第16話 まさか。殿下じゃあるまいし

 

 ***



 嫌だ、と。暗闇の中で叫ぶ男の声が聞こえる。


「俺は、失敗なんてしていない、邪魔が入っただけだ!」


 かぁん、かぁん……。周囲は薄暗く、鉄格子の向こうにほのかにカンテラの明かりが揺れている。男――それは昼間、宝石泥棒として周囲を騒がせた青年だった。牢の中に、誰かがいるはずもない。だというのに、ただ何かに向かい必死に叫び、格子を叩く。うるせぇぞ、と隣の囚人があくびのような声で文句を伝えた。が、そんなことはお構いなしに、また叫ぶ。


「こっちに、くるな! くるな、くるなくるな!  俺は、!」


 まるで、何かと話をしているようだった、とのちに囚人は看守に伝えた。半狂乱の金切り声は辺りに響き、看守でさえも何事かと足早に足音を響かせながら近づいた、が。


「ひぎ、ぎゃうっ」


 ぺしゃんこに男は潰された。

 血の一滴すらも影が呑み込み、死体すらも消え失せる。そのことに残念ながら看守は気づかず、やってきた牢の中に誰もいない事実に驚きカンテラの火を揺らめかせる。


「な、なんだ、どこに消えた……!? 鍵はかかっている、なのに、どういうことだ……!」


 男の小鳥のような最期の悲鳴は、誰にも届くことはなかったのだ。騒ぎに駆けつけた看守は必死に牢の中を照らした。慌てて鍵を開けて、中を確認する。暗がりに明かりを向け瞳を眇めるように探すが、もちろん誰もいない。看守は真っ青になって、「まさか、そんな………!? クソッ、誰か! 囚人が逃げ出した!」と唇をかみしめて叫んだ。


「まだ近くにいるはずだ、探せ!」


 応援を求めるためとガチャガチャと鎧を鳴らし忙しく音を立てながら看守は消え、開けっ放しとなった牢の扉が、きぃ、と頼りない音一つを残して静かに揺らめく。

 そして、その奥には。

 赤い、爛々とした一対の瞳が、暗闇の中でただじっと、見つめていた――。




 ***




 祭りも終えて二日も経てば、浮き足立った皆の様子も段々と元通りになってくる。ノマは相変わらず彼氏ともそうでないともいえない相手と喧嘩をしたり、仲直りをしたりと忙しい様子らしく、なんとも微笑ましい日々だった。


(私もなんだかんだと、随分仕事を抜けてしまったし……)


 巻き返すべくいつも以上に気合いを入れて両肩にこんもりと服が溢れた洗濯かごを載せつつ、ずんずんと進む。通り過ぎたメイドや兵達は、二度見、どころか三度見はしてエルナの肩にずんぐりと積もる洗濯物に目を瞬かせていたが、エルナ本人はまったく気にしていない。いつでも効率優先である。ずんずこずんずこ。


 力はある。体力もある。

(……でも、何か、変だな)


 なぜだか何度も祭りの日のことを思い出してしまう。いつしか弟に玉座を明け渡すことを考えているクロスの横顔を思い出すと、急に自分自身が役立たずになってしまったような気分になる。


(私が、生まれ変わった理由は、クロスとともに死にたかったから……)


 クロス――いや、ヴァイドは、どれだけ強かろうともただの人で、竜であったエルナとは何をしても埋まることのない寿命の差があった。ただ一匹、取り残されたエルナルフィアは、死ぬことを願った。


 同じ種族となり、同じ生を営む。これはすべて、エルナの願いであったはずだ。

 ……なのに、どうしても胸の奥が苦しい。


(それにどうして……人を、傷つけることができなかったんだろう)


 何度考えても自分自身が理解ができない。洗濯かごを抱えたまましん、と立ち止まって足元を見た。風に流されてきたらしい精霊達がころころと楽しそうに遊んでいて、ぴょこん、とハムスター精霊がエルナの頭の上で飛び出した瞬間である。


