《 第10話 お泊まりの誘い 》

 ショッピングモールを出た俺たちは、そのまま家路についた。


 歩き疲れて『にーに、だっこ!』と甘えられるかもと思っていたが、悠里とのプチキュアトークが楽しいようだ。千尋は最後までテンションが高く、自分の足で歩いてくれた。


 家に帰りついたのは、15時を過ぎた頃だった。



「お邪魔しまーす」


「ユーリ! こっち! こっちだよ!」



 プチキュアのクツを雑に脱ぎ、悠里の手をぐいぐい引いて洗面所へと連れていく。クツを正して追いかけると、千尋がプチキュアのハンドソープを自慢していた。


「これね、パパが買ってくれたの!」


「いいなー。羨ましいなー」


「ちぃね、いっつもプチキュアみたいに洗ってるよ!」


「そっか。偉いね、千尋ちゃん」


 悠里はニコニコ話を聞いている。プチキュアが好きというより、子どもが好きなのだろう。一人っ子だし、いつだったか妹に憧れてるって言ってたもんな。


「ユーリも使っていいよ」


「わあ、いいの?」


「うん! ちぃね、ユーリのこと好きだもん!」


「ありがとー。ボクも好きだよ、千尋ちゃんのこと」


 これで年の差がそんなになければ恋愛に発展しかねないが、まだ5歳だ。ふたりの関係が交際にまで発展することはないだろう。


「にーにも使っていいよ!」


「ありがとよ」


 みんなで手を洗い、リビングへ移動する。プチキュアのポップコーンをテーブルに置き、ふたりに麦茶を出してやる。


 その前におしっこ、とトイレのほうへ駆け出す千尋。悠里はグラスを手に取ると、ぐいっと飲む。


「美味しい~。すっごい喉渇いてたんだ~。生き返るよ……」


「けっこう暑かったもんな」


 今日は5月にしては暑かった。ぶかぶかしたパーカーを着ているとなればなおさらだ。


 去年の夏はクソ暑いなかぶかぶかの服を着ていたが、今年はどうするつもりかね。


「それ暑くね?」


「ちょっと暑いけど、けっこう汗かいちゃったから……」


「部屋が汗臭くなるかもって心配してるのか?」


「ま、まあ、言葉を選ばずに言うとそういうことだけど……」


「気にしすぎだろ。こないだ俺の部屋で着替えたときも、全然汗臭くなかったぞ」


「そ、そう? だったら脱いでみようかな……」


 ちょっとだけ恥ずかしそうにしつつ、ぶかぶかのパーカーを脱ぐ。いつもの大きい服と違って、黒いTシャツはジャストサイズだった。


 じっくり見るのははじめてだが……悠里の胸筋、すげえな。黒い服だと影が目立たないので立体感がわかりづらいが、悠里の胸は膨らんで見える。そのくせ腕は細い。普通、腕立てすると上腕も発達するんだが……どんな筋トレしたらこうなるんだ?


