イマドキの口裂け女

あーく

イマドキの口裂け女

 ちくしょう。

 締切は明日だっていうのに原稿が全く進んでいない。

 いや、日付が変わってるから今日か。ややこしいんだよ毎回。

 そろそろ『もう今日になっちゃったけど午前三時までは明日と言ってもよいこととする』みたいな法律を作ってもいいと思う。


 そんなことはどうだっていい。早く完成させないとまた編集にどやされるぞ。

 こういうときは――やはり散歩に限る。

 散歩をするとアイデアが生まれやすいってホニャララ大学のソレガシ教授の研究にあったってどっかのメンタリストが言ってたって某インフルエンサーも言ってたし――。


 夜の町は、昼とは一味違った一面を見せる。

 昼は近所の住民たちでわいわいと活気あふれているが、夜は街灯だけがただぼんやりと静かに立ち並んでいる。


 ここはそれほど都会ではないので、適度に暗く、薄気味悪い感じだ。

 正直、何が出てきてもおかしくない。

 むしろ何か出てきてくれ。そして何かアイデアのヒントをくれ。


 そんなことを考えていると、向こうからコツコツと足音が聞こえてきた。

 ハイヒールの音のようだ。女性だろうか? しかも一人。

 こんな夜遅くに女が一人で歩いていると危ないぞ。そう思った時だ。


「あのー……」

 女はこちらに近づき、話しかけてきた。

 街灯に照らされ、姿が徐々にあらわになる。

 綺麗な長髪で、全身を覆うベージュのトレンチコート。

 声から察するに、二十から三十歳くらいの女性だろう。

 風邪なのか、花粉症なのか、すっぴんなのか、マスクをしている。


 お婆さんから話しかけられることは時々あるが、若い女性から話しかけられることは滅多にない。

 そろそろモテ期の到来か、などと考えているうちにふと冷静になった。

 こんな時間に女性が一人で出歩くのは不自然じゃないか?

 残業帰りか? 道に迷ったのか? それとも、原稿の締切がギリギリなのか?

 なんにせよ、不審者の可能性も十分にあり得るので、警戒をおこたらなかった。


 女の口から発せられたのは、衝撃の一言だった。

「アタシ、キレイ?」

 ……どこかで聞いたことあるフレーズだ。

 それは遠い過去、子供の頃に流行していた都市伝説のはずだった。

 まさか、ここで耳にするとは思ってもみなかった。


 覚悟を決めて返事をした。

「ああ、綺麗じゃないっすか?」

 すると、女はマスクに手をかけた。

「コレデモカァ!」

 女がマスクをバッ!とはずすとそれは口が耳まで裂けた恐ろしい形相だった。


「……あー、そういうのやめた方がいいっすよ」

「……エ?」


「もしだよ? もしも『』って言ったら――」

「イマ『』ッテ言ッタナー!!」

「『もしも』だっつってんだろ!! 黙って聞け!」

「ア……ハイ」

「もし『綺麗じゃない』って言ったら『配慮が足りてない!』『見た目で判断するな!』って叩かれるから『綺麗』としか言えないんだよ。ひと昔前までは顔を見て怖がる人がいたかもしれないが、今は人を見た目で判断するのは良くないという考えが主流なんだ」

「デモ、怖ガッテクレルダロ!?」

「怖いというより不快なんだよ。確かにその顔は見るに耐えない。かといって『綺麗じゃない』と言うと叩かれる。『綺麗だ』と無理に言わせたところで、ただ面倒くさい女だと思われるだけだ」


