コチ――水属性系男子・魚水海里の事件簿Ⅳ――

水涸 木犀

コチ[theme4:深夜の散歩で起きた出来事]

「お、海里かいり。待っていたよ」

 俺がバーの扉を開けるなり、待ち構えていたかのように腐れ縁のバーテンダー……塩見しおみが近づいてくる。構わず上着を脱いで、一番奥の定位置に腰かけると彼はカウンターの中を移動し俺の正面に立つ。

「メニューはいつものでいいかな」

「ああ」

 俺が頷くと、いつものように厨房に一声かけてこちらに戻ってくる。酒の準備をしながら、塩見は口を開いた。

「実は今日、ちょっとした事件があったんだ」

「事件?」

 訝しみ問い返す。バーに入ってきた時の印象はいつもと同じだった。今店内を見渡しても変化は感じられない。つまり、この店そのものに関わる事件ではなさそうだ。俺の様子を見ていた塩見は苦笑する。

「ああ、うちの店のことじゃないよ。関係はあるけどね。……実は、“本日の日替わり丼”のために野菜を仕入れている契約農家さんがいるんだけど、彼が何者かに襲われて倒れてしまったんだ」

「それは、事件だな」

 第一報を聞いてまず思ったのは、今日の日替わり丼はいつも通り提供されるのか、ということだった。しかし塩見は先ほどいつも通り、厨房に声をかけていたから準備自体は問題ないのだろう。そんな思考を読んだかのように、塩見は言葉を続ける。

「野菜自体は奥さんが代わりに出荷してくれたから、今日のメニューは問題なく提供できるよ。でも倒れた旦那さんは昏睡状態らしくて、早く意識を取り戻してくれればいいんだけどね。……はいジントニック」

「そうだな」

 塩見から細いグラスを受取りながら、俺は頷く。顔も名前も知らない赤の他人とはいえ、いつも日替わり丼を食べている身としては全くの無関心ではいられない。ジントニックを一口含むと、塩見はこちらに身を乗り出してくる。

「実は、倒れた旦那さんの第一発見者が、うちのバーに野菜を搬入してくれている仕入れ業者さんなんだ。彼から直接経緯を聞いたから、ちょっと海里の知恵を借りたいんだ」

「知恵?」

 何だか嫌な予感がしながら、一応聞き返す。塩見は大きく頷いた。

「そう。『うちのバーの常連に、謎解きが得意な人がいるんです』って話をしたら、事件の詳細を教えてくれたんだ。もちろん、警察も調査に動いてはいるけれど、早めに問題が解決するに越したことはないだろう? こんな事件が何度も起こったら困るし」

「それはそうだが……俺は謎解きが得意なわけじゃない。魚へん漢字に少しだけ詳しいだけだ。今回の件で役に立つとは思えない」

 無駄に目を輝かせている塩見の言葉をばっさり切り捨てる。俺は探偵でも何でもない。ただのアラサー会社員で、塩見のバーの常連にすぎない。たまたま別の客の悩み事が魚へん漢字の知識で解決できる内容だったときに、口を挟むことはあった。しかしそれだけのことだ。本物の事件調査に、俺の些細な知識が役に立つとは思えなかった。しかし塩見は全く引く様子が無い。

「そういわずに、聞くだけ聞いてくれないか。もしかしたら何かわかることがあるかもしれないから」

 そこまで言われて黙れというわけにもいかない。基本的にバーテンダーは客の話を聞くのが仕事とはいえ、今は古なじみ――中学時代からの付き合いだ――の俺しか客はいない。塩見のほうが主体的に話題提供をしても何ら違和感はないわけだ。それに、野菜農家さんの身に何が起きたのか、関心がないわけではなかった。そんな俺の心情を察したのか、塩見はすらすらと話し始めた。


「時刻は深夜二時。農家さんからすれば早朝なのかもしれないけど、一般的な感覚からすれば真夜中だよな。仕入れ業者さんは、農園の近くを散歩していた。なんでも昼より夜のほうが人気ひとけがなくて、空気が美味しい気がするのがいいらしくてね。そうしたら彼が契約している農家さんの畑の前を通りかかった」

