第15話 竜の祭りと少年 後編



 ***



 泥棒をドラフェが追いかけ、ドラフェをエルナが追いかける。たどり着こうと思えば一瞬のことだが、そのときエルナは自分の立場をなんとか思い出した。王宮のメイドのお仕着せを力強くはためかせて飛び込むなど、悪目立ちにもほどがある。しかしドラフェは中々奮闘した走りを見せていた。泥棒も人気のない場所に行けばいいものの、逆に人混みの中に紛れようとしている。人の流れにそって逃げようと思っているのかもしれない。


「貴様、待てェ!」


 ドラフェの叫び声は観衆の中に紛れつつも、何事かと人々は振り返る。わちゃめちゃになりつつも、波をかき分けるように進んでいく。「盗んだものを、返せ!」 とうとうドラフェの指先が泥棒の服にひっかかり、掴まれた相手はというと、ぎゃあと悲鳴を上げて倒れ込もうとするが、なんとか耐えて振り向いた。小さなドラフェを弾き飛ばそうと片手を振り上げた瞬間、エルナは滑り込んだ。

 すかさず少年の襟首をひっぱり、自身の背にかばう。


『――ごんす!』

「う、うわぁあ!?」


 そしてポケットから飛び出したハムスター精霊が、ひまわりの種の殻を激しく泥棒の顔に投げつけた。泥棒は片手で顔を覆いながら驚きふらつく。いつの間にか周囲の人々はエルナとドラフェ達を除くように円となり、ざわつきながら距離と取っていく。


「くそ、なんだ今のは、くそ……っ!」


 顔面を片手で覆いふらつきつつ泥棒は後ずさったが、人垣に阻まれすでに逃げ場はない。周囲を見回し状況を理解した瞳は血走り、エルナと、さらに彼女を通り過ぎるようにドラフェを睨んでいる。「俺の、邪魔をするな!」 男の輪郭が歪み、練り上がるように湧き出たのは水の魔力だ。


(――魔力持ち!)


 魔力持ちとは生まれつき魔力が濃く、自在に自然現象を操る人間のことである。すでに人目など気にしている場合ではない。エルナは男の幾倍もの速度で魔術を完成させ、右腕に炎をまとった。水はエルナがもっとも苦手とする属性だ。まるで津波のように轟々と唸り膨れ上がる水の壁を消滅させる方法はただ一つ。水を蒸発させるほどの、特大の炎を叩き込むしかない――それこそ、相手の術師を焼き殺すほどの炎を。


 その判断を、エルナは瞬き一つの間に行い、同時に男に対し右の手を叩きつけた。暴れ狂う炎は水を食らいつくし、術者すらも骨すら残らず消し炭となる――はずだった。


「……え?」


 唐突に、エルナの魔力は消失した。


 男を飲み込まんと溢れ出た炎は目的の眼前でぴたりと消え失せ、エルナはただの小娘と成り果てた。


「…………っ!」


 そのときエルナはねじれあがるような自身の感情を押しこらえ、せめて背後の少年を守るべく、細い両腕を俊敏に広げかばう。すでに水の魔力は幾本もの氷の矢じりと変化し、数秒のち、四方八方からエルナの全身を射抜く――寸前、爆風が地面から吹き上がった。


「ひ、ひゃああああ!」「きゃあ、ひゃああ!」と、周囲の人々の悲鳴すらも飲み込み巻き上げ、エルナも体を固くさせながら自身とドラフェを守った。


 ふ、と風が止んだ。顔を上げると、くだけた氷がはらはらと雪のようにかすかに輝きながら空から降り落ちている。一体、何が起こったのか。エルナを狙った男すらも呆然として空を見上げていたが、すぐさま周囲のざわめきにはっとして辺りを見回している。それはエルナも同じだった。


(……何、この様子……?)


