46:同情する前に、彼女の行為がどれほど残酷なのかを考えて。

 鑑識課は案の定すでに卜東延の家から持ち帰った生ごみ等の分析を完了し、生ごみからトンカ豆、ムラサキウマゴヤシ、コーヒーなどの残りかすが発見された。

 その中のムラサキウマゴヤシについて、動物疾病に関する研究領域で、牛と羊が大量のカビの生えたムラサキウマゴヤシを食べると、内出血の症状が出るようになり、最終的に死をもたらすことが発見された。

 トンカ豆には、以前馮艾保が言ったように、高濃度のクマリンが含まれる。少量食べる分には問題ないので、ハーブの代用品としてスイーツの中によく現れる。ハーブよりトンカ豆の独特なブレンド風味の方を好む人は多いが、成人で一日に四分の一個以上のトンカ豆を食べると、中毒になる危険があるため、一部の国では、それを食品に使うことが禁止されている。

 秦夏笙はおそらくこの二つの物をコーヒーに混入し、長期にわたって卜東延に淹れて飲ませたはずだ。さらに、確実性を求めるために、彼女は単一の毒物だけではなく、二種類の類似する毒素の食品をコーヒーに混ぜ入れ、中毒の確率を増加した。

 すでに確実な証拠を手に入れた以上、一行は早速卜東延の家へ秦夏笙を逮捕しに向かった。すでに張り込みの人員を送っていたが、うっかりして逃すのを非常に心配していた。

 しかし、意外にも秦夏笙には逃げる考えはなかった。一行が卜東延の家に着いた時、彼女は依然として上品な格好で、黒いワンピースの裾は膝まで、暑いにもかかわらずやはりストッキングを履き、三センチの高さのパンプスを履いて、ちょうどじょうろを持ち満開のムラサキクンシランに水をやっている。

 車が庭の前に止まると、秦夏笙は少し頭を上げてちらっと目を遣り、ちょうど車から降りた馮艾保らと目が会った。

「こんにちは」秦夏笙は水やりの動きを止め、彼らに微笑んだ。「皆さん私に何かご用ですか?」

 今日は天気がとても良く、すでに夕方に近いが、日差しは依然としてとても強く、金箔のように大地を覆っている。

 蘇小雅は秦夏笙が今水をやっているのが何の花かわからない。ただかすかに見たことがある気がする。秦夏笙のお世話のおかげ極めてあでやかに咲きほこっている。むらむらと群生する花は青く、水滴がついていて更に色彩が鮮やかに見える。

「蘇さんはこれが何の花かわかりますか?」秦夏笙は彼の視線に気づくと、気を配って口を開いて尋ねた。

「あ……よくわからないです。植物にあまり詳しくないので……」蘇小雅は彼女が自分に話しかけるとは思いもよらず、一瞬ちょっとどうすればよいかわからなかった。

 全て含めても、蘇小雅が逮捕の任務に加わるのは、これでやっと二回目だ。前回の対象はアンドルー・サンガスだった。あの時、蘇小雅の心の中には、悪人は捕まるべきだという正義感しかなく、他の葛藤や煩悶は一切なかった。

 だが、今回は全く違う。

 目の前にいる人は、凶悪非道の犯罪人ではなく、優しい母親であり、悲しい未亡人なのだ。彼女の表情には哀愁が隠れているが、背中をまっすぐに伸ばし、さながら風の中をしおれて散りながらも、折れない花の枝のごときだ。彼女はもしかしたら一時はしおれて散るかもしれないが、いつか再び満開になるだろう。

 このような女性を、誰も殺人犯と結びつけられない。

「これはムラサキクンシランなんです。今はちょうど開花期です。恋の花とも呼ばれています」秦夏笙は軽く柔らかな口調で紹介した。「一般的には、ムラサキクンシランは挿し木で栽培しますけど、私は当時播種法を選んだので、四年ぐらい育ててからようやく花が咲きました。私はまだ覚えていますわ。あの年、私は末っ子を妊娠したんです。数年間ぶりに思いがけずにまた子供を授かって本当に嬉しかったわ」

