《 第14話 ラブコメ掴み 》

 その日の放課後。


 俺は悠里と帰り道にあるドラッグストアにやってきた。目当ては制汗スプレーだ。俺の目的はほかにあるので「またあとでな」と別行動を取ろうとすると、悠里が少し慌てて呼び止めてきた。


「ねえっ、春馬も買い物するの?」


「せっかくだし、ついでにハンカチを買おうと思ってな」


「それって、ボクのために?」


「ああ。今日だめにしちまっただろ?」


 ただでさえ血の染みは落ちにくいのに、借りたハンカチは白だった。悠里いわく、安物なので気にしないで、とのことだが、俺のせいでだめにしてしまった以上は弁償させてほしい。


 次の休みにショッピングモールで買おうと思っていたが、たしかここにもハンカチコーナーがあったはずだ。


「べつに気を遣わなくていいけど……。ボクもほら、春馬に借りた消しゴムを割ったことあるし」


 些細なことだが、俺も覚えている。まだ知り合い以上友達未満の関係だったので、消しゴムを借りることすらためらったのだろう。それを割ってしまい、悠里はかなり申し訳なさそうにしていた。


「消しゴムは割れても使えるけどさ、ハンカチは違うだろ?」


 手を拭くことはできるが、血の染みがついたハンカチは心理的に使いづらかろう。


「ほんとに買ってくれるの?」


「安物になっちまうが、それでもよければ」


「ううん。安くてもいいよ。大事に使うから、なるべく一生懸命ボクが気に入りそうなのを選んでねっ」


 嬉しそうな悠里に「そうするよ」と告げ、俺はひとりでハンカチコーナへ。制服と同じ濃緑カラーのハンカチを見つけ、一度会計を済ませてから悠里を探す。


 悠里はまだ制汗スプレーを選んでいた。


「いつも使ってるの売り切れてたのか?」


「ううん。あったけど、たまには違うのを買ってみようかなーって」


「そか。ま、ゆっくり選べよ。俺は適当にぶらついてるから。あとこれ、ハンカチ」


「わあ、ありがと~。大事に使わせてもらうねっ」


「お、おう」


 たかが400円のハンカチを宝物みたいに抱きしめる悠里に、思わずドキッとしてしまう。


 気持ちを静めるためにも一度悠里から離れようとしたところ、ぎゅっと制服の袖を掴まれた。


 こ、この掴み方、ラブコメで見たことがあるぞ! 女子が男子を呼び止めるときのやつだ!


 不意打ちでラブコメ掴みをされ、ドキドキが加速する。


「ねえ、スプレー選ぶの手伝ってよ。せっかく一緒に来たんだから」


「それはいいけど……こういうのって自分の好みで選ぶものだろ」


「ボクは好みとか特にないから、春馬が好きな匂いのスプレーを使おうかなーって。ねえ、春馬はどれが好き?」


 俺だって好みはないし、べつになんでもいいんだが……。


「そうだな~……石けんとかミントが無難じゃね?」


「石けんかミントかー……あれ? でも春馬って無香料の使ってたよね?」


「俺は爽快感重視だからな。冷たければ香りなんてどうでもいいんだよ」


「あー……そういえばウェットティッシュ借りたときもメントール系だったっけ」


「よく覚えてるな」


「忘れられないよ。冷たくてびっくりしたもん。男子ってほんとメントール系が好きだよね。春馬のことだから、洗顔剤もスースーするの使ってそう」


「使ってるぜ。てかさ、男向けのそういうのって、だいたいスースーしてね?」


「わかんないよ。男物のコーナーとか見ないもん。女性向けのほうが種類豊富だし、春馬も次からそうすれば?」


「いいよ俺は。レジのとき恥ずかしいし」


「春馬って変なところで恥ずかしがり屋だよね」


 おかしそうにクスッと笑い、悠里が制汗スプレーをふと目に留めた。


「これなんてよさそう。ねえ、ちょっと匂ってみてよ」


 テスターがあるようだ。手首にスプレーをかけると、俺の顔に近づけてきた。白く透き通るような肌に鼻を近づけ、スンスンと匂いを嗅いでみると、ほのかに石けんの香りがする。


「どう? 春馬こういうの好き?」


「好きな匂いだ」


「じゃあこれにしよーっと。そうだ、ついでに乳液も見てっていい? そろそろ切れそうなんだ」


「いいけど、悠里ってそういうのつけるのか?」


「ケアは大事だからね。だからほら、ボクのほっぺつるつるしてるでしょ?」


「つるつるしてるな」


「触って確かめてみてよ」


 突き出された頬に触れると、もちもちしていた。俺と違ってギトギト感もない。


 これで同じ男とは思えないが……日頃のケアの賜物ってことか。


「ね、触り心地いいでしょ? 春馬もケアしたらボクみたいになれるよ」


「俺はパスだ」


「えーっ、どうしてさー」


「面倒だし、そういうのって女子がつけるもんだろ? ――もちろん男子がつけちゃいけないわけじゃないが」


 悠里を傷つけないように、慌ててそう付け足す。


 すると悠里は「そうなんだよっ」と声を弾ませる。


「つけちゃいけないどころか、いまどきは男子だって普通にケアするんだよっ。化粧水に、乳液に、ボディクリームに……美容液までは使ってないけど、お父さんだってつけてるよ」


「理事長も?」


「うん。おかげで45歳なのにお肌つるつるだよ。春馬も将来のことを考えて、今日から始めるべきだよ。ボクが選んであげよっか?」


「そこまで言うなら……買うかどうかは値段見て決めるがな」


 通い慣れているのか、悠里は乳液コーナーの場所を把握しているようだ。目当ての場所は、制汗スプレーコーナーの裏手にあった。


 俺は普段、遠回りになろうとこういう化粧系のコーナーと生理用品コーナーがある通路は避けている。


 化粧水やら美容液やら乳液やらが並び、居心地の悪さを感じてしまう。


 俺がそわそわする一方で、悠里は慣れた様子で乳液を見てまわり、テスターを手に取った。


「春馬、お手」


「わん」


 乗ってやると悠里はクスクス笑いつつ、手の甲に乳液を垂らして塗り込んできた。肩を組んだりハイタッチすることは珍しくないが、こうして手を撫でまわされるのははじめてだ。


 悠里の手は俺より一回り以上小さく、おまけにかなり柔らかい。男のゴツゴツ感がないが、これも日頃のケアの成果かね?


「いいでしょこれ。べたつかないし、すぐ肌に馴染むし、保湿効果も抜群なんだよ。これでお値段1200円っ。どう? お買い得じゃない?」


「けっこう高いな」


「安いほうだよ。ほんとは化粧水も使ったほうがいいけど、乳液だけでも違うから。女子だって肌が綺麗な男子のほうが好きだし、そう考えたらお得じゃない?」


「たしかにそう言われるとお得だな」


 1200円で女子の見る目が変わるなら、買わないという選択肢はない。


「それじゃ会計しちゃおうか。それとももうちょっと見てまわる?」


「いや、もういいよ」


 俺たちはそれぞれ会計を済ませると、ドラッグストアをあとにした。


 時刻は17時過ぎ。このまま帰るにはちょっと早いな。どこかで軽く時間を潰してから帰るとするか。


「このあとどっか寄る?」


「いいよ。カラオケとか?」


「楽しそうだが、お金がないからパス」


「だったら図書館で宿題しない?」


「あー……宿題どっさり出たもんな。ふたりで協力して片付けちまうか」


「うん。片付けちゃお」


 そうしてやることが決まり、俺たちは近所の図書館へ向かうのだった。

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