 先程の悲鳴とはまた違った、まるで浮き足立っているように人々は声を上げていて、その声はだんだん近づいてくる。とうとう人垣を裂くようにやってきた人間の姿を見て、エルナは「あっ」と小さな声を出した。


「――この良き日に騒ぎを起こすとは。無礼講、とするにはおいたが過ぎるな」


 金の髪は太陽を背にしているからか、いつも以上にきらびやかに輝いている。じゃらんっ! と装飾が音を鳴らす。重たいはずの服の装飾もなんの問題もないとばかりに彼は堂々とした立ち振る舞いのまま、エルナ達を見下ろした。そのやってきた青年――クロスの背後には近衛兵が慌てたように走りより、人々も王の姿を目にして歓喜の声を上げたかと思うと、ばらつくように平服する。

 混乱ひしめく状況に近衛兵達は領民達を離れるようにと対処しようとするが、「構わん」とクロスは悠々と片手で制していた。


(……なんで、こんなところにクロスが)


 エルナはいつの間にか座り込んだ格好のまま、呆然とクロスを見上げた。そして、はたと気がついた。泥棒は人が多い場所へと隠れるように逃げようとしたが、人が多い、ということは王を見物しに来る人々の波に呑まれていたということだ。だったらクロス自身が騒ぎを聞きつけたとしてもおかしくはない。エルナの命を狙い放たれた矢を吹き上げた先程の風もクロスの仕業なのだろう。

 この場に、クロスはただのクロスではなく、騒ぎを収めるために王として存在している。それならば、とエルナは慌てて叫んだ。


「その者は先程宝石店にて盗みを働きました! どうかご闡明を!」

「ふむ」


 クロスはあえてなのだろう、エルナに目もくれずに男を睥睨した。


「宝石店を狙う悪たれのことは把握している。が、その犯人とするにもこの場のみでは判断がつかん。しかし正当性もなく、他者を害するほどの魔力を許可なく行使する行為は重罪だな。さて、丁寧に調べてやるとするか」


 ぱちりと指を鳴らす。


「捕らえろ」

「はっ」

「は、離せ!」


 なんとまあ、あっという間の物語だ。

 盗みを働いた男は抵抗しつつも連行され消えていったが、眼前に存在する王に対する人々の興奮は未だ消えそうにない。「さて」と、クロスは腰に手を当てながら、ちらりとエルナに視線を向け口を開いたが、問いかけはエルナに対するものではなかった。


「――一国の王子が、なぜこの場にいるのか。その説明も、聞かせてもらうとするかな、フェリオル」


 エルナの背に隠れるようにしていたドラフェが、ぎくり、と身体を震わせた。「あ……兄上……」 こうして見ると、髪の色にせよ、瞳にせよ、クロスとそっくりである。二人は互いに金の双眸を見つめ合ったが、すぐさまドラフェは顔をそらした。

 クロスはそんな弟の姿を見て苦笑するようにため息をついたが、すでに兄の顔を見てもいない弟は所在なく、身を縮めるだけであった。




 ***




「ねえクロス、あっちは何をしているの?」

「酒を配っているんだろう。振る舞い酒というやつだ」

「ふーん」

「まったく興味がなさそうだな」

「お酒を飲んだことはないから」


 とりあえず今のところはね、と軽く答えるエルナにそうか、とクロスは頷きつつ少しずつ日が暮れる街を歩いて行く。「……ねえ、王様がこんなに堂々と外にいていいの?」「すぐ隣に王がいるだなんて誰も思わんものだ。さすがにフードくらいはかぶりはするが」「そんなものなのかな……?」と、首を傾げるエルナに、案外平気だ、とクロスは重たい装飾を投げ捨てて身軽な町人服に身を包んでいる。エルナも合わせて城のお仕着せからただの町娘のように膝の長いエプロンドレスに着替えていた。


「……弟のことでは、世話をかけたな」

「え? ううん、それは別に。偽名に竜を使うくらいだもの。可愛くしか思えないよね。もともとそうかな、とも思ってたし。――ジャンヴァイドフェリオラディオル・エル・ウィズレイン、でしょ?」


 舌を噛むこともなく弟の名を鮮やかに言いのけ、ふふりと自慢げなエルナの様子を見て、クロスは思わずと言った様子で苦笑している。

 まるで呪文の如く長い名ではあるが、もとは二番目の王子、そして今は王弟殿下として扱われ、フェリオルという名の愛称を持つ少年がいることをエルナはもちろん知っていたのだ。以前にノマから話を聞いた際にコモンワルドへと確認をし、必死に名前を覚えた。


 エルナのもとに飛び込んできた少年は、クロスと見かけも同じならば、出会った場所も場所だった。それに偽名がドラフェ、である。ここまでくればわかるなと言われる方が無理に近い。以前にクロスは、『この国の人間はなんでもドラをつけたがる』と、言っていたが、例に漏れずというわけだ。なんだかとても微笑ましい。