 過去を思い出している時、蘇小雅は秦夏笙の気持ちの中の喜びと温かさをはっきりと感じた。彼女は自分の子供が生まれることを心から期待している。しかし、喜んでから、注意深く見分けると、ほんの少しの薄い物寂しさと失望に気づくことができる。

「あなたたちは私を逮捕しに来たんでしょう?」秦夏笙はもう話を逸らさずに率直にまっすぐ要点をついた。「私は数日前から気づいていました。色んな人が私の生活を監視していることに。彼らの動きは人目につかないけれど、私は結局やっぱり気づきました」

 熱気を帯びた風が突然そよがすと、彼らの髪が風に巻き上げられた。秦夏笙の髪留めから抜け出た何本かの長い髪もなびいている。彼女は手を伸ばしそれを耳の後ろまでかき上げ、軽く押さえると、平然としたまなざしで彼らを見つめている。

「なぜ気づいたんですか……」蘇小雅はぼうぜんと理解できない様子で聞いた。本来ならば、刑事はほとんどセンチネルとガイドで、訓練を受けた後は、ミュートに自分が監視されることを気づかれるなんて全くありえない。それはともかく……「あなたはまさか登録されていないガイドなんですか?」彼は軽く息を吸った。

 まれにこのような状況はある。ガイドはセンチネルと違い、本来ミュートの間に混じって暮らすことができる。もし自分の能力を本気で隠せば、ミュートのふりをして一生を過ごすことも完全にできる。

 これは、なぜ蘇小雅は秦夏笙に対する感情移入が特に強いのかということの解釈にもなる。秦夏笙が表わした強固さと悲しみのためばかりではなく、より多くは彼女がわざと自分の感情を蘇小雅らに放射したからだろう。彼らを自分の境遇に同情させ、彼女への疑いを減少させるのだ。

 事実上、馮艾保が確固不動に秦夏笙を疑っている以外、蘇小雅であれ、何思であれ、多かれ少なかれ皆影響された。

 秦夏笙は、自分が登録されていないガイドなのかについて答えず、微かに笑った。「手錠はかけないでもらえますか?この家は今後子供たちに生活させますし、両親が私の替わりにガーデンの世話をしてくれると約束しました。ご近所に見られたら、噂話になりますから」

「もちろん、あなたが協力してくれるなら、こんな小さいことなんて構わないじゃないですか?」馮艾保はさっぱりと受け入れた。秦夏笙へどうぞのジェスチャーをし、「秦さん、どうぞ」と言いながら、車のドアを開けた。

 秦夏笙はうなずくと、足を踏み出す前に振り向き、自宅の庭と生い茂った花木の間に深く隠れた家をちらっと見た。午後の燦々たる太陽の光の下で、白壁に茶色の瓦の家は優美ながらもモダンな感じをも呈している。組み合わせるとまるで物語の中で描かれる、人をあこがれさせる美しい生活の縮図のようだ。

 一瞥した後、秦夏笙はもう名残り惜しまずしっかりした足取りで開いている車のドアへ歩き、優雅な姿態で車に乗り込んだ。

 逮捕の行動は不思議と順調だった。出発してから秦夏笙を連れて帰るまで、合わせて一時間ほどしかかからなかった。

 犯人の協力度はこのように高いし、証拠も揃っているのに、なぜかどこから尋問を始めたらいいかわからない。

 馮艾保はセンチネルであるため、規定によって本来取調室に入ることができない。何思は少し興味が衰えたように見え、制御室の小さいソファーに座り込んでいる。

「思ったより厄介だな」何思は頬をこすり、表情は疲れ切っている「まさか未登録のガイドに出会うとは思わなかった……」

「彼女のレベルは低くない」馮艾保はタイミングよく補足して言った。これこそ彼らにとって厄介なところなのだ。

 もし下級ガイドならば、何思は完全に相手をコントロールできる。為すべきことを為せばいい。相手が自分の手中から逃げる可能性があると心配する必要は全くない。

 しかし、上級ガイドに出会うと状況が変わる。

 通常、このような状況では特殊な取調室を用い、ガイドの能力を完全に封鎖してからはじめて尋問を行うことができる。ただこれでも完全に信用できるわけではない。少なくとも犯人と同じレベルの二人のガイドが共同して尋問しなければならず、一人が監視し、もう一人が尋問する。そうしたらやっと手順が法律に符合することを確実に保証することができ、供述や自白が信憑性に欠けるという問題が現れるまでには至らない。