 塩見はグラスを拭きながら、仕入れ業者から聞いたという話を淀みなく述べていく。

「ほぼ毎晩その時間に散歩しているせいか、仕入れ業者さんは夜目がきくらしい。それで、畑に人影があることに気づいたそうだ。最初はしゃがんで野菜の様子を見ているのかと思い、声をかけたらしい。でも反応がなかった。それでもう少し近づいてみると、農家さんはしゃがんでいるのではなく、倒れているのだと気づいたんだ。それで仕入れ業者さんは急いで救急車を呼んだ」

 倒れているだけなら、脳梗塞なりなんなり、個人の体調の悪化が原因という可能性もあるだろう。しかし塩見は最初に「何者かに襲われて」と言った。その証拠となる話がこれから語られるのだろう。

「救急車を待つ間、仕入れ業者さんは懐中電灯をつけて周囲の様子を確認した。農家さんが倒れていたのはキャベツ畑。そのうち彼の近くにあった数個が収穫された状態だったらしい。でも、切り口はかなり雑で、本職の農家さんが切ったにしてはあまりにも乱暴な感じだった。

 もうひとつ、農家さんは右手にキャベツの葉っぱを一枚握りしめていた。葉を照らしてみると、その葉にはモンシロチョウのさなぎがくっついているのが見えた。そこまで確認して、仕入れ業者さんは確信したらしい。この一件には、犯人がいるってね」

「それだけの情報で、か?」

 俺は首を傾げる。懐中電灯で周囲を照らしたとはいえ、得られた情報はあまりにも乏しいように思う。しかし塩見は大きく頷いている。

「それなりに大きな農家さんだ。普通、キャベツを収穫するっていったら端っこから一度に一気に刈り取っていくだろう? でも、実際に刈り取られていたキャベツは農家さんが倒れていた周囲に生えている数個だけだった。それに、握られていたキャベツの葉。例えば心筋梗塞とかで倒れたんなら、キャベツの葉を持つ時間なんてなかったはずだ。これはきっと、犯人の手がかりを示すメッセージなんじゃないかと、仕入れ業者さんは考えたんだ。そして、その考えは後からやって来た警察の見解とも一致していた」

 ひと呼吸おいた塩見は、厨房へ振り返りボウル皿を持ってくる。俺の前にそれを差し出した。

「お待たせしました。本日の日替わり丼、野菜天丼でございます」

「おお」

 にんじんと玉ねぎが主体のかき揚げに加え、大葉やナス、いんげんなんかがごろごろと乗っている。揚げ物を食べると若干胃がもたれる年ごろになってきたが、これは美味しくいただけそうだ。しかも今までの話を聞いたら、大事に食べなくてはならないという思いが強くなる。しっかり手を合わせてから箸をつけた。

「うん。うまいな。衣がサクサクしている」

「揚げたてだからな」

 俺がもぐもぐと咀嚼しながら呟くと、塩見は我がことのように胸を張る。いや、自分の店で出しているメニューだから“我がこと”で間違いはないのかもしれないが、作っているのがアルバイトの子であることを知っている身としては微妙な気分になる。


「で、話を戻すと」

 どうやら先ほどの話はまだ続くらしい。俺は天丼を一心に食しながら、塩見の言葉を待った。

「救急車で運ばれた農家さんは、頭に殴打された跡が残っていた。それで、この件は事故じゃなくて事件だってことになって、警察も交えた調査が始まった。殴打跡が長身の男性によるものだったってことで、現時点で仕入れ業者さんは容疑者を三人に絞って考えている」

「その仕入れ業者も、容疑者に入ってるんじゃないのか?」

 突然容疑者候補の話になり、俺は思わず口を挟む。推理小説とかでは、第一発見者が一番怪しいというパターンがある。そんな怪しい立場にある仕入れ業者が、容疑者をピックアップするわけがよくわからない。

「仕入れ業者さんは小柄でね。当然、第一発見者というわけで疑われてはいたけれど、犯行は難しいだろうってことで警察の取り調べから解放されたらしいよ。……で、仕入れ業者さんは農家さんと仲が良かったから、交友関係もある程度把握している。その中で背が高い男性として考えられるのはこの三人らしい」

 塩見は、俺の前に小さなメモを差し出した。仕入れ業者が書いたのだろうか。走り書きで三人の男性の名前が読みがな付きで書かれている。

村田和泉むらたいずみ堀正ほりただし清水心親しみずここちか

 俺が音読すると、塩見は頷いた。

「で、仕入れ業者さんは、農家さんが握りしめていたキャベツの葉が犯人に繋がる手がかりになると考えている。モンシロチョウのさなぎがくっついている葉には、何か意味があるはずだってね。でも、パッと見てわかる通り、この三人の名前からはチョウもさなぎも連想させる要素が無い。だから一応、可能性がある人物として彼らの名前を警察には伝えてあるけれど、確信には至っていないと言っていた」

