第8話「暁紅の戦姫にさよならを」

 軍艦という乗り物は常在戦場じょうざいせんじょう、24時間常に即応体制を取っている。

 必定、寝入って数時間で叩き起こされたサレナにもそれはわかっていた。だから、急いで軍服に着替えるや自室を出る。

 艦橋ブリッジへと走る間に、何人もの女性と敬礼で擦れ違った。

 本当にこのエルベリヲンには、女しか乗っていないのだった。


「ブリッジイン、ヨシ! 何事ですか? 状況報告をお願いします!」


 艦橋へ入るなり小さく叫べば、真っ先に技術士官が駆け寄ってきた。

 昨日知り合ったばかりの、リプリア・ショルツ中尉だ。その顔は緊張に強ばり、表情も硬い。年の頃は25、6くらいに見えたが、彼女も起き抜けのノーメイクだった。

 それは自分も同じなので、気にせずサレナは艦長席へと歩く。


「艦長、お休み中に申し訳ありません」

「いいの、大丈夫よ。それより、なにがあったの?」

「緊急入電です。発信元は……殿下です」

「エクセリアーデ殿下が? なにがあったの!」


 その声に、若い通信兵が振り返る。

 彼女は「リアルタイム映像です!」と叫びながら、前面の大型メインモニターに通信内容を表示した。

 そこには、ノイズ混じりの荒い画像が映り込む。

 そして、今日も完璧に着飾ったエクセリアーデの姿が現れた。


協商軍きょうしょうぐんの皆様、ごきげんよう。わたくしは皇国軍のエクセリアーデ・ノイ・ル・メルクリオール准将です。もっとも、暁紅ぎょうこう戦姫せんきと名乗った方が通りがよいかしら?』


 どうやらエクセリアーデは、どこかの船に乗っているようだ。背後には避難民とおぼしき者たちが並んでいる。皆、老人や女子供ばかりだった。

 何より、エクセリアーデ自身が乳飲ちのみ子を両手で抱えている。

 優しくその赤子をあやしながら、彼女は毅然きぜんとした声で言葉を続けた。


『これより、惑星ファルロースの臣民しんみんを避難させます。脱出船団の第一陣、非武装の民間船が50隻……こちらに交戦の意思はございません。封鎖の一部をいてくださいまし」


 すぐにサレナは視線を滑らせる。

 それは、レーダー手であるキャルメラ・ミルラ少尉が振り返るのと同時だった。彼女は無言でうなずき、レーダーを確認する。

 程なくして、メインモニターに小さなウィンドウがポップアップした。


「宇宙港より熱源多数! 民間船が出港したっす! 護衛のかんはナシ!」

「ま、まさか、殿下が乗って……常にモニターして!」

「了解っす!」


 嫌な予感がする。

 胸騒ぎが収まらない。

 すぐに他の乗員たちも手伝い始めて、惑星ファルロース宙域の海図チャートも映し出される。

 ぐるりとファルロースを取り巻く協商軍の一部が、ゆっくりと移動を始めていた。見事な艦隊運動で、包囲の輪が一部だけ解放されてゆく。ミリ単位の正確な動きで、完璧に統率とうそつの取れたものだった。

