5:成人になったばかりのガイドはこんなにいい香りがする(1)

 馮艾保の朝は一杯のキャラメルマキアートから始まっているのだ。

 コーヒーとお茶はセンチネルが一番よく摂取する刺激が強い食品である。過度にならないように量を管理すれば、許容量を一日三杯か五杯にしても大丈夫だ。

 お酒の場合はそうではない。値段の安いお酒の場合は多量を飲んではいけない。値段の高いお酒の場合は多く飲むと負担できない。そう考えれば、ミュートとは一緒だろう。

 彼はいつも早朝、喫茶店で朝食を買う人が多くなる前に、自分と相棒の朝コーヒーを買いに行っている。何思に任せない理由は、何思がいつも無意識にカフェインレスのやつを買ってくれているからだ。

 相棒の心遣いに馮艾保は感動しているが、仕方ない感じもしている。間もなく三十歳になる彼はセンチネルの黄金期を迎えており、身体機能はもちろん、五感の制御能力も最高の境地に達する直前の段階にある。センチネルの精神力はガイドほど強くはないが、基本的なシールドを構築する能力を持っており、保護なしで自分を刺激源に全面的に曝されることはない。

 その上、ガイドである何思という人物が相棒になってくれている。このような使い勝手のいい信号ブロッカーがいるので、よく利用しないともったいないじゃないか。しかし、何思がさらなる強いシールドを構築してくれないので、馮艾保は仕方なく、未だにほとんど味のないセンチネル専用のタバコを吸っている。こんなことがなければ、馮艾保はずいぶん前からより風味のあるタバコブランドまたはシガーを試してみたかったのだ。

 もちろん、馮艾保はこのような些細なことをしばしば何思に不平を言っているが、何思がここ十年間動揺もせず、快楽を味わうことについては馮艾保に簡単に青信号を与えず、厳しく管理してきている。

 それも仕方ないことだ。二人はただの相棒で、結ばれたパートナーではない。そして、何思は今、ミュートと結婚する。それから誰が何思の仕事を引き継ぐか、今の時点ではまだわからない。

 改めて他のガイドに適応する必要があることについて、馮艾保は考えると、その脆弱で小さなメンタルが心配でおちおちしていられない。

 昨夜、現場を離れてから二人は警察署に戻らなかった。戻る必要もなかった。何思は車で馮艾保を家まで送ってから一人で帰った。別れる前に、何思は特別に精神力を用いて馮艾保を宥めた。

 こんなにいい相棒が、知らない人に奪われることになる。馮艾保が悲しくなっている。今日の仕事に行けなくなったほど悲しくなっている。

 こんなことがあるので、自分の分のキャラメルマキアートを買ったあと、馮艾保が休暇を求めようとして、気分よく班長に電話した。

『署に出てこい!』刑事部特捜班の班長は年長者で、成熟したガイドであり、センチネルに非常に怯えさせる迫力を持っている。『電話だから、俺のエンパスempathがあんたを殴れないと思って、さぼることばかり考えているだろう。一時間以内に、おとなしく出勤してくれないと、俺はあんたのところへ行く。あんたのスピリットアニマルを三日間拘束してやる』

 むごい人には余計な言葉はいらないって、多分特捜班班長のようなタイプの人のことを指しているだろう。

 馮艾保のような図々しい奴でも苦虫を噛み潰したような顔をして、言われることに従い、引き返して何思の分のコーヒーを買ってから重い気持ちで出勤した。

 今の時代は平和な時代だと言われている。国際社会に大きな紛争がなく、一部の地域で起きている衝突も制御できる範囲内にある。にもかかわらず、刑事部特捜班にとって、この世はいくら平和だと言われても、殺人事件の発生が止まることはない。

 だから、席にゆったりと座っていた馮艾保が給料泥棒のように仕事をサボり、両手で自分のキャラメルマキアートを持ちながらネットのゴシップ記事をこっそり見ている時にも、二つの分隊のメンバーが慌ただしく彼の横を通り、急いで話をしながら犯行現場に出動する準備をしていた。

「やあ!」馮艾保が彼らにあいさつをした。

「ヘイ!」一人の同僚のセンチネルが返事した。「何思のところに行っていないか?」急いで出ようとしているが、その同僚は足を止めて、彼と会話した。

 昨日ワン監察医は何思が離職することを『うっかりして』馮艾保に漏れてしまったので、このゴールデンコンビの間に何かの矛盾を起こしたか、それに対して皆が知りたがっている。

