最終話「魔女たち」

 魔女と呼ばれた提督は、疲れていた。

 圧倒的な勝利から一転、小さな惑星ファルロースをめぐる戦いで大敗をきっしたからだ。それも、たった二隻の軍艦を相手にである。

 一隻は、太古の眠りより目覚めた遺宝戦艦いほうせんかんエルベリヲン。

 そしてもう一隻は、好敵手ライバルたる暁紅ぎょうこう戦姫せんきが駆る潜洋艦せんようかんだ。

 旗艦きかんトゥルーノアの艦橋ブリッジで、報告書に目を通しながらリズ・ヴェーダ准将じゅんしょうは大きな溜息をついた。


「損害、戦艦604、巡撃艦じゅんげきかん914、攻逐艦こうちくかん874……本艦の艦載機かんさいき、未帰還104」


 数万隻もの大艦隊においては、大きな被害とは言えないかもしれない。

 しかし、この数字の何倍もの協商兵が、民主主義と祖国の平和を信じて散っていった。そんな彼らに死ねと命じて背中を押したのは、他ならぬリズ本人だった。

 だが、焦燥しょうそうに駆られる彼女を現状は眠らせてなどくれない。


「おじょう! こちら機関室、火災は沈下しました。現在、主基おもき完全停止、捕基ほき一基のみで航行中」

「艦体復元、排水も完了してます。こりゃ、助かりますぜ!」

流石さすがは協商軍最古のふねだ。運が太い……伊達だてに千年も運用されてはいませんな!」


 部下たちの通信はまだ、絶望してはいない。

 本艦は甚大なダメージのため、本来ならば総員退艦の後に自沈処分も考えられた。

 だが、リズが乗員のためにそのことを考えている間も、皆が必死でダメージコントロールに徹していた。左舷が完全に水没し、30度以上傾いていたトゥルーノアは……奇跡的に今、息を吹き返しつつあった。


「その、お嬢というのはやめてください。あと、ご苦労さまです。引き続き、損害箇所の修復に務めてください。第二種警戒態勢だいにしゅけいかいたいせい、解除……交代で休憩を」

「皇国の追撃が来ると思いますが?」

「追撃されてたら、もう沈んでますよ。ボクの判断では、もう今回の戦いは終わりです」


 そうは言うが、気配を感じる。

 直感やひらめき、女のかん……そういう曖昧な感覚が確かに敵の視線を捉えていた。

 リズは確信している。

 あの女は……暁紅の戦姫は、潜洋艦なる新型艦で追いかけてきている。


「大気のある惑星の海なら、ソナーが使えるんだがな」


 やれやれとリズはベレー帽を脱いでぐしゃりと握り潰す。

 艦橋のオペレーターたちが心配そうに振り返るので、そういう姿も見せてばかりいられない。リズはこの大艦隊を率いる提督で、全ての人間の命に責任を持つ立場なのだ。

 そんな時、艦長席から声があがる。


「もうこれ、戦いって終わりですよね? 艦長権限、艦橋内での喫煙と菓子を許可します。あと、お茶もね。提督もお疲れでしょうし、珈琲コーヒーでもれましょう」


 特装実験艦とくそうじっけんかんトゥルーノアの艦長、リリリア・サリューインだ。彼女は酷く小柄で、まるで軍服が似合っていない。上着などはサイズがあっていなくて、余らせたそでが歩くたびにパタパタと揺れている。

 おっとりとしていて、一人だけ場違いなのほほんとした少女。

 だが、まだトゥルーノアが浮いていられるのは、彼女の実力によるところが大きかった。


「リズも珈琲でいいかしら?」

「ん、ああ……すまない」

「艦長や艦隊司令って、撤退する時は意外とひまだもの。お茶汲ちゃくみくらいしなきゃね」


 鼻歌交じりに呑気のんきな笑顔で、リリリアが出ていった。

 その背を見送るオペレーターたちが、心なしか先程の不安と緊張感を笑顔に変えている。このトゥルーノアには軍の規律が行き届いているが、どこか大家族のような不思議な空気がある。