「そ、そんなじろじろ見ないでよ……」


「ああ悪い。なあ、触ってみていいか?」


「だめだよ!?」


 悠里は両手をクロスさせて胸を隠した。


「そ、そこまで拒絶することないだろ……」


「ご、ごめん。いきなりでびっくりしちゃって……」


「驚かせたのは悪いけど、ほかに頼み方が思いつかねえよ。いきなりがだめなら……次の月曜に触らせてくれ、とかでいいのか?」


「だめだよっ!? 頼み方っていうか、なんていうか……こういうのはムードの問題だと思うし……」


 胸筋触らせてもらうムードってどんなだ? 全然思いつかない……。



「遊ぼー!」



 ムードについて考えていると、千尋がトイレから戻ってきた。


「いいぞ。なにして遊ぶ?」


「プチキュアごっこがいいっ! ちぃはキュアソープで、にーにはバイ菌さんっ! でね、ユーリは『助けてー』って言うひと!」


 配役を決め、千尋がソファのうしろに隠れた。そこから「もういいよー!」と声が響き、プチキュアごっこが幕を開ける。


 俺は悠里に背中から襲いかかった。



「きゃあっ!?」



 お、ナイスリアクション。本気の悲鳴にしか聞こえなかったぜ。やる気満々だな。俺もプチキュア映画のバイ菌キャラになりきらないと。


「ぐへへー、貴様の髪は良い匂いがするなぁ!」


「だ、だめだよっ! そんなに嗅がないで!」


「ぐへへー、貴様の服は良い匂いがするなぁ!」


「ちょっ、だめだってば! たくさん歩いて汗かいちゃってるから……!」


「貴様をもっと汗まみれにしてバイ菌だらけにしてくれるわー!」


「た、助けてー! プチキュアー!」


「待てー!」


 ソファの背もたれをよじ登って千尋が登場。


 とおっ、とジャンプして着地する。


「キュアソープ、さんじょー!」


「ぐへへ! 一足遅かったなキュアソープよ! 我が輩のバイ菌パワーで、こやつを汗臭くしてやったわ!」


「うっ、汗くちゃい! これじゃ近づけない!」


「プ、プチキュアー! バブルシャワーを使ってー!」


「よーし! くらえ、バブルシャワー!」


「ぐわああああ! 我が輩が浄化されてゆくうううううう!」


 ばたり、と倒れると、悠里がサッと俺から遠ざかる。


 これでも胸筋に触れないように気を遣ったのだが……警戒されてしまったのかも。


 友達の嫌がることはしたくない。充分デカく見えるが本人的には自信がないのかもしれないし、悠里が自分の身体に自信を持つまでは触るのを我慢しようかね。


「これからはちゃんとお家に帰ったらうがいと手洗いをするんだよ! キュアソープとのお約束っ!」


「わかったよキュアソープ! 助けてくれてありがとう!」


「どーいたしましてっ! にーに、もう1回やりたい!」


「あ、あのさ、次はボクもバイ菌さんになっていい?」


「えーっ。それだと助けられないよ……」


「じゃあ俺が助けられるひとになろうか?」


「にーにはバイ菌さんがいい! だって上手だったもん!」


「って言ってるが、どうする?」


「じゃあ……もう1回だけしようかな」


 冷えてきたのか、悠里はぶかぶかのパーカーを着る。その間に千尋はソファの裏に引っ込み、再びプチキュアごっこが幕を開ける。


 そして、千尋は飽きることなくプチキュアを演じきり、同じ配役でまたやりたいと言い出した。


 しかし悠里は渋っている様子だ。千尋を可愛がっている悠里が難色を示すとは……歩き疲れてしまったのかね?


「ちょっと休憩するか」


「えーっ、もっと遊びたいよ!」


「休んだら遊ぶって。そうだ、プチキュアのポップコーン食べようぜ」


「うん! 食べる!」


 無事に千尋の興味を移すことに成功。テレビをつけ、ソファに座ってプチキュアのポップコーンを食べていると、千尋がうとうとし始めた。疲れがたまっていたのか、そのまま眠りについてしまう。


「……寝ちゃったね」


「けっこう歩いたし、いつもなら昼寝の時間だしな」


「このままにするの? ベッドに運ぶ? あ、でも起きちゃうかな?」


「起きるかもな。千尋は寝起き機嫌悪いし、このままにしとくよ」


「そのほうがよさそうだね。ボクは……帰らないほうがいいよね?」


 千尋は目覚めたらプチキュアごっこをしたがるはずだ。休んだら遊ぶって約束してしまったし、あと1回くらいは付き合ってやらないと。


 かといって、千尋が起きるまで悠里を待たせるのは申し訳ない。


「2時間くらい待ってくれ。それくらい寝れば起こしてもぐずらないだろうし」


「わかった。それくらいなら付き合うよ」


 話が決まり、俺たちは音量を落としてテレビを見る。しばらくそうしていると……寝息が増えた。悠里も寝てしまっている。あと1時間くらいしたら起こしてやろうと思っていたが、なにもしていないのは退屈で、俺も次第に眠くなり――……