「エル……ギャーッ!?」

『ンジュラァアアア!!?』


 ノマがエルナが抱えていた山ほどの洗濯かごに驚き、連鎖的にハムスター精霊が跳ねながら縦に伸びた。そしてエルナの足元で遊んでいた精霊達も吹っ飛んだ。


「ノマ? どうかした?」

「びっくりしたじゃない! エルナ、ちょっとそれ、持ちすぎよ! 落としちゃうわ……っていうか今この世の終わりみたいな鳴き声がハムスター辺りから響かなかった?」

『……ハムハムゥ? ハムゥ? ……ハムだっチュウっ』

「あら? あなたそんな鳴き声してた?」


 何かものすごく変じゃない? と訝しむ目を向けられているハムスターのふりをする精霊は、必要以上に黒目をくりくりしぱしぱさせていたが、話題をそらすべく「それで、彼氏さんと仲直りできたの?」と尋ねるエルナに、「彼氏じゃないわよ! ただの幼なじみよ!」とお決まりの返答をした後、自分自身の大声にはっとして咳を一つつき、「まあいいわ、そうじゃなくて」とノマは本題にエルナに伝えた。

 エルナはというと、ノマの言葉を聞き、「……ん?」と思わず、眉をひそめつつ、とりあえずと目的の場所に向かうことにしたのだった。


 ***



「エルナ、お前が捕まえた宝石泥棒だが、昨夜、牢の中から消え失せたと兵から報告が上がっている」

「消え失せた? ……逃げたということ?」

「おそらくは」


 陛下があなたを呼んでいるようなのよ、とノマからの伝言をもらいクロスの執務室に向かうと、椅子に座りつつも渋い顔をした王に出迎えられることになった。

 そして件の話である。詳しく問いただしてみると、騒がしくしていた様子に不審に思った看守が様子を見に行くと、すでに囚人の姿はなくもぬけの殻になっていたという。そしてどれほど上手く逃げたのか、どこを探しても見当たらないらしく未だ多くの兵が逃げた囚人の捜索に当たっている状況とのことだった。


 捕らえられていた囚人は魔力封じの鎖をつけ、もちろん身体検査も行われた後であるはずだった。武器も何も持っていない状態で一体どんな奇術を使用したのか。

 さらには囚人とは別に保管されていた【竜の鱗】まで消え失せていたのだという。


「詳しい調査が終了したのち、盗まれた宝石店へ返還する予定だったのだが裏目に出たな……」

「逃げるだけではなく、わざわざ宝石まで持ち出したということ?」

「【竜の鱗】は観賞用以外にも強力な魔術の媒体ともなり得る。一つひとつは微々たるものでも、“宝石泥棒”が今までに盗み出した数を考えると……」


 王都の宝石店以外にも、地方も被害にあっていると聞く。すべてが同じ犯人かどうかは不明だが、懸念材料は大きい。思わず今もクロスの胸元に下げられている、盗まれた宝石の名の由来であるエルナルフィアの鱗を見つめたが、見かけが似ているというだけでもちろん別物だ。


【竜の鱗】とはエルナルフィアの鱗とよく似た希少価値のあるただの鉱石だ。エルナは宝石には疎いために今回初めて知ったことだが、エルナもエルナで調べはしたのだ。ガラスのような見かけということは同じだが、光にかざすと薄く虹のような光彩が見えることが特徴の一つである。


「……間違いなく、賊は監視の上、収監されていたはずだ。しかし、結果が伴わぬ以上はこちらの手落ちを認めざるを得ないな」

「一体、誰が何のために……逃げた男の名前もわかってないのよね、どこを探せば……」

「いや、名は判明しているぞ?」

「わかってるんかい!」

「尋問は終えていたと言っただろう。今回捕まえた男の名は、ニコラ。ハルバーン公爵家の使用人だ」

「ハルバーン……?」


 ――エルナルフィア様、もしよければ私の娘になってはいかがでしょうか?