 ――というわけで、幼い王弟殿下を一人を放り出すわけにもいかず、今の今まで付き合っていたのだ。

 エプロンドレスのポケットに移動したハムスター精霊が、ぴょこんと顔を出して『ごんすごんす』と相槌を打っている。


 城から抜け出していた事実をすっかりバレてしまったドラフェ、もといウィズレイン王国王子フェリオルは兄の顔を見るとまるで借りてきた猫のようにしょんぼりと小さくなっていたがすでに近衛兵に連れられ城に帰っていった。その際に兄に謝罪の言葉を、同時にエルナにまた会おう、と言い残した。短い時間ではあったが、不思議な出会いだったような気もした。


 そしてなんやかんやとありながらも時間が経ち、今は日が沈み落ちる街の中を今度は兄であるクロスと回り歩いているというわけである。


「……でもやっぱり、王様があんまりほいほい出歩くものじゃないような気もするけどな」

「するべきことは終えている。それに、俺がいなくて回らん形を作るつもりもない」

「そうじゃなくて……」


 危険という意味で、と言おうとして考えた。何かあったところでエルナが守ればいいだけの話だ。それなら、と納得しようとして、思わず自分の右手を見つめた。あのときエルナは、練り上げた炎の魔力を向かいくる男に叩きつけようとしたはずだった。しかし突如として消失した魔力は紛れもなくエルナ自身の意思だ。そのときのエルナは人を殺すことに無意識にも強く不快な感情を持っていた。

 今も思い返せば指の先を震わすほどに自身の内側が強く揺さぶりかけられるようだ。


(……なんで、殺せなかった?)


 竜であった頃は人などいくらでも殺した。人となってしまった今となっては、殺害はたしかに褒められるべき行為ではないとわかるが、あれはただの正当防衛だ。人の常識と当てはめても何の問題もない行為であるはずだった。


「…………」


 指を開き視線を落とすと、そこにあるのはただの白く小さな手のひらである。

 考えてみると、初めてエルナがクロスの前で力を見せたときも、兵などいくらでも殺すことができたはずなのに脅しとして鎧を溶かすことしかしなかった。本来なら殺してしまえばいい話だった。

 それなのに、と奇妙に混じり合わない感情がエルナの奥底で渦巻いていた。人は、いくらでも殺せる。けれども。


(殺したくは……ない……)


 できれば、傷つけたくもない。


「エルナ、どうかしたのか?」

「い、いや。なんでも……えっと、クロス、あれは? 何を売っているの?」


 名前を呼ばれ尋ねられ、見透かされたような気持ちでどきりと心臓が飛び跳ねる。慌ててごまかすつもりで屋台の一つに指を向けたが、「え、本当に、何をしているの……?」 次第にエルナの眉が曇っていく。


 その先にはまるで雲のように、見ている内にふわふわ、もくもくと大きく膨らむ何かを店主が作って、店先に並ぶ子供に渡している。ふむ? とエルナが首を傾げたとき、可愛らしく笑みをほころばせた子供は、顔ほども大きなそれに、はむっとかぶりついた。「ひぃい!?」と、エルナは素っ頓狂な声を出した。


「えっ、たべ、たべ、食べ物……!?」

「雲菓子だ。ちゃんと食べ物だ。甘くてうまい」


 そのあと、「お前は何も知らないな」と柔らかい声で続けられたクロスの言葉には、不思議と不快感はなかった。クロスは流れるような動きで雲菓子を購入し、エルナの前に差し出す。


「……注文が手慣れている。さては自分の弟と同じことしてるでしょ。視察と兼ねて逃亡を」

「いいから食え」

「や、やめ……っ! ふあっ! あまふかぁっ」


 幸せのあまりに新しい言語を生み出してしまった。

 ふわふわの菓子は含むと口の中でとろけた。「ああ、うう、ああ」 いきなりの甘いものはよくない。美味しすぎるものは、食べすぎてはよくないのだ。エルナは片手で胸を押さえてはあはあと息を荒くしながら、顔を近づけたり、遠ざけたりと忙しく、その様子をクロスはにまにまと見下ろしている。