     ◆



 ただいまー、という母さんたちの声に、俺は目を覚ました。


 窓の向こうは薄暗くなっている。


 時計を見ると、そろそろ19時になろうとしているところだった。


「いけない。寝ちゃってた」


「すまん。俺も寝てた」


 なんて言っていると、母さんたちがリビングにやってくる。


「あらいらっしゃい。遊びに来てたのね」


「すみません。遅くまでお邪魔しちゃって……」


「いいのよ。今日は一緒に映画を観に行ったのよね? 千尋が迷惑かけなかった?」


「いえ、すごくお利口さんでした」


 部屋が急に賑々しくなったからか、千尋がパチッと目を覚ました。


 たっぷり寝たからか、機嫌は悪くなさそうだ。父さんたちを見て笑顔になる。


「おかえりなさーい!」


「ただいま。映画楽しかったか?」


「うんっ! プチキュアがね、みんなを助けたの! そうだっ、ちぃもプチキュアになったんだよっ! ユーリを助けてあげたの!」


「そうか。千尋はすごいな」


 父さんに褒められ、千尋は嬉しそうにはにかむ。


「ユーリ、にーに、またプチキュアごっこしよー!」


「えっと……もう遅いから、そろそろ帰らないとなんだけど……」


「ユーリ、帰っちゃうの……? もっと遊びたいよぉ……」


 千尋が悠里の服を掴み、帰らないでとぐずっている。


 悠里は困り顔だ。すると母さんがほほ笑み、


「明日は日曜日だし、泊まってもいいのよ」


「え、でも……」


 悠里が俺をチラッと見る。


 泊まるとなれば俺の部屋で寝ることになるしな。俺に許可を求めているわけだ。


 もちろん、俺に遠慮はいらない。むしろ泊まってほしい。小学生の頃はよく友達の家に泊まったり、友達を泊めたりしていたが、めっちゃ楽しかったしな。


「泊まっていいぞ。俺は気にしないから」


「気にしないの!?」


「当たり前だろ。着替えは俺のを貸すからさ。せっかくだし泊まってけよ」


「ユーリ、お泊まりしよ!」


 千尋に期待たっぷりの眼差しを向けられ、悠里は小さくうなずいた。


「じゃ、じゃあ……家に連絡してみるよ。春馬の部屋で電話していい?」


 いいぞ、と悠里を部屋に連れていく。


 そして部屋に入ると、悠里がため息を吐いた。


「お父さんになんて言えばいいんだろ……」


「普通に『友達の家に泊まる』でいいんじゃね?」


「誰の家に泊まるか訊かれちゃうよ……地元の友達の家って嘘をついても連絡されてバレちゃうかもだし……」


「正直に『クラスメイトの桜井の家』って言えばいいだろ」


「そうだね……言ってみるよ」


 悠里は顔に緊張を滲ませ、電話をかける。



『あ、お父さん? 今日さ、友達の家に泊まりたいんだけど。……ううん。違くて、高校の友達。……ううん。1年生じゃなくて、クラスメイトの――そっ、そういうのじゃないからっ! 向こうの家族もいるし! いや挨拶とかしなくていいよ! ……うん。……うん。……う、うん。まあそのときはちゃんと紹介するけど……で、でもそれまでは放っておいてくれていいからっ! ……わかってる。はーい』



 悠里は通話を終える。


 友達の家に泊まるのって、こんなに説得しなきゃなの? 俺なんて親に連絡しても『向こうの家族の迷惑にならないようにね』で終わったぞ。


 親への連絡をためらってたし、外泊には厳しいのかね。


「それで、なんて?」


「泊まっていいって」


「そか。自分の家だと思ってくつろいでくれていいからな」


「う、うん。くつろげるように頑張るよ」


 友達の家に泊まるのははじめてなのだろうか。緊張気味の悠里を連れ、リビングに下りるのだった。

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