 赤髪の獅子のような男のことは、エルナの記憶にも新しい。丁度、今と同じ執務室でエルナを養女とすることを提案したのはついこの間のことだ。


「さらに、以前から行っていたカルツィード家の調査だが、男爵家領から炎の魔術を持つ者が姿を消す事例が発生していることもわかった。そして、その行方不明者はハルバーン家に送られた形跡もある。取り調べの中でカルツィード男爵本人も、金のために公爵のもとへ行ったと証言している」


 エルナは思わず目を丸くした。エルナの母以外の人間も被害に遭っていたとは知らなかったのだ。

 ウィズレイン王国では人身の売買は認められていない。だからこそ今回の件の調査をクロスが指揮する形で今も行われていたのだが。


「……それは、なんというか」


 驚きはしたものの、すぐに眉を寄せ苦い表情に変化させるエルナを見て、クロスは手元に持っていた資料をばさりと机に投げ捨てた。


「ああ、出来すぎているな。まるで答えを示されている気分だ」

「たしかに公爵は炎の魔術を持つ者を優遇して雇っているとは言っていたけど、それはあくまでエルナルフィア教を信仰しているだけで、捕まえた泥棒は水の魔術だったし強いこだわりがあるわけではないんじゃないの? わざわざ公爵が自分が黒幕とわかる形で盗みをするのはおかしいと思うし」

「しかし、理由はある。お前の義理の姉がエルナルフィアだと主張したときの茶番劇を覚えているか? エルナルフィアの生まれ変わりを得ることで王家と貴族のバランスが崩れ反乱が起こったというお粗末な筋書きだったが」


 クロスからすれば義姉のローラの虚言を暴くため、一時でもごまかすことができればそれでよかったのだろう。ハルバーン公爵から兵を借り受け、逃げ場のない状況を作り出したのは二ヶ月と少し前のことだ。


「エルナを養子にするという話も公爵からの提案だった。申し出を断ったことでまさに筋書き通り王家に権力が集中することを公爵は恐れ、武力となる炎の魔術を持つ者をかき集め、さらに【竜の鱗】という魔術を強化する武器を集めている……という可能性もある」

「まさか、本当にそうだと思っているの?」

「思うわけがない。無理やり考えただけだ。公爵との付き合いはこれでも長い。どんな人間かということは把握しているつもりだし、この話が事実なら随分以前から準備を行っていたことになるが、お前がエルナルフィアだということを公爵が知ってからでは到底無理だ。時系列が前後している」


 クロスの言葉に思わずほっとしつつも、やはり違和感は拭えない。

 エルナがハルバーン公爵と出会ったのは一度きりだが、身体は大きくはあっても決して奸計をめぐらすような人間には見えなかった。オッホッホウ、と笑いながらファンシーな仕草で耳に手のひらを当てている地獄耳……という印象しかないが、なんだかろくなイメージじゃないな、と思わず自分の額に手のひらを当てつつ唸ってしまったが、意外なことにもクロスも同じような仕草をしていた。


 どれだけ理由を考えようとも否定しようとも、王族と貴族の関係には深い亀裂があり、全てを理解し合うことはできない。

 それは初代国王であるヴァイドでさえも長年頭を悩ませていたことだ。


「……何にせよ、今夜にでも公爵の元へ使者を送る予定だ」


 なら自分もそれに、と顔を上げたところで、「別に、お前の力を借りることを期待しているわけで伝えたわけではないぞ」とあっさり否定されてしまう。


「お前にも関わりのある話だからこそ伝えはしたが、それだけだ。……すべてが解決するには、まだしばらく時間はかかる。本当にすまない」

「え? えっと」


 まっすぐに見つめられながら改めて伝えられると何をどう伝えればいいのかわからなくなってくる。

 青年の瞳の中には、静かに怒りの炎が燃えていた。

 クロスはエルナの母の悲劇をまるで自身のことように怒り、調査の手を休めることなくすべての罪を白日の下に晒すことを目的としている。そう思うと、自然に頭が下がった。


「……うん。よろしく、お願いします」


 エルナの母であるから。エルナが、エルナルフィアの記憶を引き継いでいるから。クロスの怒りは、決してそれだけが理由ではないことは、痛いほどに伝わった。エルナがただのエルナだとしても、ウィズレイン王国の民の一人であると彼は考えている。

