三日月池のほとりで

仲津麻子

第1話三日月の池のほとりで

 真白ましろは夜道を歩いていた。

白い小石が敷きつめられた細道で、歩くとジャリジャリと小石を踏む音だけが響いていた。月も星もない闇の中で、道の白さだけが浮き上がって見えた。



 昨日、神木かむき本家から使者が来て、真白の裳着の儀式が行われた。

早朝から起こされ、長い裳裾もすそをひいた、緋色の装束を着せられた。上から白い薄絹をふんわりと羽織った姿で、屋敷の奥にある社の前で舞いを舞った。


 もうずいぶん前から、慈子しげこに手取り足取り教えられていため、自然に体が覚えていて、何の調べもない無音の中で、静かに厳かに舞い終えることができた。


 それ以来、真白は、ふわふわ心がどこかへ飛んで行ってしまいそうな、頼り気のない気分が続いていて、夜になって、布団に入ってもなかなか寝つけなかった。


 長いこと無理矢理に目をつぶっていたのだが、ふと気がつくと、布団の中ではなく、見知らぬ場所に立っていた。


 真白が住んでいるのは、地方の田園都市だけれど、深夜でも少しは車が通るはずだった。それが車どころか、生き物の気配さえない。あたりはしんと静まり返っていた。


 不思議と闇は恐くなかった。なぜか。この道の先へ進むべきだと、本能が訴えていた。

真白はゆっくりと歩いた。フランネルの夜着を着ているせいか、寒くはなかった。ジャリジャリと石を踏む音だけが聞こえていた。


 しばらく歩くと、開けた場所に出た。そこには三日月の形の池があった。

暗闇の中で、そこだけが薄ら明らんでいて、水面がかすかに波立っているのが見えた。


 既視感があったのは、先日本家から送られてきた、ひいな飾りの前庭にあった池に似ていたからだろう。


 真白は、吸い寄せられるように、池のほとりに立つ三本の木に近づいた。


 一番手前にあった木は、真白の背丈の三倍ほどもあって、大きく丸い葉を茂らせ、枝が四方に広がっていた。


 真白はそっと木の幹に手を触れてみた。なんとなく、そうしたいと思ったのだった。


 幹は意外にも、ほんのり暖かく、触れていると内部の静かな鼓動が感じられた。

 ドクドクドクという規則的な鼓動は、やがて真白の心臓の音に重なって、懐かしいような感覚が、体中に巡るような気がした。


 それと同時に、ずっと真白が感じていた、ふわふわしていた不思議な感じが、木の中へ吸い込まれて、しだいに気持ちが落ち着いてきた。


 まだ六歳でしかない真白の中に、いにしえから続く緋衣ひいの種が宿った瞬間だった。


 種はまだ真白の中に届いたばかりで、芽吹き育って、花開くまでには時間が必要だったが、幼い彼女の中に、確実に浸透していった。



「緋衣様、緋衣様」


 枕元で慈子の声がして、真白は布団の中で、眠りから覚めた。

三日月の池にいたとばかり思っていたが、あれは夢だったのか、真白は首を傾げた。


「まだ、眠い」

真白は、目をしばたたかせた。


「裳着の儀式でお疲れでしたでしょうけれど、朝食を召し上がらないといけません」

慈子はそう言って、やさしく真白の背を支えて、体を起こした。


陽来留国物語ひくるこくものがたり緋衣様逸話ひいさまいつわ・肆】


(終)

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三日月池のほとりで 仲津麻子 @kukiha

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