「うーん」


 天丼を食べていた手を止め、俺はメモの文字をじっと見つめる。モンシロチョウのさなぎ。そして怪しまれている三人の男の名前。漢字のつくりを考えていた時、ふと一つの可能性に思い至った。

「かなり遠い考え方にはなるが……漢字を変換させると、一応一人には絞り込めるな」

「お、何かわかったか」

 身を乗り出してくる塩見を手で押しとどめ、俺は宙にさなぎの漢字……蛹を書く。

「モンシロチョウのさなぎが付いたキャベツの葉を持っていたって言っただろう。さなぎは漢字で虫へんにカタカナのマ、それに使用の用と書く。これを虫へんから魚へんにしたら、コチという魚になる。一応書くとこうだ」

 俺はさらに、コチの漢字……鯒を宙に書いた。

「容疑者の三人の中で、コチという音が氏名に入っている人が一人いる。それがこの人、清水心親しみずここちかだ」

 メモ用紙に書かれた名前を指差すと、塩見は何度も頷いた。

「なるほどな。こかでコチ。とはいえ農家さんの身近にあるものでコチを表すのは難しいから、さなぎで代用したってことか。確かにそれなら絞り込めるな」

「ただ、虫へんから魚へんに変換して、さらに音で絞り込むってかなり無理があると思うぞ? 自分で言っていてなんだが、捜査の参考にはしないほうがいいだろう。いらんバイアスになりかねない。そもそもキャベツの葉っぱが犯人に繋がる農家さんのメッセージだっていうんなら、農家さんは犯人が誰かわかっているんだろう? 意識が戻った段階で、確認すればいい話なんじゃないのか?」

 俺が早口で持論を述べると、塩見は目を瞬かせた。

「今日はよくしゃべるな、海里」

「話を振ってきたのはそっちだろう……」

 若干的外れなコメントに脱力して、俺は椅子に深く腰掛ける。もうこの件は終わりだと示すために、再び天丼へ箸をつけた。


「ま、明日仕入れ業者さんに会ったときに経過を聞いてみるよ。海里の予想、合ってるといいな」

「さっきの俺の話とか、余計なことは言わなくていいからな」

 忠告しておかないとペラペラしゃべりそうな気がして、俺は一応念を押しておく。案の定というべきか、塩見は不服そうに口を尖らせた。

「なんでだよ。せっかく予想したんだから、仕入れ業者さんにも聞いてもらわないと。せっかく情報提供してもらったんだし」

「さっきも言ったが、かなり遠回りな予想だからな。捜査妨害になったらまずいだろ」

「そこまで言うなら……農家さんが目を覚ましたときに、答え合わせをするか。それならいいだろう?」

 しつこく食い下がる塩見を、俺はジト目で見る。

「取引先なんだろう? 農家さんが回復したかどうかくらいは確認していいと思うが、あんまり詳しいことを根掘り葉掘り聞くのもどうかと思うぞ。今は無事を願う。それだけでいいじゃないか」

「……わかったよ。海里のアイデアだからな。お前の意見を尊重することにするよ」

 ようやく塩見は理解してくれたらしい。若干不承不承な雰囲気を出してはいるが、食い下がってくれたことにほっとする。

「今日の天丼もうまかった。農家さん、早く回復するといいな」

「ああ。また来てくれよ」

 塩見の返事に片手を上げて応えて、俺は店を出た。


・・・


 翌々日、塩見からことの顛末を聞かされた。幸いなことに農家さんは頭部を強打したことによる一時的な脳震盪で、命に別状はなかったらしい。そして、目を覚ました彼の証言から、犯人は清水心親だと明らかになったそうだ。ちょっとした出来心でキャベツを数個盗み出そうとしたところ、農家さんに見つかり慌てて殴って逃げたという顛末らしい。握りしめていたさなぎ付きキャベツの葉の意味は聞けずじまいだったらしいが、とにかく農家さんが無事でよかった。おかげで今日も、美味しい晩飯にありつける。

 本日の日替わり丼の前で手を合わせ、毎日農家さんに感謝しながら頂かないといけないなという思いを新たにするのであった。

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