第3話 放っておけなくて契約しちゃった

 そしてやはり、リリスは腹を空かせてあの場で力尽きていたらしい。一度血を飲めばしばらくは生きていられるそうだが、うっかりするとああやって意識を失ってしまうという。


 彼女はまだ吸血に目覚めたばかり(とはいえ俺が生まれるよりもずっと前の話だった。歳上だ!)で、決まった間隔で吸血をしないんだとか。まあ、それなら突然電池切れになってしまうのも致し方ないことか。


「とっても美味しそうな匂いがしたので理性が吹っ飛んでしまって。手荒なことをして本当にごめんなさい。どのくらいで目を覚まされるかわからなかったので、あそこにそのままにしておくのも忍びなくて……お家をもらって、それで」


 美味しそうと言われ、思わず自分を嗅ぐ。わからない。


「……ていうか、教えた記憶はないが」


「ああっ、なんていうんでしょうか。『術』というやつです。そうですね、魔術のようなものだと思っていただければ。血を吸った人間を意のままに操れる的な」


 自らの手の内をペラペラと喋る吸血鬼。


 そういうのって『一族の秘中の秘』じゃないんだろうか、とか、『操る』ってのっぴきならんなと思う俺の前で、リリスは湯呑みを置いて恥ずかしそうに俯くと、指をもじもじと組み替えている。


 ……俺はあることに思い至りハッとした。こういうの見たことある、と。漫画やアニメやラノベで散々だ。


 これはきっと天然とか、ポンコツというやつだ。彼女は神が造形にステータスを全振りしてしまい、他が適当になってしまったタイプなんだろう。


「なんだ? そういうのって人間に話してもいいわけ?」


「ああっ、そうだった。今は仮契約だからダメなんだった」


「契約……」


 ……悪徳商法かよ。どうやら俺はハンコを取り出す前から吸血鬼のまな板の上に乗せられてるらしい。思ったより事態は深刻、このままではこの子に美味しく召し上がられてしまう。


「はい。美味しい……ああいえ、大切な命を分けていただくのですから、本来ならばちゃんと契約するべきでしたが……次はその」


 リリスはといえば頬を染めて俯いている。俺は何も言っていないのに、彼女は俺と契約とやらを交わし定期的に血を吸う気満々らしい。


「あはは」


「でも、榎本さんは本当に親切なのですね。血を勝手に吸った吸血鬼にこんなに優しくしてくださるなんて」


 俺の乾いた笑いに、リリスはルビーみたいな瞳をキラキラと輝かせて答える。まあ、女の子にこんな目で見られたら胸がちょっと高鳴ってしまうのはしょうがない。そして、あわよくば………


 ……いや、ダメだ。いくらなんでも付け込んではいけない。


 リリスはきっと悪い男のゴマ粒ほどの優しさに騙されちゃって、最後は身ぐるみ剥がされるタイプの子だ。あと俺も人のことを言えないくらいチョロい。気をつけないといけない。


「榎本さん?」


 ぐぬぬと唸る俺を見て、リリスが首を傾げる。


 まあ、実年齢がいくつか知らないがどちらかというと妹みたいだと思うと、リリスに対してほんのちょっとだけあった邪な気持ちが霧散する。


 我が身に何が起こっているのか分かったような分かってないような不思議な気持ちで、頭の中の天秤を揺らした。


「まあ、困ってる人はちゃんと助けてあげろってばあちゃんが言ってたしな」


「おばあちゃまもお優しい方なのですね……」


 相変わらずリリスは俺なんかを見てうっとりとしている。彼女いない歴イコール年齢の俺にとって女性からこんな視線を受けるなんて生まれて初めてだ。


「だから、さっきの血を云々という話だが」


 俺が一旦かしこまると、リリスはすこし身を小さくする。


 今も身体はなんともないし、先ほどの口ぶりでは血を吸われたところで命にかかわる感じでもないのだろう。とはいえまだわからんことが多すぎるのでと思ったが。


 それでも結論は……この子を放っておけないということだった。まだ少し痛む後頭部をさする。


「献血とでも思うことにしたから……ああ、でもさっきみたいに急ってのは勘弁してくれ。毎回頭打つのはちょっと」


 目の前に、パッと笑顔の花が咲いた。


「もちろんです!! これからも末長く血をいただくわけですから……榎本さんのことは一番大切にします!! あ、ありがとうございます!!」


 リリスが頭を下げると、ゴツーンといい音がした。勢い余ってテーブルの天板に頭をぶつけてしまったらしい。空の湯呑みがこけて転がったが、落ちる寸前で止めることができた。


「大丈夫か!?」


 やっぱりポンコツだ!! 諸々の複雑な感情を突き破って、守ってやらねばというあたたかい気持ちが湧き、心の中を満たしてくる。


 ……何これ、母性?


 手のひらをじっと見る。俺は男だが、なんだかお母さんみたいな気持ちだ。


「ああ、なんてお優しい。決してご迷惑はおかけしま……しちゃうか。お礼は……んん。ああ、でも私、お片付けとか料理は得意なんです! きっと榎本さんのお役に立てると思います!」


 そう言って慎ましい胸を張ったリリス。


 そう我々が今いるのは、時化の大海原もかくやと荒れ狂った部屋。ここのところレポートや実験続きだったせいで手入れが行き届かず、足の踏み場もない。無理やり壁際に寄せて、座る場所を確保している状態だ。


「あっ、いや!! おかまいなく!? その、全くの善意なので!?」


 恥ずかしいところを突かれ、顔が熱くなり、舌も回らない。まあ、冷静に考えるとこんな部屋を女の子に見られるなんて、一生の不覚……いやまあ、勝手に入ってこられたので不可抗力か。


「そんなわけには参りません!! あの、まだ夜明けまでは少し時間がありますので、さっそく」


「いやいいっ!! こ、こっちにも色々あるんだっ!!」


 さっそく腕まくりをするリリスを制した。なんというか、片付けてもらうために片付ける必要はある。男の部屋には、女子には見られたくないもの、見られてはいけないものが転がっているものなのだ。


「そんな……」


 あからさまにしょぼくれる吸血鬼。


「じゃあ、次!! 次にお願いしようかな!? 今日はもういいから!!」


「ああ、なんてお優しい……はいっ! 次がんばります!」


 元気のいい返事がむしろちょっと不安な気持ちにさせてくる。


――まあ、可愛いからいいか。


 もう、乗りかかった船というやつだ。契約でもなんでも来いってんだ。


 俺はあっさりと腹を括ってしまっていた。そのくらい美少女(だいぶ歳上だけど)の威力は絶大だったのだ。俺もおそらく悪い女にあっさり騙されてしまうタイプに違いない。


 まあ、突然目の前に現れた人ならざるもの……吸血鬼という存在よりも、今の状況を楽しんでいる自分の方がよっぽど不気味だと思った。


 〈完〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夜中に散歩してたら、絶世の美少女に××された話 霖しのぐ @nagame_shinogu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説