬さんが今日来店したことへの驚き。いつもは三時前後に来るのに今日は四時を過ぎてからだった。〈時計の針〉〈4時〉

 驚いただけではなくて、少し心がざわつきもした。数日前に中瀬さんの詩を勝手に読んで変な空気にしてしまった。それが昨日会ったときにはいつもの雰囲気に戻っていたような気がして安心していたのが、またその均衡が崩れるような気配を感じたのだと思う。予感と言うべきか、虫の知らせとも言えそうな。〈詩〉〈虫〉

 言葉が出て来なくなって、いっそのこと思いつくままに書き出してみることにした。〈カタツムリ〉〈アジサイ〉〈夏〉〈かき氷〉〈ココア〉〈汗〉〈少年〉〈友達〉〈花火〉〈釣り〉〈バーベキュー〉〈初恋〉〈プラモデル〉〈急がば回れ〉〈裏道〉〈秘密基地〉〈大吉〉〈初詣〉〈甘酒〉……。こんな勢いでさらに二十個くらいは書いたと思う。そこで、これ以上こんな形で言葉を継いでいっても無意味に思えて手を止めた。

「あの、一緒につくりませんか? 手伝って下さいよ。ほら」

 とノートを半回転させて押し出すように見せた。一ページに渡って書き連ねられた文字は、ばらばらの大きさで傾いたり曲がったりしていた。ただでさえ字が汚いことはコンプレックスだったのに。隣の真っ白い線ひとつないページと比べると、翌日の雪みたいな残念さが見えた。恥ずかしさで、押し出した手が簡単にノートから離せなくなって、ずっと中指の第一関節を引っかけていた。

「結構書いたね」

 ふっとまた恥ずかしくなった。それは書き過ぎだってこと? わかってないなあってこと? 掛けた中指に力が入って少しだけ、気づかれないくらいだけ引き寄せていた。

「さすが読書好き」

 その一言で体から力が抜けたのだ。

「次は、この言葉にはどんな意味を付けるかってことを考えていけばいい。例えば、蜘蛛って言葉に、恐怖の象徴になってもらう、とか。イメージがなんとなく近いものの方がいいような気がするけど、全然遠くてもいい。バナナって言葉に、宇宙の神秘の象徴を当てはめたったいい。それが上手く嵌まるかは分からないけど」

「何だか難しそう。一緒にやって?」

 中瀬さんは首を横に振る。「なんで?」と返すと、

「もし僕が手伝うとなったら、僕は三上さんに、どんなことを書きたいのか聞かなきゃいけなくなる。そうしたら、三上さんは書きたいことを語らないといけなくなる。そうして書いたものは、もう詩じゃなくなってしまう」

「どういうこと?」

「うん。そうだね。今、三上さんは僕が今日このお店に来て驚いたってことを書こうとしているでしょ? いつもと違くて不自然だから驚いたって。でも、それを「驚きました。どうして? いつもと違うから。いつもって?」みたいに書き起こしていったら、それはもう小説だよ。詩ではなくなる。詩が表す対象は、語ることができないものなんだ。三上さんっていう人自身が全身で感じた体験だったり感情たったり、頭で考えたことじゃなくて、言語的なもの。言葉よりももっと身近なフィジカルな刺激。そういった語ることができないもの、語りえないものを、語らないままでいるための言葉、それが詩なのだと思う。語ることのできないものを、あえて語ってしまっては、本当のそれとは、どうしてもずれたものになってしまうでしょ。つまり、語ることのできないものを語ろうとする衝動を叶える言葉、『沈黙するための言葉』が、詩なんだって」

 聞き入っていた。目が声が真剣に輝いていた。言っていることはわからなくても、言いたいことは伝わってきたたような気がした。より集中して考えようとグラスを見ると、空になったグラスには氷の溶けた水が薄い褐色と混ざっていた。中瀬さんのグラスも同じようなものだったので、「お代わり入れますね」と取り立ち上がった。

 拍子に時計が目に入り慌てて、「中瀬さん、もう五時過ぎてますよ」と言ったら中瀬さんは全く平然と、「大丈夫です。今日は授業ない日ですから。ありがとうございます」と言われた。

 そこからの集中力はすごかった――と自分で言っても大げさではないくらい集中していた。自分にこんな力があるなんて知らなかった。意識が深く鋭くなっていく感覚、というのは実感できなかったけど、ふと集中から抜け出したときに初めて、「あ、いま結構深く行ってたな」と潜水をしたあとみたいな感覚があった。

