第9話 ハムじゅらあああああ




 ***



「な、なにこれ……?」


 ノマは目をまんまるにしてエルナを見て、さらに回廊の現状を確認し、ぽかんと口を開けている。その手からは抱えていた掃除道具が滑り落ち、がちゃんっ、がらん、と音を立てた。


 戻ってくることはない、と考えていたエルナの見立てに対して、なんとノマは自身の宣言通り帰ってきたのだ。エルナを一人きりにした時間もそう長くもなく、寄り道をせずに目的だけ遂げてまっすぐにやってきたのだろう。「えっ、ちょっと、え?」 そんな彼女はエルナをメイドとして引き合わせたときよりもさらに混乱した顔つきで何度も口をぱくぱくとさせ現状を理解すると、まるでしゃっくりをするかのように、「ひえっ」と声を出した。「なんで」 ふらふらと突き出す指が踊っている。


「な、なな、なんで、こんなにピカピカになっているのぉーーーー!!!?」


 エルナはただただ口元を閉ざして、視線をあらぬ方向に向けることしかできなかった。


 なんせ、回廊は光り輝いていた。文字通りにぴかぴかだった。ノマがあまりの眩しさに、「ううっ!」と悲鳴を上げてのけぞるほどである。


 人通りが少なくあまり手入れをされていなかった、といってもあくまでも城の一部だ。そこそこ程度にはもともと掃除はされている。それが、今まさに生まれたばかりですともいわんばかりにびっかびかである。エルナは思った。精霊やりすぎ。


「……恐ろしい! 輝きすぎて恐ろしい! ひいっー!」


 未だにノマは叫び続けているがとても気持ちがわかる。なんせピカピカだもの。なんでもものには限度がある。

 しかし精霊たちは見事なチームワークで成し遂げた成果にご満悦の様子で、ハムスター精霊を中心に互いにわっしょいわっしょいと胴上げを繰り返している。そして楽しかったのでこれから定期的に城をピカピカにする会を開こうと話し合いも行われていた。やめんか。


 適度にしなさい適度に、とエルナが視線で精霊たちにツッコミを入れている間に、ノマは段々とわなわなと震えて、「これ、あ、あ、あ、あなたがしたの!?」「い、いえ、そういうわけじゃ……」


 もちろんエルナも必死に頑張ったが、ドラゴンパワーを使ったところで数の勝利で精霊たちに打ち勝つことはできなかった。なのでエルナが一人で行った、と言うのは横から彼らの努力をかっさらったようで気分が悪い。が、この場合イエスとしか返答ができないことも事実である。精霊が手伝ってくれました、なんて言えるわけがない。

 そして相変わらず精霊たちはわっしょいわっしょいハムスターを担ぎ続けている。『はんむじゅらぁあああ』そろそろ悲鳴も聞こえてきたので、いい加減下ろしてさしあげて。


「なんというか、一人でしたと言われると違うんですけど、もしかしたら、そうかもしれないような……? でもやっぱりなんていうか」

「だ、大丈夫なの!?」

「えっ、はい。はい?」


 激しい剣幕でエルナよりも高い背を威圧的に伸ばしながらノマはつかつかとこちらに近づいた。なんだなんだと思うと、エルナの手のひらを横から勢いよくひっさらったのだ。


「あなた、水が苦手なんじゃないの!? 手のひらだって、こんな……!」


 そのときのノマの様子は、エルナにとって随分不思議なもののように思えた。ノマはエルナの手を握りしめようとして、けれどもひどく痛々しいものを見るようにそっと目を伏せ、柔らかく添え直した。


(……水が、苦手?)


 たしかにエルナがカルツィード家にいたころはローラや周囲の使用人達に仕事を押し付けられていたから、男爵家の養女とは思えないほどに指先や手のひらはひび割れている。

 今も短時間とはいえ一生懸命に掃除をしたため、割れた傷からは血が滲んでしまっていた。


 竜としての記憶が目覚めたといっても身体は人のままだ。エルナの感覚からすると、人の身体はなんとも脆い。ぼんやりと自分の手を見つめつつ考えていると、ノマは怒ったように自身の服のポケットから何かを取り出し、エルナの肌に塗りつけた。ぬとぬとした感覚にびっくりして、もしエルナに過去と同じく尻尾が生えていたのなら、鱗が逆立ち、じゃらり、じゃらん! と大変な音が鳴り響いていたかもしれない。