 彼らは先ほど早急に秦夏笙のレベルを測ったが、現在まだ検査報告書が出るのを待っているところだ。しかし、これまで数回の対決では秦夏笙がガイドだという事実に気づいていなかったということから推測すれば、彼女のレベルは少なくとも何思と大差ないだろう。でなければ、こんなに完璧に隠した上で、自分の感情を放射し、彼らに影響を与える余力まであるわけがない。

 しかし、S級のガイドはそうそう見られない。中央警察署全体でも、わずか八人しかいないし、こともあろうに、何思以外、他の人はそれぞれ任務を負っているので、現在は手伝いに来る暇がない。

「僕!僕もS級のガイドだ!僕は行ける!」蘇小雅は何といっても若いので、すぐ秦夏笙に判断の影響を受けた打撃から復活すると、いつも通り積極的に手を挙げて尋問の作業に加わりたいと申し出た。

「危険すぎる……」

「だめではない」

 何思と馮艾保は同時に口を開けた。年長のガイドは、センチネルを憎々しくじろりと睨んだ。目つきで、自分の脳を心配したほうがいい、バカになりたくなければ口を閉じろと彼に命令した。

 センチネルは綺麗な眉を上に動かすと、顔一面に切望を浮かべた若いガイドに肩をすくめ、「きみを助けないわけではなく、きみの保護者が恐ろしすぎるんだ。自分で頑張れ!」という意味を表した。

 蘇小雅は手を高く挙げたまま、真剣な顔つきで何思を見つめている。「阿思兄さん、僕はもう入社申請書にサインしようと決めた。将来にもきっと今日と同じ状況に会うだろう。今はあなたに助けてもらえるし、もっと僕に試させてもよくない?」

 この話術を一体全体誰に教わったのかわからないが、なんと何思は言葉を失ってただ憤慨して目の前の連帯した二人を見つめるしかなく、歯を食いしばっておいそれと承知しようとしない。

「阿思兄さん、僕はなぜ秦夏笙がこんなに残酷なやり方で自分の夫を殺したのかについて知りたいんだ」蘇小雅は自分を相手にしようとしない何思をまっすぐ見つめると、きちんと立ち、真剣に説得した。「彼女が感情を過剰に僕に放射することでたしかに判断に影響を受けたけど、僕がやはりはっきりと言えるのは、彼女の感情には明らかな殺意がないということだ。彼女は夫の死に対しても痛快よりも悲しみが多く、どうしてもこのことをした人に見えない」

「だが、彼女は確かにやった」何思は顔を俯かせたまま、荒々しい声で反駁した。

「そう、彼女は確かにやった。だからこそ気になるんだ……どうして明らかに彼女が卜東延の死を招いたのに、あんなに悲しむのか?我々が彼女はガイドだと気づいた後でも、彼女の悲しみはそれによって消えず、その上、釈然と憂いが増えた。おかしいと思わないか?」

 蘇小雅は過ちによって落ち込む人ではない。彼はいつも平然と自分の間違いに向き合い、そして反省し検討し、学習し蓄積しようと自分を追い詰める。これらの挫折を全て経験に変える上で、自分のこれからの人生の道の礎にする。

 そのため、最初に彼が秦夏笙に影響されたことに気づいたとき、たしかにしばらくの間驚き恥じ入った。たぶん卜東延の家から警察署に戻るまでのこの間だろう!その後、彼は秦夏笙の感情について調べ直すと、そこから彼がどう考えても理解できない矛盾点を掘り起こした。

「もしかしたら、彼女の感情は全て偽物かもしれない」何思はついに蘇小雅のほうを見た。珍しく厳しい表情を見せた。「きみ自身もガイドなんだからわかるはずだ。感情をでっち上げることのできる能力もあるんだ。これはガイドにとって、特に上級ガイドにとっては全然難しいことではない。どうして自分の調査した感情がうそ偽りないもので、またもやきみの一方的な願望じゃないとはっきり言い切れるんだ?」

