親友の恋

 翌日も私はキャロの足取りを求めて街を探っていた。

 ありきたりの聞きこみくらいスコットランド・ヤードがやってくれてはいるだろうが、それでもじっとしている気分にはなれなかった。

 繁華街にある劇場のチケット売り場を訪れ、キャロの写真を片手に売り場の係員さんに尋ねてみる。

 が、結果は空ぶり。

 係員さんは眉をハの字にして、「ついこの間もスコットランド・ヤードが来たんだけどねぇ……」と額をかきながら困ったように口にした。

 いわく、顔見知りではあるけれど詳しいことはわからず、ここ最近は見ていないとのこと。キャロが行くような場所に心当たりはないかとも聞いたが、力にはなれそうにない、と首を横に振られてしまった。


「そこのお姉ちゃん」


 これからどうしようかと劇場の前で考えていると、声をかけられた。

 見ると、劇場脇の路上にある小ぶりの屋台の前で小さな男の子が子供独特の邪気のない笑顔を作って、手でちょいちょいとこちらを招いている。


「フェアリーケーキはいかが? 今なら安くてお得だよ!」


 なるほど、屋台の売り子さんらしい。屋台の中を見ると少し困ったように彼の父親――にしては少し若すぎる、おそらくお兄さんだろう。ともかく、私とそう年の変わらないように見える青年が苦そうな笑顔を浮かべていた。


「ほら! とりあえず見るだけ見ていってみてよ!」

「あっ、ちょっと!」


 焦れたのか、男の子は私の手を取ると屋台の前へと引っ張っぱった。


「こ、こら、ロバート! ダメだろ、そんなことしちゃ!」

「そんなこと言ったってよ、あんちゃん、さっきから全然売れてないじゃんか」

「い、良いんだよ、かきいれ時とそうじゃない時があるんだから! す、すいません、こいつ、今日はたまたま学校が休みで、ネコの手くらいにはなるかと思って連れて来たんですけど、さっきからこんな調子で……」


 そう早口に謝る青年はすっかり男の子を持てあましている様子だった。

 売りさばくための一つのやり口……というわけじゃないだろう。顔に出ている表情が正直すぎるように思う。

 屋台を見ると、私の口で三、四口くらいの大きさの小さなフェアリーケーキが綺麗に並べられていた。小ぶりなだけあって値段も相応のお手ごろ価格だ。


「それじゃあ、せっかくだし一ついただこうかしら」

「そんな、申し訳ないですよ、無理矢理お引き留めしたのに」

「いえ。少し小腹も空いていましたから」


 財布から小銭を取り出そうとして手に持った写真を落としてしまう。男の子がそれを拾ってくれた。


「お姉ちゃん、この写真はなぁに?」

「私と、私のお友達の写真よ。坊やは、移動式の写真屋さんって知ってる?」

「うん! 色んなところで写真を撮ってくれる人でしょう? 公園とか、たまにこの近くでも見るよ」

「ええ、その通り。この写真は、女王陛下のいらっしゃる宮殿の近くにある公園で撮ってもらったものなの」

「ふぅん」と、男の子。


 今から少し前。二人で顕学院に入った記念に撮ってもらった一枚だった。


「おまちどおさまです。すいません、弟が変に絡んでしまって」

「いえ、子供は好きですから」

「あれ? その方……」


 と、今度はお兄さんの方が写真を見て、何か思うところがあったようだ。


「ミス・ルイス、ですか?」

「キャロをご存じなんですかっ!?」


 思わずつんのめるように聞いてしまった。

 あまりの勢いに屋台の中でお兄さんが気圧されたように一歩下がる。


「し、失礼……。あの、キャロル・ルイスをご存じなんですか?」

「あ、あぁ、いえ、存じ上げているというほどではありません。ただ、うちが贔屓にしてもらっているサロンで、何度かお見かけしたことがあったものですから」

「サロン?」


 初めて聞くことだった。

 キャロが文学について様々な意見を持っていて、新聞や雑誌に投稿していることは知っていたが、何かのサロンに顔を出しているというのは聞いたことがなかった。

 ……隠していたのだろうか?

 それとも、私が文学についてさっぱりだから、特に話題に上らなかっただけ?

 いや、そんなことはこの際どうでも良い。


「あの、その場所を教えていただけますか?」


 彼から聞いたのは、劇場からそう遠い場所ではなかった。



 扉を開けると、中は思った以上に広々としていた。

 いくつものソファが置かれ、壁には大きな絵画。暖炉には火が入れられているらしく、まだ微かに石炭雨が降っている外より幾分も暖かかった。ここだけ見るとどこかのお屋敷の談話室のようにも見える。

 そんな中で十名ほどの紳士然とした人たちが各々に過ごしていた。その内二人はご婦人だ。

 ある人たちはソファにかけて何かを話し、ある人は窓際に立ってひどく難しい表情で新聞を広げている。


「何か御用ですかな、お嬢さん」


 そんな中、口元に豊かなひげをたくわえた一人の紳士が私に近付いてきた。


「見たところ初めてここにいらっしゃったようだが……誰かの紹介ですかな?」

「いえ、そういうわけではなくて……人を捜しているんです」

「人を?」

「はい。それで、その人がこのサロンに出入りしていたとわかったものですから……この写真の少女なんですが、ご存じでしょうか?」


 私は写真をその紳士に手渡した。


「名前はキャロル・ルイスです」

「あぁ、彼女か。もちろん知っているとも」


 紳士はすぐに言った。


「彼女は非常に面白い視点を持っていてね……このサロンの中でもちょっとした有名人だよ。若く、まだまだ荒削りではあるが、世間の評判に流されず自分の意見を持っているとね。『タータレンの娘たち』についての今回の書評も興味深いとついこの間話題にしたばかりだ」

「あの、最近ではいつ来たかわかりますか?」

「最近か……私の記憶にある中で彼女が最後にここを訪れたのは一ヶ月ほど前だったと思うが……ちょっと待っていてくれたまえ」


 紳士は中にいた方々にも話を振ってみてはくれたが、やはり一ヶ月ほど前が最後にキャロがここに来た時で間違いないらしい。

 どうやら、キャロの行き先の手がかりになりそうなことはなさそうだ。

 私は内心で少しだけ肩を落とした。


「ミス・ルイスと言えば、最近は恋愛小説に特に熱をあげているようでしたよね」


 ただ、一人の婦人がふと思い出したようにそんなことを言った。


「そうなのですか?」

「ええ。私たちの間では、文字と文章にしか興味のなかった文学少女も、ようやく自分の恋を見つけたようね、と話していたのよ」

「自分の、恋……?」

「そう言って差し支えのないように見えたな。本人から聞いたわけではないからはっきりとは言えないが、年頃も年頃だ。そういうことがあってもおかしいことじゃないだろう」


 初老の紳士がそう優しげに笑う。

 私は何とも言えない違和感を覚えずにはおられなかった。

 俳優や女優の色恋の噂話にもキャロは精通していたが、キャロ自身がその色恋という名前の舞台に上がっている様は全くと言って良いほど想像出来なかった。

 私に対してだって、何かにつけてそういったからかいをしていたけれど、彼女の口からそれじゃあお目当ての男性のことが出てきたかと言うと私ははっきりと首を横に振っただろう。

 私もひどく色恋に遠い存在なのは自他ともに認める。しかし、キャロだって同じくらいに色恋とは縁遠い場所にいたように思う。


「それとも、単に私が知らなかっただけ……?」


 一人呟くと、胸がツキリと痛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る