「ひええ、こ、これ、これは……?」

「軟膏よ。よく効くんだから。お風呂に入るときも随分様子がおかしかったから、水を使う作業は私がしようと思っていたのに」


 お風呂、というのはノマがエルナの世話をしてくれたときだろうか。たしかに湯船に入ることに慣れずに大暴れてしてしまったのは記憶には新しいが。


「それなら、掃除道具くらいなら最初から私が持つのになんで……」


 ここまで話を聞いて、ノマがエルナにバケツを持たせなかったのは決してエルナを信用していなかったからということに気づいた。大丈夫なの? とエルナに尋ねた問いかけは文字通りの意味だったのだ。

 ノマの行動は、エルナからすると随分非効率なように思える。エルナの問いかけに、ノマはぱちんと緑色の瞳を瞬いた。

 そうするとエルナよりも背が高く、大人びた顔つきがとたんに可愛らしくなる。


「ああ、そうよね。あなた、もう同僚なんだものね。そうか、お世話をしていた頃と同じ感覚でいたわ……。で、でもいきなりだったからよ! 言ったじゃない! 何をお願いしたらいいかわからなかったって! ぷんすかよ! でも明日からは頼むことをちゃんと考えて準備するわよ!」


 ノマはりんごのように頬を赤らめていて、早口でまくし立てた。

 そんな彼女の様子を見ていると、エルナはぽろん、と目から鱗が落ちたように感じた。もちろん、ただの比喩である。それだけ見える景色が変わってしまったように思ったのだ。


(そうだ、ここはカルツィード家じゃないんだ)


 今更あの家にいた人間を恐ろしいとは思わない。それでもエルナの内に染み付いた悪意に気がついた。それは、ときにエルナの視界を曇らせていたようだ。

 だから払い落とすように、さっと服を手のひらで触って、だしっと足の裏で踏みしめた。ノマは不思議そうに首を傾げたが、気にせず続ける。


「ごめんなさい。不思議に思ったなら、そのとき尋ねなければいけないわよね。気をつける。いえ、気をつけます……改めて挨拶をさせてください。ノマさん、いきなりで申し訳ないけれど、これからよろしくお願いします」

「嫌だわ、今更敬語は嫌よ。もとはお世話をしていたお嬢様だと思うと変な気分になっちゃう。私もエルナって呼ぶから、こっちこそよろしくね。あと不思議に思って聞けなかったことがあるのは私も同じ。なんであなたが一緒に働くことになったんだろうってね」


 そこまで言い切ったあとに、「でも大丈夫」とノマはふふんと頷く。「お城なんて秘密の塊みたいなものだもの。お口を閉ざす術はきちんと身につけてるわよ」 声をひそめていたずらっ子みたいに笑ったからエルナも思わず吹き出してしまった。


「ありがとう、嬉しい……あ、あと、水は、ちょっと好きじゃないけど、ちょっとだから。普通にしてもらって大丈夫」

「そうなの? それならいいけど」


 二人で顔を近づけあって、ないしょ話をするようにひっそりと笑っていたら、やっとハムスター精霊も精霊たちとの集会というか、挨拶を終えたらしい。ちゃかちゃかちょこっと四足で走ってエルナの足元に来たかと思うとぴょんっとジャンプして服をよじのぼりエルナの頭の上に落ち着いた。


 ぴょこっと顔を覗かせた瞬間、「ひんぎゃ」とノマは口から飛び出た悲鳴を呑み込むような仕草をした。(しまった) 精霊のくせに、どうやらこのハムスターはエルナ以外にも自在に姿を消えたり、見せたりできるらしい。今は丁度姿を見せている状況だった。


 今更手のひらで隠そうとして、「かかかかか、かんわ」 ノマは目元をうるませながらがくがくと震えている。ハムスター精霊はひくひくとピンクのお鼻を忙しなく動かして、きょろきょろと辺りを見回していた。


「かんわぃいいいいいいいい!」


 ネズミとして追い出されなさそうでなによりである。





 こうしてハムスター精霊はひまわりの種をメイド達からもらい受けることができる立場を得たのだった。

 困ったことはないかと定期的に尋ねてくるコモンワルドの動きは相変わらず直角で、年相応とは言い難い動きである。「ノマは、とても面倒見が良いでしょう」とほっほと笑っていたから、ノマがエルナの世話係となり、そしてメイドとなった今も先輩役として命じられた理由を理解した。


「ええ、とってもありがたい存在です」とエルナの口からこぼれた言葉はとても正直なもので、エルナ自身でさえも少しだけ驚き、わずかな恥ずかしさ以外にほんのりとした温かさを胸の内に感じた。


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