においを歩く

かさごさか

買った食材は特に傷んでいなかった。

 祥事しょうじが家を出たのは午前1時を過ぎた頃だった。


 数時間前、スーパーからの帰り道で色々と事情があり祥事は死体を1つ作ることになってしまった。近くの川で馴染みの浮浪者から鋸を借りて適当に切り刻む。その際、換金出来そうなものを取り外しながら作業をしていたので、思いの外時間がかかってしまった。


 肉というのは案外、臭い。魚であれば、生臭いなどわかりやすく誰もが同意する共通の認識がある。けれど肉臭いというのは、なかなか耳にしない。


 人間の体をある程度、ぶつ切りにしたところで祥事は死体を川に投げ入れ、金目のものを浮浪者と分け合った。鋸もきちんと返却し、家へと向かう。買った食材はとうに常温へと変わってしまい、祥事の脳内には食中毒の3文字が浮き沈みしていた。


 帰宅後、冷蔵庫へ急いで食材を入れる。どうか鮮度的に無事でありますように、と扉を閉めた冷蔵庫の前で手を合わせ祈った。

 一段落ついて息を吐き出した祥事は、すん、と短く息を吸った。


 何か臭うな。


 1度意識すれば臭いが気になって仕方ない。鼻の奥、眼球の下あたりにこびりついたような臭いに祥事は自分の鼻を摘んだ。それで解決する訳がないので、素直に風呂へと行くことにした。


 そうして、汗や返り血を洗い流しても臭いは未だ体の奥底に残っているような気がした。

 熱めのシャワーを浴びたせいもあって微妙に目が冴えてしまった祥事は散歩にでも行こうと考え、鍵とスマホだけを持って玄関のドアを開けた。


 玄関の鍵を閉めながらスマホの画面を見ると、時刻は午前1時を過ぎたあたり。祥事はなんとなく、騒がしい場所へと行きたくなった。


 足を運んだのは歓楽街。ここは太陽の下では廃れた通りに見えるが、夜となればネオン煌めく秩序ある無法地帯へと一変する。娯楽施設と一括りにするには多少、常識を疑いたくなるような店もあるが、どこを見ても賑わっていた。眠らぬ街とは誰が言ったか上手いものだ。


 歓楽街では様々な人が行き交うと同時に匂いも多種多様であった。タバコであったり油であったり、アルコール臭も混ざってはいるが酒なのか香水なのかよくわからない。

 細い路地から流れ込んでくる、つんとした臭い。誰かの吐瀉物の臭い。ドアが開いた一瞬だけ香る焦げた臭い。それらを肺いっぱいに吸い込んでは、祥事は人知れず嘔吐く。胃の底から上がってきた空気をそのまま出す度に、カビのように根を張っていた肉臭さも出ていくようであった。


 歓楽街に行きつけがある訳でもないので、通りをただ1往復しただけになってしまったが、祥事の足取りはだいぶ怪しいものであった。ここにきて睡魔がようやく追いついたようだ。しかし、家までは距離がある。

 スマホ画面からのブルーライトを浴び、目を擦りながら家までの道をだらだらと歩く。


 ふと、時刻を見てあと1時間もすれば始発が走り出すだろうなと思った時、


「■■さま!」


と背後から声を掛けられた。祥事は立ち止まる。声の主へ振り向くことはなかった。


「あの、■■さまですよね!お会いしたかったです!」


 遠かった声はいつの間にか祥事の真後ろから聞こえて来るようだった。


「わたし■■さまのにおいがわかるんです!やっと見つけたんです!どうか、どうかご慈悲を!」


 祥事は1度目を閉じ、ゆっくりと瞼を上げる。そして、くるりと体ごと後ろを向くと歓喜一色の人間が1人。その人間の腹部には刃物が突き刺さっていた。


 刃物の出処は祥事が身につけているコートのポケットからであった。歓喜と困惑が入り交じった表情で固まってしまった人間の手を面倒くさそうに取る。


 自身の肩に脱力した人間の腕を掛け、介抱するような形で祥事は見知らぬ誰かを連れ、再び歩き出した。


 本日、2つ目の死体を作ってしまった。いや、日付けが変わったから1つ目か。いやいや、まだ息はあるのでこれはノーカンだろう。


 家まではあと少し。最寄りの浮浪者はとっくに川辺を離れている時間帯であった。面倒だが、ぶつ切りにするのは帰ってからやろう。


 血の臭いが鼻に染み込んでくる。

 せっかく肉の臭いが薄れたところだったのに、と祥事は眉を寄せ、欠伸をひとつ零した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

においを歩く かさごさか @kasago210

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