何処かへ行こう

何処かへ行ってしまいたい。

 そう、思った事はないだろうか。

 今いる場所から何処かへ。


 時々浮かぶ、その思想。

 私は、多分不器用だ。要領も悪いのだと思う。仕事も、人間関係も。

 仕事がうまくいかないので、いびられる。叱咤が飛ぶ。仕事のできない私が悪いのだろうが、最近は失敗が怖くて前よりもミスが増えた気がする。悪循環の毎日をギリギリの精神で生きていて、だからと言って、今の状況を変える度胸もなくて。

 同棲している彼氏も、毎日陰鬱な顔して帰ってくる私にうんざりしたのか、私を見ると嫌悪を浮かべて目を背ける様になった。前は、何かある度に慰めてくれたのに。

 最後に会話をしたのは、ひと月前だっただろうか。

 もう会社を辞めたい。と言った私に彼は一言、


「今の会社辞めたって、お前は鈍間なんだから、どうせ次も同じだろ」

   

 と言った。実際、事実ではあったと思うが、その言葉で私は肯定も否定もできずに口を継ぐんでしまった。

 そうだ、その時も確か家を飛び出したんだっけ。そのお陰で仲直りもないまま、険悪な日々が続いている。此処最近はまともな会話もしていない。

  

 家まで陰鬱な雰囲気になった毎日を送っていて、ふと浮かんだ。

 何処かへ行ってしまいたい。此処じゃない、何処かへ。


 私は真夜中の誰もが寝静まる頃合いに外に出た。

 眠った恋人を置いてアパートを抜け出して、手荷物はアパートの鍵と一応身分証明の入った財布だけ。 

 大通りはだめだ。車がいる上に、コンビニなんかがあると味気がなくなる。できる限り細い道をずんずんと進んでいく。


 目的はない。ただ、誰もいない場所を目指して、進む。

 明日が来なければ良いのに、なんて子供みたいな願掛けをして。


 ヨタヨタと歩く姿は、幽霊だろうか。それとも、死にたがりに見えるだろうか。どっちにしろ、不審者に違いない。


 歩き始めてどれくらいか。スマホを持ってこなかったから、いまいち時間がわからない。いや、こういう時は分からなくて良いんだ。

 適当に歩き続けて、気づいた時には開けた場所にいた。畑ばかりの農道が続く道は、街灯すらない。月明かりだけを頼りに、踏み外したら側溝に真っ逆さまな道の真ん中を歩くと、なんだか道を独り占めしている気分だった。


 明日もある、そろそろ帰ろうなんて思考が浮かんだら回れ右する。

 けれど、今日はもっと向こうまで行こうと思った。帰りたくない。その思想に支配された私は、更に先に進んでいた。


 それからまた、どれくらいか経った頃、背後からライトで照らされた。

 車のライト……ハイビーム程ではないが、眩しく私が進むべき道を照らしてくれる。くれるが、無粋だ。折角、一人を楽しんでいたというのに。


 私は立ち止まり、背後を振り返った。

 狭い農道だ。その道幅ギリギリを、バスが一台走っていた。道にいては避けられない。

 私は、丁度側溝の渡板を見つけてその上に乗ってやり過ごそうとした。

 が、バスは私の目の前で止まった。プシューと音を立て、まるで私を迎え入れるかの様に扉が開いたのだ。


 こんな所にバス停はない。

 そもそも、こんな時間に回送だって走ってはいないだろう。


 ふと、行き先に目が行った。


 そこには、「何処か」と書いてある。

 冗談めいたそれに、私は吹き出しながらも車内を除く。

 バスの中は真っ暗だったが、二、三人の影が見えた。


 こういうバスに乗ると死者の世界へと連れて行かれる。そんな怪談もあったっけ。なんて、呑気に考えながら私はバスに乗り上げていた。

 整理券を受け取って、適当な席に座る。

  

 ――どこに行くのだろうか。いや、何処でも良いか。

 

 真っ暗な車内。料金表示も、行き先もない。他の乗客も、無心で席に座ったまま動かない。


 バスは、再び動き始めた。 

 私は「何処か」と表示された行き先が、安息である事だけを願って瞼を閉じた。 

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