今日もどこかの空で

和辻義一

天駆ける翼は平和のために

 プ、ガチャッ。


 ワンコールが鳴り始めるのと同時ぐらいに、ディスパッチャーが一本の電話に飛びついた。すぐ隣のソファでうたた寝をしていた松山二尉と、アイコンタクトを交わす。


「スクランブル!」


 ディスパッチャーが叫び、スイッチを押した。けたたましいベルとサイレンの音がアラートパット中に鳴り響く頃には、松山や整備員達と共にハンガーへと駆け出していた。


 ダッシュで走り寄った機体のラダーを大急ぎで駆け上り、コクピットへと滑り込んだ。ジェット燃料始動装置JFSのハンドルを引き、着座してヘルメットを被って、整備員とアイコンタクトを取りながらマイクのインカムに声を吹き込む。


「右、回すよ」


 すかさず整備員から「クリア」の応答があって、右エンジンのスロットルレバー下部にあるフィンガーリフトを引き上げてオンに。右エンジンが唸りを上げ始める間に、シートに身体を固定するための肩ハーネスを通す。


 続いて左エンジンも起動し、整備員が掲げた各種兵装の安全ピンの本数を確認して「OK」と応えると、もう一人の整備員が目の前で結んだ両手を離すシグナルと共に「ディスコネクト」の声がインカム越しに耳朶を打ち、機体から各種ケーブルが外された。発進準備完了。


 格納庫隅のステータスボード上の「SCスクランブル」の赤いランプを確認し、管制塔と通信を交わしつつも待機所から誘導路を経て滑走路へ進入して、そのままローリングテイクオフ。ここまでの時間は、およそ三分三十秒。まあ悪くないタイムだろう。


 ヘッドアップディスプレに表示されるデータリンクシステムの情報を元に、那覇基地の滑走路を蹴り飛び立った日本の鷲F-15Jは、漆黒の闇を切り裂くように夜空を駆ける。午前零時十二分、沖縄近海上空。一度雲の上に出てしまえば、満天の星空が頭上に広がっていた。


「タツさん、今夜もいつものお客さんですかね」


 二番機ウイングマンとして傍らを飛ぶダムの声が聞こえた。ダムとは松山のTACタックネームで、有名なロボットアニメが好きだったことから自ら付けたものだ。そしてタツが、自分のTACネーム。


「こんな真夜中にわざわざ出張でばってくるなんて、あいつら一体何考えてるんスかね」


「さて、な。連中だって遊びで飛んでいるって訳でもないだろう」


 実際、これまでに幾度となく対領空侵犯措置の任務に就いてきたが、相手方の意図が判明したことなどは一度もなかった。おそらくは何らかの情報収集か、訓練の一環だろうと仲間内では言っていたが、真相は誰にも分からない。


 離陸してから約十分強で、防空識別圏内ADIZにて今回のお客さんを捕まえた。機数は一。暗闇の中では翼端灯の光ぐらいしか視認出来ないが、どうやらY-9と呼ばれる中国の電子戦機のようだった。


 戦闘機が相手ではなかったことにひとまずほっとしたが、このままでは領空を侵犯される恐れがあることに代わりはない。


「ダム、いつも通りケツを頼むぞ」


 そうインカムに声を吹き込んで、国籍不明機への通告を開始するべく自機を目標の左前方、真横より少し前ぐらいの位置に付ける。規則では一番機エレメントリーダーが対領空侵犯措置を実施している間、二番機は相手機の後方に位置して監視を行うことになっていた。


 無線の周波数を共通周波数に切り替え、漆黒の闇に浮かぶ国籍不明機の翼端灯を見据えながら日本語と英語、中国語で言った。


「国籍不明機に告ぐ、こちらは日本国航空自衛隊。貴機は日本領空に接近しつつある。速やかに針路を変更せよ」


 だが、相手機からの返事は無し。いつも通りのことで、特別驚くようなこともない。


 真っ暗闇の中でどれだけの意味があるかは分からないものの、これまた規則に従ってすぐ隣を飛んでいるはずの機影――というよりも、真っ暗闇の空間をカメラで撮影し、兵器管制官DCへ無線連絡を入れる。


「エメット01ゼロワンよりコントロールへ。国籍不明機への通告を一回実施、行動に変化無し」


「コントロール了解。エメット01、引き続き通告を実施せよ。領空まで十マイル」


「エメット01、了解」


 兵器管制官からの指示に従い、再び通告を実施するが、相手機の針路は変わらない。今回のお客さんは、なかなかの難敵らしい。


「コントロールよりエメット01へ、領空まで四マイル」


 兵器管制官の冷徹な声が耳朶を打った。無線のスイッチを二度入れて、ジッパーコマンドで了解の意思を伝える。


 ダムは静かに、俺と国籍不明機の後方に位置したままだった。ダムはまだ若いが、こういう時には頼りになる、肝が据わった良いパイロットだ。


「エメット01よりコントロールへ。二度目の通告を実施、行動に変化無し」


「コントロール了解。エメット01、国籍不明機は領空内に侵入。直ちに警告行動へ移れ」


「エメット01、了解」


 兵器管制官との通信を終え、再び日本語と英語、中国語でインカムに声を吹き込む。


「警告。貴機は日本領空を侵犯している。速やかに領空から退去せよ」


 相変わらず、相手からの応答は無し。平然と飛び続ける国籍不明機に、少し苛立ちを覚える。自然と強い口調になった。


「警告。貴機は日本領空を侵犯している。我の指示に従え」


 そのとき、ようやく漆黒の闇に浮かぶ翼端灯に動きが見られ、国籍不明機は西へと向かって緩やかな旋回を始めた。


 内心、ほっとした。これ以上相手が指示に従わなかった場合には、強制着陸の措置すら視野に入ってきたからだ。そのためには警告射撃の実施も必要になる可能性があったが、当然ながら迂闊な発砲は即外交問題へと発展しかねない。そういった意味でも対領空侵犯措置は、我々の神経を酷くすり減らすものだった。


「やれやれ。タツさん、今回のお客さんもなかなかしつこかったですね」


 国籍不明機を遙か西の夜空へと見送った後、ダムが傍らへと機体を寄せて言った。何とも暢気そうな声だったが、きっとダムの奴も内心ではハラハラしていたことだろう。


 部下への手前、あくまでも心の平静を保ちながら答えた。


「全く、はた迷惑な連中だったよ。深夜の散歩なら余所でやれよってな」

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