 説教が効いたのか、女はすっかり縮こまってしまった。

「アタシはこれからどうすれば……」

 話し方も落ち着きを取り戻したようだ。

「早く家に帰るんだな。夜は危ないぞ」

「実は――」

 どうやら、人を驚かすためだけに遠路はるばるここまでやって来たそうだ。

 女が住んでいる地域は過疎化が進んでいるため、なかなか人と出会えないらしい。

 今から帰るとなると日が暮れてしまう、もとい、夜が明けてしまう。

 都市伝説上の人物とはいえ、夜に女を一人放っておくわけにもいかない。

「ひとまずウチあがってけ。今日だけだからな」




 アイデアを持ち帰るはずが、とんでもないものを持ち帰ってしまった。

 口裂け女――アイデアに使おうにも、使い古され過ぎていて今どきこんなものはウケない。

 どうしたもんか、と考えているうちにマンションに着いた。


 エントランスの前に立つと、自動ドアがウィーンと音を立てて開いた。

「ひぃ!」

 女が声をあげた。

「どうした?」

「と……扉が勝手に開いた……! 怖…」

 どうやら自動ドアを見るのは初めてらしい。


 エレベーターに乗り、自分の部屋に着いた。

 鍵を開け、扉を開ける。

「ただいまー。OKゴーグル、電気つけて」

「ショウチシマシタ」

「え? 誰かいるの? 怖」

 どうやらAIスピーカーも知らないらしい。


 靴を脱ぐと、パッと明かりがついた。

「ひぃ! 電気が勝手についた! 怖!」

「いちいち怖がってんじゃねえよ。お前は怖がられる方だろ」

 ツッコミを入れながらスリープ状態のPCを起動する。


「まあ、ゆっくりしてけ。夜食もあるから食べていいぞ。ほれ」

 冷蔵庫の中から缶チューハイを一本取り出し、女に見せると、女は首を横に振った。

 つまみをいくつか取り出して女の前に並べると、俺は酒を片手にデスクに着いた。

の燻製にチーズ……? 狙ってるよね?」

「ほら、もあるぜ」

「よくそんなくだらないダジャレ思いつくわね。そんなの言えないわ」

「もう裂けてんだろ」

「あら、意外と美味しいわね。ほっぺた落ちそう」

「ほっぺた裂けてんだろ」


 リラックスしたのか、女が口を開いた。

「ねえ、さっきアタシの顔は怖くないって言ったわよね?」

「ああ」

「じゃあ今の人は何が怖いの?」

「……俺は怒った編集が怖いかな?」

「そうじゃなくて――」

 俺は缶を開け、一口飲んだ。


「そうだな……今の人はどちらかっつーと見えないものを恐れてる気がするな」

「どうしてそう思うの?」

「例えば、陰謀論、対人関係、将来の不安――SNSを見てたらそういう話題がひっきりなしだ。今は科学が進歩してるから、目に見えるものの正体はある程度わかるようになった。あるいは何かトリックがあるんだろうと推論するようになった。だが、目に見えないものはわかりようがない。だから、あるかどうかもわからないものを勝手に想像して勝手に不安がるようになった、ってことだろうな。バカバカしい」

 俺は酒をもう一口飲んだ。


「もっと怖いものがあるぞ、ほれ」

 スマホ画面を女に見せた。

「……これは?」

「これがSNSだ。ああ、お前は機械に弱いんだったな。簡単に言うと、どこでも見れる掲示板みたいなもんだ。ここに文字を打てば色んな人に向けてメッセージが発信できる」

「……何これ!?」


 そこには、とある有名人の発言に対し、おびただしい数の罵詈雑言ばりぞうごんが書かれていた。

 ときどき応援メッセージも見えるが、埋もれて目立たなくなってしまうほどだった。


「そんな……人に面と向かってこんなこと言えるなんて、どうかしてる!」

「な? 怖いだろ? さっき目に見えるものの正体がある程度わかると言ったが、例外がある。それは人間だ。人間の正体は科学が進歩した今でも分からない。人間はいつの時代も怖いものなんだよ」

「……」

 女はしばらくの間、口を閉ざしていた。


 スマホをスクロールしていると、俺はある投稿を見つけた。

「口裂け女が怖くない理由は他にもあってだな」

「……何これ?」


 スマホ画面には、萌えキャラと化した口裂け女のイラストが並んでいた。

「アタシ、こんなに可愛くないんですけど……」

「絵師の手にかかればお前なんかあっという間に萌えキャラにさせられるんだぞ」

「アンタはどの立場から物を言ってんのよ」


「こんな風に美化されてしまうと、『会いたくない』というよりも『会ってみたい』という気持ちの方がまさってくる。つまり、怖がられてないということだ。どうだ? これでも口裂け女を続けるか?」

「……」

「ちなみに今の医療技術なら普通の顔にもなれるぞ」

「アタシは――」







「――で、今日の原稿は?」

「すんません、まだできてねえっす」

「ふざけんな! 締切は今日中だって言っただろ!」

「いや、もう日付変わったんで昨日っすよ」

「開き直んな! 全く、去年の勢いはどうしたん――」

 おっといけねえ。あまりにもうるさすぎて通話を切っちまったよ。

 そういえば今日で一年か。


 ネットで動画を探すと簡単に見つかった。

 ちょうど一周年記念のライブ配信をしているようだった。

 迷わず再生ボタンをクリックした。


「アタシ、キレイ? 江口えぐち 裂子さけこです」

 正直その挨拶はどうなんだ?


「え~と、好きな食べ物は~、と~、の燻製と~、チーズと――ちょ、笑わないでよ! ネタじゃないって! ホントおいしいから食べてみ! ほっぺた落ちるから! アタシほっぺたないけど!」

 しゃべりは悪くないな。だいぶ練習したようだ。


「この配信を始めたきっかけなんですけど、とあるライターの友人に聞いたんですよ。そしたら『イマドキ口裂け女って怖くなくね?』って言われちゃって。もう時代の流れはられないなーって。んで、怖がってもらえないなら『じゃあ人気者になっちゃえー』って感じです。そしたらその友人も協力してくれて、友人が書いてくれた私の記事もバズったお陰もあって――それで今に至ります。整形も考えたんですが、これはアタシのアイデンティティなんで」

 友人ねぇ……。


 ちらっとコメント欄を見る。

 フォロワーは五万人か。まだまだ伸びるな。

「みなさんからのおそれ、お待ちしております」

 ん? 怖れ? なんだ怖れって?

 コメント欄を見ると「怖れ多い~」というコメントが滝のように流れていた。

 あー、怖れってそういう……。配信者と視聴者との茶番ってやつだな。


「俺も負けちゃいられねえな」

 PCをスリープ状態にし、今日も夜の散歩に出かける。


 原稿のネタを考えて歩いていると、向こうからコツコツと足音が聞こえてきた。

 ふと去年も同じような出来事があったことを思い出す。


「あのー……」

 街灯に照らされ、姿が徐々にあらわになる。

 どうやらお婆さんのようだ。

 お婆さんの口から発せられたのは、衝撃の一言だった。


「アタシ、ターボババアと言うものなんですが、どうしたら人気者になれますかねぇ?」

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イマドキの口裂け女 あーく @arcsin1203

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