第16話 残業ひとり

 職場に鳴りやまぬ電話の着信音。走り回り歩き回る多数の人影。忙しく行き交う相互の確認と指示。


 クレーム対応なのか、握った電話に怒鳴る顔がある。苦情なのか、電話でなんとか話をつけるためだろうか、泣き落としをかけている。


 相手方との調整の進捗が順調なのだろうか、弾む声が聞こえる。


 活気に溢れ喧騒だった昼間の時間は、沈む太陽とともにあっという間に終わる。


 黒い空に大きめな月が顔を出す頃、手をあげて引き上げる仲間が、ひとりひとりとドアの外の闇に溶けていく。


 壁の時計が21時を刻むころ、他の職員はすべてひきあげ、広い事務所にぽつんとひとりだけになってしまった。


 もう誰も話す相手はいないし、誰の声も聞こえない。たったひとりだけの寂しい空間が出来上がっていた。


 不気味なほどの静けさに、ナイフのように感覚が研ぎ澄まされ、皮膚のすべてがまるで耳のようになっている。


 かすかな音、ほんのわずかな気配さえも身体が鋭敏に感じるようだ。


 誰もいない事務室、無音で無気配の空間で集中し、仕事がどんどん進む。頭が剃刀のように冴える。


 懸案だった緊急の仕事のやまが崩れさるころ、事務室の壁の時計の針は24時をとうに通りすぎた後だった。


『ふぅー、疲れたあ!』


 打ち続けていたパソコンのキーボードを叩く指を止め、椅子に疲れた背中の重みを預けた。


 気のせいだろうか、静かな空間を震わすようなかすかな音が聞こえた。


 まるで女性が囁くような声が、天井あたりから聞こえようだ・・・・・


 泣いているような、呼んでいるようなか細い声がかすかに聞こえてくる。


 事務所は4階建の建物の最上階である。すぐ上は屋上しかない。


 いつだったかは忘れたが、かって先輩に聞いたことがあった。


 疲れていた、悩んでいた、心が壊れていた若い女性職員が、屋上から空に向かって翔んだ話を思い出した。


 そんな不幸な事件があってからは、会社では事故を怖れて、今は屋上への出入口は閉鎖されている。


 もう24時をとうに過ぎている。残っている職員など誰一人いないはずである。


 ましてや閉鎖されている屋上で、話すものなど誰もいないはず・・・・・である。


 人でないもの以外は・・・・・

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