ぬいぐるみの好きな少女

凪司工房

 見上げた二階の窓にはタヌキとウサギ、それにリスのぬいぐるみがぴょこりと顔を覗かせていた。ピンクの屋根の家は近所では少し目立っていたけれど、それ以上にいつも窓から覗いている特大なクマのぬいぐるみを抱いた金髪の少女の方がずっと有名だった。少なくともペーターにとっては彼女のことを知らないなんていう小学校の同級生がいたら、この町の人間じゃないと疑うことだろう。

 少女の名はレイチェルと言った。

 小柄で肌は白い。金髪はやや癖があり、とても長い。青い瞳は宝石のようで、彼女自身がお人形のようでもある。

 そんな美しい少女は、けれどずっと家に閉じこもっていた。

 いつも二階の部屋の窓から通りを歩く人たちを、大好きなぬいぐるみたちと一緒に見下ろしている。笑っていたり、泣いていたり、そういう表情は見たことがなくて、友人たちと学校に行く時に見ると決まって校長先生のようなすまし顔をしていた。


 ある日のこと、家に帰ってくると玄関で母親が警官と何やらこそこそと話していた。どうやら最近、ペーターくらいの歳の男の子が失踪する事件がいくつも起こっているのだそうだ。


「とにかく夜には決して出歩かないように。分かりましたね」

「ええ、気をつけさせます……ああ、ペーター、おかえり」

「おお、ペーターと言うのか。聡明そうな男の子だ。君は約束はちゃんと守れるかな?」

「はい。約束を破ったことはありません」

「そうか。なら安心だ。お母さんの言うことをよく聞いて、立派な大人になるんだよ」


 警官の男性はペーターの顔を見て何度も頷くと、機嫌をよくして行ってしまった。


「本当に困ったものね。人さらいでもいるのかしら」

「夜に外に出ることなんてないから、強盗でもやってこない限りは大丈夫だよ」

「うちは父親が警備の仕事で夜出払っているから、強盗の方がずっと困るわ」

「その時はボクが母さんを守るよ。だから安心して」

「まあ、ペーターったら」


 その夜の食事にはペーターの大好きなハンバーグが出された。ナイフを入れると肉汁があふれ出し、ソースは甘くて、いつもより一つ多くパンをお替りしてしまったほどだ。


 それから十日ほどしたよく晴れた日の午後、帰宅したペーターはポストにピンク色の手紙が入れられていることに気づいた。差出人の名前はレイチェル嬢だ。

 母親に見つからないようにそれを自分の部屋に持ち込むと、深呼吸をしてから中を開いた。その瞬間ふわり、とやや甘い、苺のような香りがした。中にはとても丁寧な字でパーティーを行うから来て欲しいということが書かれ、いつも登校時にペーターを見て気になっていることが付け加えられていた。

 ただその招待状にあった時刻は夜の八時。母親は決して出かけることを許してくれないだろう。

 ペーターはその手紙を机の奥にしまって、一晩考えた。


 次の日、ペーターは夕食をいつもより少なく食べると、元気がなさそうに自分の部屋に戻った。パーティーには残念だけれど行けない。そう考えて断りの返事も書いたのだけれど、窓を開けるととても月が綺麗で、それは彼女の金色の髪を思わせた。

 母親が後片付けをしている隙にこっそりと家を抜け出したペーターは、急いでレイチェルの家へと向かった。

 玄関で呼び鈴を鳴らすとしばらくしてドアが開き、そこにはクマのぬいぐるみを抱えた彼女が立っていた。


「待っていたわ。上がって」


 やや舌足らずな、それでいて愛らしい声にペーターは自分が興奮しているのが分かった。呼吸を整え「お邪魔します」と丁寧に口にすると、彼女に導かれるようにして中に入った。

 真っ直ぐ二階の彼女の部屋に通され、ペーターは彼女が本当にぬいぐるみが好きなのだと分かった。部屋はソファやベッドだけでなく、机の上、本棚、テーブルに椅子と、どこを見てもぬいぐるみがいる。まるでぬいぐるみの国に迷い込んだようで、レイチェルは微笑みながら「お茶を淹れてくるわね」と部屋を出て行った。

 足の踏み場に注意しながら窓側まで歩き、そこから下を覗き込む。いつも彼女はどんな思いでペーターたちを見ているのだろう。ライトを照らしながら警官の自転車が走っていくのが見える。あまり遅くならないうちに家に帰ろう、とペーターは心に誓った。


「このお茶菓子はね、ママが作ってくれたのよ」


 ティーカップもそこに入っている紅茶も、ペーターは全く見たことのないものだった。器に盛られた焼き菓子もただのクッキーではなく、色とりどりのジャムが載せられ、一つ口にすると優しい甘さが広がった。それに紅茶だ。彼女からの手紙を開けた時にも匂った、あの苺に似た甘い香り。一体何の紅茶なのか分からないけれど、口にするだけで何とも夢心地になれた。


「ペーターはぬいぐるみは好き?」

「ボクは持っていないけれど、ここにあるぬいぐるみは全て可愛いと思う。レイチェルはぬいぐるみが好きなんだね?」

「ええ、大好きよ。ぬいぐるみはね、ずっとわたしと一緒にいてくれるから」

「そういえば君の両親は何も言わないのかい? 夜には出歩かないようにと警官が触れ回っていただろう?」

「わたしの両親? 両親ならここにいるわ」


 そう言って彼女が示したのはソファに座るイヌのぬいぐるみと、自分が胸に抱きかかえているネコのぬいぐるみだ。


「あれが、君のパパとママ?」

「そうよ。とっても素敵な、わたしの大好きなパパとママ」


 彼女はペーターにそう言うと、見たことのない何とも甘い笑みを浮かべたのだった。

 

    ※


 翌日、町には警官や大人たちが出て声を枯らしてペーターの名を呼んでいる姿があった。

 彼が失踪したのだ。

 大人たちが必死に少年を探す姿を、レイチェルは二階の窓から黙って見つめている。その胸元には新しいオオカミのぬいぐるみを、とても大事そうに抱き締めていた。(了)

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