 最終的に誘惑に負けてしまい、ふかふかと雲菓子に顔を埋めていると、「俺はな」ととっぷりと暮れ始めつつも、祭りの熱気も収まらない街を見つめつつ、ぽつりとクロスは呟いた。


「フェリオルの行動に、そう目くじらを立てる必要はないと思っている。もちろん、手放しに褒めることはできないが、無謀さは言い換えれば勇敢さだ。あいつは、あいつなりの形でこの国を守ろうとしている。きっと、いつかは立派な王に成長する。けれども、俺はだめだ」


 こんなにもたくさんの人がいる。それなのにクロスはただ一人きりで立っているようにも見えた。金の瞳が夕日と入り混じり、どこか遠い場所を見つめているようだ。


「――この国は、ウィズレイン王国は俺のものだ。過去の王の記憶がそう言って主張する。……しかし、そんなわけがない」


 クロスは片手を差し出し、街の中に埋もれようとする夕日に指先をからめ、太陽を握りしめる。そして、ゆっくりと開いた。ただの手のひらの中に光を留め置くことができるわけもなく、そこにあるものはただの空っぽだ。


「王は、玉座を民から借り受けているだけにすぎん。この身体に田畑を切り開きウィズレインと名をつけた記憶があろうとも、国は、決して個人が所有するものでも、所有すべきものでもない。だからいつの日か、俺はこの座を返還せねばならん。そして譲り渡す相手として、フェリオルは申し分がないと思っている」


 何でもできる兄と自分を比べて落ち込んでいたフェリオルだが、自分自身のことこそよく見えないものだ。雲菓子を食べることすらも忘れてエルナはクロスを見上げた。幼い頃に過去の記憶を思い出したという彼は、ただ一人苦しみ続けたのだろう。過去は過去である、と言い切ることができたらどんなにいいだろう。苦しみも、悲しみも、喜びも。何もかも、地続きのように生まれ変わってしまったのは、エルナだけではない。


「……だから、自分には難しい、と言ったの?」


 キアローレと大樹の下で、国を見守り続けてきた彼らに対してクロスがこぼしていた言葉だ。どうしても、奇妙な違和感があり記憶に残っていたのだ。「そうだ」とクロスはゆっくりと頷いた。


「もしお前が俺の嫁になったとしても、王妃としての責務を望んでいるわけではない、ということを伝えたかった」


 なので安心して嫁にこい、と両手を開いて迎え入れる体勢となるクロスに、「最終的に全部そこに持っていかれる……」と、エルナとしてはつっこまざるを得ない。『ゆるぎないでごんすな……』とハムスターまでひっそり呟いている。


 クロスの年や立場を考えると、婚約者の一人もいないことにはエルナは不思議にも感じていた。もしかすると、自身がいつか退く立場であることを考慮し、あえて作らなかったのかもしれない。多くの女性は王の妻になるからにはそれ相応の期待を持つに違いないだろう。その点、エルナは権力がほしいわけではない。そんなものは過去に腐るほど持っていたから、今生ではクロスとともに静かな隠匿生活を送るのも案外悪くはないような気もした。


「……まあ、考えておくよ」

「よしよし。あとはもう肯定を待つだけだな」

「びっくりするほど前向きだよね。もうつっこまないからね」


 赤く染まった街も、人々も、少しずつ暗く、空は星々の輝きに変わっていく。それでも賑やかさは変わることなくどんちゃん騒ぎは終わらない。目をつむると、懐かしい思い出の中にどっぷり浸かることができそうだった。


 気づけば、片手に指がからんでいた。どきりとして瞳をあけると、クロスのいたずら笑いの声が落ちてくる。そっちを見ることなんてできないから、エルナは頬をわずかに赤く染めてからむ指先に、指の中で返事をした。温かい手のひらはぴくりと跳ね上がったようにも感じたが、それはただのエルナの気の所為なのかもしれない。


 寒い、つんとした冬の匂いがエルナの鼻の奥にしみて、人々のざわめきの中に消えていく。


「随分風が冷たくなった。この時期は、いつもそうだ」

「王都でも、やっぱりそうなんだね」

「しかしお前の手は、温かいな。さすが火竜といったところか?」

「さあ、どうかな。クロスの手も、十分あったかいけどね。……それでも寒いっていうんなら、こうしていくらでも温めてあげるよ」


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