「でも……秦夏笙が出頭することに協力する気になったなら、感情をねつ造し続ける必要はないはずだ……」蘇小雅は一生懸命やり返した。「我々はもう彼女がガイドだと知っているし、彼女が卜東延に毒を盛ったことを証明する証拠もある。今感情をねつ造し続けることに一体何の意味があるのか?」

「きみの好奇心をかき立てることは、意味があると言えないのか?」何思はせせら笑った。この言葉で蘇小雅はあっけにとられた。

「今となっては、きみはすでに彼女が残酷なやり方で卜東延を殺害しようとしたことを知っている。きみは汪監察医のところで何を言ったかまだ覚えているか?きみは、この人はそばで卜東延が衰弱していくのを見続けながらもやめなかった、と言った」

 蘇小雅も当時自分が言った言葉を思い出した。とりわけ、汪監察医が後になって追加した検死報告を見ると、身の毛がよだち、ブルブルと震えた。

 蘇小雅はミラーガラスを通して取調室にいる秦夏笙のほうを見ずにはいられなかった。ここは特殊な取調室で、普通の取調室よりある種の冷然たる圧迫感を感じる。秦夏笙は全身未亡人の装いで、優美で、緻密で、嘆き悲しみ、麗しい……彼女はさらに先ほど風に乱された髪の毛をもうきれいに整えていた。

「教えてくれ、きみが、秦夏笙がなぜ卜東延を殺したのか知りたいと言った時、きみの心の中の本当の考えは何だった?まさか、きみは彼女には別の苦しみがあってほしいと思っているんじゃないのか?」何思のしつこい問い詰めを前にして蘇小雅は次々と敗退した。

 蘇小雅は高く上げた手をためらいがちに下ろした。表情には恥ずかしさと茫然をも浮かべ、なす術なく自分に対して率直で厳格な何思を見つめているが、彼の質問に答えられない。

「きみは彼女に対して感情移入しすぎるので、俺はきみを一緒に取調室に入らせられない。小雅、確かにきみの言った通り、将来もしこの仕事に勤めるなら、きっと同じ状況、ひいてはもっと厳しい状況に会うかもしれず、いずれきみ自身で克服しないといけない。もし今俺のサポートがあれば、きみは苦しみをあまり味わわずに済むし、経験が少し増えるに違いない。だけど、胸に手を当てて自問してみろ。きみが本当に学びたいのはそれらのことなのか?それとも、きみはただ自分の推測を証明したいだけ?きみの心の中ではまだ秦夏笙が残酷であることを全く信じようとしないだろう?じゃあ、きみが入って行けば、俺の手伝いになるのかそれとも俺の足を引っ張るのか?」何思の言葉の一言一句が容赦なく重く、さながら千キロの巨石のごとく蘇小雅の身にぶつかり、彼の精神力へ意気消沈させる打撃を与えた。

「きみに今自分の感情に向き合う勇気があろうがなかろうが、俺は危険を冒すことはできない。秦夏笙が結局のところ本当に悲しくつらいのかどうかにかかわらず、忘れるな、彼女は確かに確実に自分の夫に毒を盛った。どんな理由があろうと、彼女が残酷であることはごまかせない」

 最後のこの話は、最後の決定的な一打となり、蘇小雅は全身まるで空気が抜けたボールのように、穴があったら入りたいほど恥じ、無意識に馮艾保のほうを見た。

 センチネルは隣に立って、二人のガイドがコミュニケーションを取るのをにこにこと微笑んで見ている。蘇小雅の視線を受け取った後でも、表情は依然として少しも変わらず、口を開いてとりなそうともしない。

 しかし、一秒後、蘇小雅は自分の手のひらに重みを感じると、あつあつでふかふかしている小さな生き物が手のひらの中に落ちて、何度か力いっぱい擦った。

 彼がすぐに懐かしい重みを握ると、心の中の悲しみと恥ずかしさは、少し、ほんの少し、少しだけ良くなったみたいだ。

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