 別に意地悪な気持ちはなく、高みの見物に過ぎないのだ。

「もう来ているか?」無邪気な目を瞬いて馮艾保が聞き返した。

「とっくに来ていたよ。三十分も前に検死室に行っている」答えてくれたのはもう一人のガイドで、先ほど馮艾保に挨拶したセンチネルの相棒だ。その二人は肉体的にも結ばれているパートナーで、ゴシップに対する興味をちっとも隠さない。

「私には言っていないなあ」馮艾保はボソッと独り言して、携帯を取り出して見た。この時初めて自分が携帯電話をうっかりしてマナーモードにしてしまったことに気づいた。不在着信が十数回もあった。「彼の電話に出なかった……。しょうがない!私を殴りたいほど怒らないといいね」とスーッと息を吸って顎を擦って言った。

「それはわざとしただろう?」センチネルの同僚が小さい声で聞いた。

「わざととは?」馮艾保がとぼけて答えた。同僚たちがお茶の間でくつろいでいる時の話のネタには絶対なりたくないから。

「何思がミュートと結婚すること、そして離職することについてを」同僚のガイドが率直に、「正直に言うと、皆驚いている」と言った。

 彼が言った皆というのは特捜班だけではなく、中央警察局の全員のことも意味している。

 センチネルとガイドが特別な体質的特徴を持っているので、軍隊、警察と情報機関のメンバーはほとんどこの二種類の人に占められ、ミュートはこの三つの機関で働くのはほんの少数しかいない。警察機関を例として、高級管理職や事務職と一部の鑑識官のみ、ミュートが務めているが、事件と関係する職務に九十九パーセントはセンチネルとガイドが勤めている。

 これはもちろん人それぞれの才能を尽くすというコンセプトの下で起きた現象だ。センチネルとガイドの人数が元々少ないうえ、生理的な優位性を無駄せず生かしたかったからだ。

 このような社会的な共同認識があり、それにセンチネルとガイドが結ばれることは、センチネルが年取っていくとともに起きそうな精神的な障害と発狂する症状を抑えられ、またガイドが高齢になると、頭が混沌になってしまうのを有効に避けられる効果が期待できるので、長年にわたって、センチネルはガイドと結ばれて、パートナーになる不文律が存在している。

 但し、ここ数十年間、この既定のルールは多くの挑戦に直面してから緩和されてきて、その中でも医学の進歩がこの状況の最大の追い風となっている。

 ガイドフェロモンとセンチネルフェロモンのピルは今になって量産できるし、良い品質と手ごろな価格で提供されているので、毎日飲んでもビタミンより安くなっている。これらの薬は高齢化したセンチネルとガイドのトラブルを有効に解決でき、彼らの寿命と労働年数を大幅に伸ばすことができている。

 優れた薬品の発売は確かに低いランクのセンチネルとガイドには十分だと言われても、何思のようなSランクのガイドには、やはりセンチネルと結ぶ方が後顧の憂いなく安心できる。

 こんなことがあるので、何思が結婚と離職に対する決定が注目されているわけだ。

「おっ!」音節一つの答えを馮艾保がした。

 そのセンチネルとガイドのコンピは視線を交わして、ガイドのほうが「何か……教えてくれる情報はないか?」と聞いた。

「あるよ」キャラメルマキアートを一口飲んで、馮艾保は口角を上げて頷いた。

「なんだい?」向こう側の二人が口を揃えて聞いた。

「あなたのエンパスempathがもう少し近づけてくれば、班長に訴え出るわ。私のプライバシーを侵害して、職場の精神力ハラスメントの疑いがあると」馮艾保は魅力的な桃花眼をウインクして、笑顔がちっとも揺らぎがなかった。

 その場にいる数人はエンパスempathを「スッ」と引いた狼狽かつばつが悪かった音が聞こえた。

「違う……していないよ……僕はただ……」同僚のガイドは急いで弁駁した。しかし、何を言っても失敗な言い訳に聞こえた。最終的に、恥ずかしく鼻を触って言った。「すみません。僕の僭越でした」

「現場へ急いでいるじゃないか?正直に言って、私からこれ以上の情報を聞き出すことはできない。忘れないでね!中央警察局のなか、私がこのことを知る最後の人なんだよ。私に時間をかけるのは無駄だ。意味がないよ」馮艾保が手を伸ばして、センチネル同僚の肩を叩いた。その人と親しそう、あまり力を入れていないように見えているが、その同僚の顔色はいきなり青ざめて、額に冷や汗をかいた。

 同僚のガイドが急に大きく肩をすくめて、自分のパートナーを引っ張って後ろへ二歩下がった。彼の表情が困っていて、穴を掘って二人が中へ隠れたいぐらい恥ずかしがっていた。

