第九話 鈴は台の上


 薄暗い照明の中で、ゆっくりと鈴は目を開いた。くすんだ天井が見える。どうやら何の台に寝かされているようだ。身体を動かそうとすると、手足に違和感があった。縛り付けられている。


「ちょっと……これ何?」


 なんとか拘束を逃れようと、身体を無理矢理動かす。しかし、全くびくともしない。手足と背中に冷たい感触が走る。気持ち悪りぃ。


 まだ頭がぼーっとしている。鈴は一度目を閉じて、意識をなくす前に何をしていたか反芻してみた。


 トイレに行って、ちょっと漏れて最悪ってなって、車に戻る途中に美味しそうなクレープがあったからそれ食べて、口に付いたホイップクリームが可愛かったのか男二人にナンパされそうになって、偶然通りかかったお母さんと三太に助けて貰って、お母さんにナンパされたときの対処術を伝授して貰いながら車まで戻って──そこで記憶は途切れていた。


 目を閉じていた鈴の目は、強烈なたばこ臭さで開いた。眠っていた嗅覚が目覚めてきたらしい。なんとか顔を上げて周りを見ると、六畳ほどの、縦長の部屋だった。どの面もコンクリートで出来ていて、危ない香りがぷんぷんする。


 諦めずに身体を動かしていると、突然ドアが開き、五、六十歳ほどのおっさんと、その下っ端だろうか、若い男が入ってきた。


「お、起きたか」


 にたりと笑う老け顔に、無精髭がまばらに散っている。清潔感がなく、見ていられない感じの顔だ。唯一禿げていないところだけは褒めてやろう。お前を褒めているんじゃない。お前の毛根を褒めているのだ。


「ねえ! ここどこ! あんたたち誰よ!」


 荒ぶる鈴に、下っ端が言った。


「おっと、口を閉じなお嬢さん。この方は、うちの組織のナンバーツーだぞ? 軽々しく話しかけるな」


 開いた口の中は、全てが金歯だった。こいつのお洒落センスを疑う。そんなところ

に金を掛けるんだったら、その金で貧しい子どもの生活を金色に輝かせてやれよ。

 この状況に段々腹が立ってきていた鈴は、思わず声を荒げた。


「うるさい! ツーじゃなくてトップを出せよ!」

「なんだと? このお方はな、素晴らしい人なんだぞ!」


 下っ端は唾を飛ばしながら続ける。


「いいか? このお方はな、公園に行ってはお花を見て涙を流し、地面に落ちている犬の糞を見て人間の愚かさに涙を流し、その涙を零さないために空を見上げたら、あまりの青空の美しさにまた涙を流す人なんだぞ!」

「おい、それ以上言うな。恥ずかし──」


 そのお方を遮って、下っ端は続ける。


「しかもだ、このお方はボスと兄弟。一卵性双生児なんだ! だからほぼボスみたいな──」


 次の瞬間、若い男の頭が吹っ飛び、美しい彼岸花が咲いた。

 鈴はあまりの大きな音に、身体を強張らせた。その衝撃に、先程のイライラが全て吹っ飛び、恐怖が身体に重くのしかかってきた。


「済まないな。うちの部下がうるさくて」


 そのお方は何事もなかったかのように銃をしまい、ハンカチで返り血を拭いた。固まっている鈴に、優しい声で話しかける。


「これから、君の首に輪っかを付ける。でも絶対外そうともがいちゃ駄目だ。爆発するかもしれないからな」


 爆発という二文字に、鈴の膀胱が縮み上がった。


「もう一度言う。絶対に暴れるな」


 顔の前に人差し指を置いて、そのお方は念を押した。彼のもう片方の手には、文字通りの輪っかが握られていた。丁度鈴の首周りくらいか。黒いボディで、赤い小さなランプが点滅している。まさに爆弾といった感じだ。


 じりじりと、そのお方が近づいてくる。鈴は身を震わせながら、歯を食いしばるしかなかった。


「そんなに怯えなくて良い。ちゃんとやることをやれば、外してやるから。せいぜい家族と仲良く協力するんだな」


 そのお方はそう言いながら、そっと鈴の首に触れた。ざらざらとした感触が、首を伝う。全身に鳥肌が立つのが分かった。耐えるように、目をきつくつむる。


「さあ、装着完了だ」


 ガチャッという音で目を開けると、首に冷たい感触があった。どうやら、まんまと取り付けられてしまったようだ。


「早く拘束を解いて。家族のところに連れて行って」


 震える声で、鈴はそのお方に要求する。一体これから何が始まるのかは想像もつかないが、今は一刻も早く家族の元に行きたい。


 そのお方は嘲るような笑みを浮かべ、こくりと一回だけ頷いた。そして彼は、ピエロの仮面を付けた。

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