 そして、その奇妙な空気がリズは嫌いではなかった。

 そう思っていると、ひょいと顔だけだしたリリリアが袖を揺らして手招きしてくる。

 リズは咳払せきばらいを一つして、ようやく提督の椅子を立ち上がった。

 外に出て窓のある通路に歩けば、晦冥洋かいめいようは静かにいでいた。


「見て、リズ。あんなに荒れてた海が、ほら」

「……もう、協商軍の支配宙域だ。恒星から吹く風も、静かなものだな」

「ええ」


 リリリアは手すりに身を乗り出すようにして、窓に張り付いている。

 星々がまたたく暗い宇宙に、エーテルの波濤はとうが静かなさざなみを寄せていた。

 リズも背を預けて、リリリアの隣で窓辺によりかかる。


「……ソナーみないなもの、必要かしらね」

「ん? ああ、例の潜水艦もどきか。リリリア、晦冥洋は真空の宇宙だ。音はエーテルの中では伝搬しないよ」

「じゃあ、例えばそうね……重力波や磁場で探知できないかしら」

「そのへんもまた、この艦で実験することになると思うよ」

「機雷や爆雷的なのも作らなきゃ。忙しくなるわね、リズ。次は二ヶ月後、くらいだもの」


 十代の少女か、はたまたその手前の乙女か。

 ニコリと笑う無邪気なリリリアに、リズも自然とほおが緩む。こう見えてもリリリアは成人済みなのだが、リズが古参の水兵たちに「お嬢」と呼ばれてしまうように、彼女も「嬢ちゃん」と親しまれていた。

 そしてもう、二人には次の戦争が見えていた。


「二ヶ月……本星で協商評議会の選挙が近い、か」

「与党としては、選挙運動前にもう一つ戦果がほしいところでしょう? その時までに、色々と試したい装備を揃えておかなきゃ」

「……そう、だな。また戦いだ……避けられないし、必ず誰かが死ぬ」

「リズと私なら、その数を減らせるわ。頑張れば、ゼロにだってできるもの」


 現実的にはそうはならないとしても、可能性の話をリリリアは語ってくれる。

 彼女はピョンと床に降りると、そっと背伸びしてリズの頭を撫でた。そっと短い髪を指でいらって、そのまま華奢きゃしゃな身体で抱き締めてくれる。

 少女を通り越して幼女とさえ思える艦長は、いつも魔女の味方でいてくれた。


「リズ、少し疲れてるのね。部屋に戻って休んだらどうかしら」

「いや……ボクはこの後、通信で救国軍務会議に出席しなきゃいけないし」

「政治家さんの頑張ってますアピールにかつぎ出されることなんて、いけないわ。艦長命令です、シャワーを浴びて4時間くらい仮眠を取るべきよ」


 リリリアはいつも、リズに優しい。

 だからつい、リズは魔女の仮面を忘れてしまうのだ。

 誰もが魔女と恐れる、謎多き協商軍の無敵提督……若干18歳にして、民主主義の守護神とさえ呼ばれる女傑じょけつ、リズ・ヴェーダ准将。

 しかし、現実の彼女は違う。

 敵味方合わせて、何万もの命をエーテルの藻屑もくずに変えてきた女……その本音と本心は必ずしも、稀代きだいの英雄そのものとは言えなかった。


「リリリア……ボクは」

「ええ、ええ。いいのよ、今は誰も見ていないわ」

「ボクは……恐ろしい。あれは、遺宝戦艦は人類には過ぎたる力だ」

「そうね、そうよね。忘却ぼうきゃく彼方かなたから蘇りしわざわい……恐ろしい力だわ」

「その存在は昔から、千国協商ミレニアムでも調査が進んでいた……けど、実在しただなんて」


 リズは今まで、本当の恐怖を感じたことがなかった。

 魔女だなんだと持ち上げられても、自分の能力が及ぶ範囲でしか善処できないし、常勝不敗じょうしょうふはいでもなかった。勝つ時は圧倒的に、負ける時の被害は最小限に……それだけだった。