 ただ、勉強なんかしてこなかった私の集中できる時間は限られていて、息切れしては中瀬さんと雑談をした。詩とは全然関係ない話。

 中瀬さんの塾について聞くと、初めは「面白い話はないよ」と言って渋っていたけど、「いいから」と急かすといろいろ話してくれた。塾に来る生徒はそれぞれ目的もモチベーションも違うってこと。目的毎に授業は異なるからクラスは分かれているけど、同じクラスの中でも学力とかモチベーションのバラツキがあり、それが一番難しいと言っていた。塾の話をする中瀬さんは、いつもの小説とかの話をするときより楽しそうではなかった。仕事は好きではないのかもしれない。

 そんな雑談を挟みつつ、じりじりとした夕焼けに照らされながら、少しずつ詩を組み立てていった。あの言葉は何々の比喩で、これは何々を暗示していて、この二つの言葉はこんな関係で繋がっていて――。本当なら、詩には韻とかリズムとか、もっといろいろな要素があることは私でも知っている。でも、今の私にそれだけのことを意識して詩を書く力はないことは明らかだった。初めて書くのだからという言い訳を胸に抱きつつ、それでも精一杯のものをつくろうと思えた。そうやって真面目になることは楽しかった。なにより出来上がっていく詩が好きだった。こんな私でも、素敵なものが書けている気になった。

 ようやく書き上げたとき、外は薄暗くなっていた。中瀬さんにノートを渡すと、「これ、預かってもいいですか? 帰ってじっくりと読みたいんです」と言われた。そうしてお会計を済まし、入口まで中瀬さんを見送った。扉を開けドアベルが鳴ると同時に湿った夜風に包まれた。正面に東の空から昇ったばかりの満月が、山の稜線に乗っかっていた。

「うわ、おっきい」

 今まで見た中で一番大きい満月に見えた。そのまま山の黒い流線を転がって行きそうなほど存在感が近かった。

「ですね。月っていいですよね」

 私たちは黙って月を見上げていた。店の空調のファンの音と外から聴こえる虫の声が混ざり合わずに私たちを挟んでいた。

「僕の生活ってすごくつまらないものだったんです」

 中瀬さんが月を見詰めて話し始めた。それは何かを告げるような緊張を含んだ話し方だった。

「仕事場と家を行ったり来たりするだけの生活でした、振り子みたいに。代わり映えのない昨日でも今日でも明日でもいいような同じ日々を過ごしていました。だから、今こうしているのが嬉しいんです。あのときたまたま入ったこのお店、あのとき入っていてよかったって本当に思います。あの日々が振り子なら、今は二重振り子みたいです。知ってます? 二重振り子」

 私が首を振ると中瀬さんはスマホを取り出し操作して画面を見せてくれた。

 ぶら下げられた細長い板、それは上端を固定されていて、画面の外から伸びた手が下端を引き上げ、手を放した。固定された上端を支点にして左右に規則正しく揺れた。振り子だ。よく知っている振り子は紐の先に球が重りになっているけど、その映像では細長い板が紐と重りの両方を兼ねていた。

 映像が切り替わり、中央に「二重振り子」と透け字のテロップが入る。先ほどと同じ上端を固定された細長い板の下端に、同じ細長い板がもう一つ固定されていた。また画面の外から手が伸び、下の細長い板の下端を抓んで引き上げ、手を放した。途端、それは振り子とは全く別物の動きを見せた。振り子の先にさらにもう一つ振り子が付け加えられているだけの単純な作りなのに、予想のつかない激しい動きを次々に見せた。脈絡のない踊りのようだった。表現の手段とされる見知った踊りではなくて、思いつきのまま出鱈目に踊っているような。いや、思いつきでさえない、考える以上に直接的な無意識のダンス。もちろん、二重振り子が生き物のようだ、とまで言うつもりはない。あくまでも物だ。でも、その動きを踊りで例えるのなら、それは無意識のダンスと言うしかない。そんな滅茶苦茶な動きだった。

「面白いですね」

 予想のつかない動きにはわくわくした、次はどんなアクロバティックな動きを見せてくれるのだろう、と。同時に同じ形の些細な不安も抱いた。

「でしょ。このお店は、僕にとっての二つ目の支点。僕のつまらない生活を、変えてくれた。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、本当なんです」

「ポエムってますねー」と笑うと、

「そうだね。ちょっと浸っちゃった」と中瀬さんも笑った。

 そのまま中瀬さんは「じゃあ、またね」と小さく手を振って夜道を歩いて行った。私もその背に手を振って「お待ちしてます」と返した。

 誰も居ない店へと戻り扉を閉めた。きっともう、今日は誰も来ないのだろう、そう思いながらカウンターに入り、椅子に座った。窓際の席に、二つの空いたグラスが残されているのが見えた。溶けて氷の崩れるカランとした音が、聴こえた気がする。


 ――喫茶; 月の踊り子 営業中.






















 参考文献

 ・「望郷と海」石原吉郎

 ・「偶然性の問題」九鬼周造

 ・「証言と抒情」野村喜和夫

 ・「文学者と哲学者と聖者」吉満義彦































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