 だからこそ、エルナは静かに礼を伝えた。


「ありがとう」

「まだその言葉は早いな」


 にかりと笑う青年の背よりも高い窓の格子向こうから差し込む光は、あまりにも温かだった。



 ***



「と、言いつつも、できれは私も何か手助けをすることができたらいいなと思っての行動ではあるのだけれど」

『レッツ夜のお散歩、でごんすな。しかし今日もひまわりの種がおいしいでがんす。この一粒のために生きているでがんす。もぐもぐ』

「君は最近、どんどんハムらしさを失っていっているよね」


 ぽそりと思わずエルナの口からこぼれた声に対して、『ぢぢっ!?』と驚愕の声を上げぷるぷるするハムスター精霊は相変わらずエルナの服のポケットの中から顔を出して存在を主張している。「まあいいけどね」とエルナは独り言のように呟き、すでに日はとっぷりと暮れた城の中をそっと見回す。ところどころに掲げられた松明の炎が暗闇の中を風で揺らめきながら照らしていた。


 今夜にでもハルバーン公爵のもとに調査のための使者が送られるというのならば、エルナも別方面から調べることができれば、と思ったのだ。公爵のもとに逃亡した使用人がいるとは考えにくい。未だに消息を調べているにしても人の手が多いに越したことはない。


 きょろきょろと周囲を確認しつつ、足音を消すようにスカートの裾を柔らかくひらめかせ、エルナは城壁に近づく。巡回の兵士の気配を察知し、一呼吸ののちに城を覆う壁を乗り越え、すたりと地面に着地した。


『……おい。今、何か飛び越えなかったか?』

『まさか。殿下じゃあるまいし』


 壁の向こうの声を聞きながら、エルナはすたすたと気にせず歩く。奇しくもエルナの行動は、ついこの間のフェリオルの逃亡を彷彿とさせたが、警備の兵もまさか梯子もなくただの人間が膂力だけで飛び越えるとは思いもしない。


「ハルバーン公爵家に仕えていたという使用人――ニコラだったっけ。彼が消えた足取りは、まだ掴めていない」

『ごんす?』

「色々考えてみたんだけど、ニコラと同時に、城で保管していたはずの【竜の鱗】も消えた。つまり、一般的に考えるなら消えた【竜の鱗】を追えば、ニコラのもとにたどり着くことができるってことだよね?」


 街の人々は家々に帰り、静かなものだ。談笑しているのか、ときおり笑い声のようなものが遠くで響くが、こつこつと響く自身の足音がどうにも大きく聞こえる。

 夜の街は、まるで裏と表のようだ。つい最近の賑やかな祭りの様子を知っているからこそ、しんと肌寒い風が頬をなでるような冷たい空気と、吐き出す息の白さが妙に冷たい。

 紺色に塗りたくられた街の道の真ん中で、そっとエルナはしゃがみ込んで瞳をすがめた。


「【竜の鱗】が消えてから、丸一日……。さあて、一体どこにたどり着いたのかな?」

『わかるでごんす?』

「うん。宝石の形はこの間、追いかけながら“視た”からね。魔力を探すだけなら、精霊を見る目と同じだよ」


 冷たい煉瓦の道にそっと片手をのせた。「視ようか」 ぱちり、とエルナが瞬く。エルナの青い瞳の中で、ちかりと星が輝いた瞬間、夜の帳が下りた道の中で、ぽとん、ぽとん、と淡く輝く足跡が、まっすぐに進んでいた。


「なるほど、こっちか」


 それは、空と同じ青い瞳を持つエルナだけが見ることができる“印”だ。

 ぼんやりと夜の道を照らしている。


「【竜の鱗】の宝石は珍しくはあるけれど、この世に一つってわけじゃない。だから、この足跡もまったく別の誰かを追いかけているだけ、という可能性もあるけれど……行くだけ、損はないよね」


 とりあえず自分を鼓舞するかのように呟いてみた。

 任せっぱなしは性に合わない。できることをするだけだ、と立ち上がり、くしゃりと髪をひっかいた。「寒いから、入っといて」ついでにぽすんとハムスターをポケットの奥に押し込む。『むちゅちゅ』と聞こえた文句の声に微笑みつつ、エルナは夜の街を素早く走り抜けた。


 ――その道の先に、どんな苦しみが待ち受けているとも、知らずに。

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