 晦冥洋を統べる魔女という概念は、地道な下準備と堅実な決断で彩られたものだった。

 だが、遺宝戦艦エルベリヲンの存在は、イレギュラー過ぎる埒外らちがいの力だったのだ。


「リズ、いいのよ? いいの……弱い自分の恐れを忘れないで、ね?」

「でも、リリリア……ボクは」

「安心して、私がリズに……魔女にもっと強い力をあげるわ。ふふ、私も実家に働きかけてみるし、この子も、トゥルーノアもまだまだ強くなれる。戦いはこれからよ」


 リリリアが生まれたサリューイン家は、千国協商が生まれた千年前より続く名家だ。晦冥洋に散らばる千の国を、自由経済と流通で繋ぎ止めて巨大な連邦国家を生み出した者たちの末裔まつえいなのだ。

 サリューインの一族は、主に武器や兵器を開発して協商軍に供給する軍産複合体ぐんさんふくごうたいでもある。その一族が軍にも影響力を持ちたくて、血筋の者たちを従軍させているのだ。


「リズ、安心して、ね? 私が必ず魔女に勝利を約束するから……あなたはあなたのまま、最善を尽くせばいいのよ」

「……ボクに、できるだろうか」

「わたしたち二人なら、やれるわ。遺宝戦艦も暁紅の戦姫も、やっつけちゃいましょう? 大丈夫、私が……この子が、トゥルーノアがリズを守るわ」


 協商軍の情報部は、遺宝戦艦の情報を掴んでいた。

 皇国軍が侵星しんせいうたう侵略を繰り返す中で、機密度SSSスリーエスの危機を察知していたのである。それが、遺宝戦艦エルベリヲン……リズたちはすぐにその確保および破壊を命じられた。最低限の補給を受け、惑星ファルロースへ艦体を動かしたのである。

 そして、最悪の結果が訪れた。

 晦冥洋は再び、大消失時代の闇が閉ざした真実を知ってしまったのである。


「さ、リズ。お茶を淹れて艦橋に戻りましょ? あまり二人でいると、悪い噂の原因になりかねないわ」

「……マスコミはゴシップが好きだからね。ふう、ありがとう、リリリア。ボクはもう少し、魔女をやってみるよ」

「気にすることはないわ、リズ。でも、やっぱり通信で会議に出るのはやめたほうがいいわね。あなた、酷い顔をしてるもの」

「えっ、そ、そんなにか?」

「いつもの凛々りりしくて綺麗な魔女が台無しよ。だから、みんなにお茶を振る舞ったら、部屋に戻って寝てね?」


 そう言ってリリリアは笑うと、そっと耳元にくちびるを寄せてきた。


「それとも……添い寝してあげましょうか? 子守唄とか」

「そっ、それはいい! け、けけ、結構だ……ありがとう、気持ちだけ」

「そうよね、ふふふ。じゃあ、行きましょ」

「ああ」


 この時、皇国の誰もが知りえず、想像すらしていなかった。

 協商軍の魔女が赫灼かくやくたる戦果をあげている影に……もう一人の魔女がひそんでいることを。晦冥洋を生きる今の人類が建造した、最古の方舟を操るその者こそが、魔女を支える使い魔のような存在であることを。

 晦冥洋は今、新たな戦いのステージに突入しようとしていた。

 見上げる大宇宙の星々に照らされ、平面の海に命を賭して戦う……これは、宇宙の底で繰り広げられる、誰も知らない戦いの叙事詩じょじしなのだった。

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暁紅の戦姫 ながやん @nagamono

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