「すまない。申し訳ない。悪い思いはしていないけど。但し……但し……本当に理解できないが……」同僚のガイドは急いでお詫びをした。それを言いながら、エンパスempathで先ほど馮艾保に知らない方法で攻撃されて、精神が混乱になっているパートナーをガイディングしていた。

 馮艾保はセンチネルであるが、特別なセンチネルであることをほとんどの同僚が暗黙に認めているのは事実だ。普通、ほとんどの同僚はわざと馮艾保を挑発したり、彼の機嫌を損ねたりすることはしない。馮艾保のデリケートで、禁忌な話題を触らなければ、彼は優しい、ユーモアな同僚であり、正直に言って、彼と一緒にいることが楽しい。

 しかし、それが原因であって、このセンチネルとガイドのペアは、この人にいじられる余裕がないことをうっかり忘れていた。具体的な例のない部分を別として、馮艾保が警察システムに参加して何思と手を組んでいる以来、この二人は過去十年間で事件の解決率が一番高いと誇る刑事コンビだ。厄介な事件が起きると、まずは彼らに任せれる。そして、今まで解決できない案件は一つもない。

 この点だけを見ても最高だと賞賛してあげるべき。

「深刻に思わないで。一声をかけているだけ」馮艾保がニコニコしてその二人にウインクした。「早く現場へ行ったほうがいい!時間を無駄にしないで!」

「おしゃったとおりだ。お先に行ってくる……」パートナーのガイディングでセンチネルが落ち着いてきた。顔色が未だ青ざめているが、少し作り笑いをしてから、自分のガイドを引いて行こうとしていた。

 馮艾保の笑顔は仮面みたい。二人の同僚はドアを引いた時、外の空気が屋内に流れてきて、勢い良く馮艾保の顔に飛び掛かった。

 その笑顔が一瞬消えた。馮艾保は無意識に深く息を吸った。飽くことを知らないほど、先ほど流れ込んだ空気を全部、自分の肺に吸い込みたかった。

「ちょっと待って!」未だその場を立ち去れなかった同僚に声をかけると、二人はビックリして、同時に怯えたように振り返った。

「どう、どうしたの?」センチネルはガイドを自分の後ろに引っ張った。彼ははっきりわかった。表にどんなに正常に見えても、馮艾保は現在、今まで友好的で面白いあの人とはまったく別人だと確定できた。

「匂いがしていない?」馮艾保が聞き返した。

「何の匂い?」センチネルがそれを聞いて、鼻を鳴らして息を吸った。顔に困惑した表情を浮かべた。

「これはまさか……」馮艾保がまた大きく深く息を吸ってから、ゆっくりと少しずつ息を吐き出して、陶酔したような目つきをした。

 同僚のガイドが体を震えた。エンパスempathを馮艾保に伸ばす勇気はない。先ほど、自分がエンパスempathを伸ばしたことに、この男がどうやって気付いたのかはわからなかった。一般的に言えば、直接触れない限り、ガイドが故意に隠されているエンパスempathを、センチネルは察知できないはず。

 とはいえ、目の前の馮艾保は……少し変質者に見えている。

 悪意でもなく、皮肉でもなく、今の馮艾保を見た瞬間、心から浮いてきた感想はそうだった。

 彼のセンチネルも同感しているようだ。ガイドを後ろに隠して、少しずつ外へ移動しようとしている。ゴシップのために残しなくてよかったのに。そうしなかったら、今は既に現場に向かう途中のはず。

 馮艾保が満足そうになって、ようやく肺に入っていた空気を全部吐き出した。鋭く美しい顎を半ば上げて、空気に残る匂いを嗅いだ。

「自分の匂いを未だうまく隠せない若いガイドだ」言いながら、微かな笑顔を見せた。

 扉のそばで動けなかった二人の同僚は体に火が付いたかのように、センチネルは自分のガイドをお姫様抱っこして、まるで幽霊に追いかけられているように、形もなく逃げ出した。

 パンと閉じられた扉は反作用力で弾き返し、そして戻って閉まった。

 扉の開閉によって外の空気がより多く巻きこまれて流れ込んできた。馮艾保はこの空気を力強く吸って、その中に消えてゆく浅い匂い、若いガイドの清らかで甘い匂いをじっくりと味わって、夢中になっていた。

 このような状況の中、何思が監察医のところから戻ってきた。オフィスの扉を開けると、午前中ずっと連絡が取れない相棒がパンツ泥棒の変質態者みたいに、陶酔で満足しそうな表情を帯びて、誰もいないオフィスに座り込んでいた。

 やっぱり、離職する前に一度殴ってやろうか。

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