 思わず身を乗り出すサレナも、感嘆の声が自然と零れ出る。


「この動き……魔女の第零艦隊ゼロ・フリートね。なんて綺麗……まるで艦隊全てが一つの生き物のよう」

「敵の包囲、一部が解放されたっす! 脱出船団、ファルロース軌道上を離脱――ッ!?」


 だが、信じられないことが起こった。

 敵を信じ過ぎた。

 そう思った時にはもう、全ては手遅れだった。


「艦長! 敵艦隊の一部が脱出船団に向かってるっす!」

「くっ! 脱出船団に通信を繋いでください! 急いで!」

「脱出船団より応答なし、接敵します!」


 モニターの中で、光の点が交わる。

 そして、一つ、また一つと消えて行く。

 非武装の民間船は船足ふなあしも遅く、軍艦から逃げることはかなわない。そして、反撃する武装も搭載していないのだ。

 一方的な蹂躙じゅうりんだった。

 協商軍艦隊の一部、約1,000隻ほどが牙を剝いた。

 それは一瞬で、あっという間だった。

 戦いですらない、一方的な虐殺だった。

 艦橋が静まり返る中で、気付けばサレナは手袋をした拳を固く握っていた。


「っ、う、ううっ! ……まさか、殿下」


 晦冥洋めいかいようにその名を轟かす、暁紅の戦姫のあっけない最期さいごだった。

 だが、最後まで臣民の安全を最優先に動いた、実に彼女らしい決断だったとも思える。出会ってわずか数日だが、サレナは竹馬の友を失ったかのような激痛に見舞われる。

 心が痛い、胸の奥が灼けるようだ。

 凛として涼やかで、気品に満ちた最強の皇女。

 その実、酷くだらしなくてわがままで、そして等身大な一人の女の子だったエクセリアーデ。その姿は、あまりにもあっけなくエーテルの波間に消えていった。

 悲痛な沈黙が艦橋を支配する中、すぐ横で声がした。


「エクセちゃん……死んじゃったの? どうして……」


 見下ろせば、エルベが呆然ぼうぜんとした表情で佇んでいた。もとから表情に乏しい彼女だが、今は目の色が輝きを失っている。

 今にも倒れてしまいそうなほど、エルベは頼りなく見えた。

 だから、サレナは立ち上がって彼女を抱き寄せる。


「……エクセちゃんは死んでないよ」

「でも、今」

「人間はね、命が尽きても生き続けるの……親しい誰かの中でずっと」


 そう、自分にも言い聞かせた。

 周囲が黙って見守る中、優しくエルベの背をポンポンとでながら語りかける。


「わたしの中にはまだ、エクセちゃんは生きてるよ……エルベちゃんは、どう?」

「……わかんない」

「うん、突然だものね。じゃあ……確かめに行こうか?」

「えっ?」

「わたし、軍人だから……エクセちゃんと同じ、軍人だから。守るべき国と民とがあり続ける限り、戦わなきゃ。戦い続けて、戦い抜く……それでしか、エクセちゃんにむくいることはできないから」


 零れそうな涙を、こらえた。

 拭う前にまぶたの奥へと追いやった。

 そうして、サレナは覚悟を決める。

 協商軍は、その一部とは言え皇国の臣民を手に掛けた。それは恐らく、エクセリアーデが警戒していたサー・エドミントン男爵の仕業しわざかもしれない。

 魔女の直属の艦隊、第零艦隊は道を開けようとしていた。

 その間隙に突如として、悪意が牙を剥いてきたのである。


「……作業員、および学術研究員は退艦してください。遺宝戦艦いほうせんかんエルベリヲン、出撃しますっ!」


 誰もが目を点にした。

 表情を失い、絶句していた。

 だが、すぐに復唱が戻ってくる。

 あっという間に、重苦しい沈黙が払拭された。


「全艦に達す、非戦闘員は退艦してください! 繰り返します、非戦闘員は――」

港湾指揮所こうわんしきしょ、応答願います! こちら第707ドック、遺宝戦艦エルベリヲンです。これより本艦は出撃します!」

「全兵装、オンライン……条件付きでオールグリーンだよー? はーやく撃たせろー!」


 サレナも制帽を被り直して、大きく深呼吸する。

 そして、隣のエルベに大きく頷くと……精一杯の声を張り上げた。

 正直逃げ出したいし、怖くて震え上がっている。

 でも、それにまさる義憤ぎふん激怒げきどが全身を支配していた。

 それを今、規律ある軍人の矜持きょうじで縛り上げて、制御する。

 脱出船団を皆殺しにした敵の標的は、次はこの惑星ファルロースそのものなのだから。


主基おもき、フライホイール接続! エンジン始動! ……エルベちゃん、いける?」

「現状で復旧率は70%くらい……でも、行くよ? 私、この感情を知ってしまったもの」

「この、感情?」

「エクセちゃんは私に優しくしてくれた……大人たちの実験と検査から、私を守ってくれたもの。だから……私多分、すっごく怒ってる」


 突然、エルベの髪が逆立った。そして、白い肌に幾重いくえもの筋が光と走る。まるで、精密回路に電気が通ったかのような輝きだった。そのまま、全身に紋様もんようのような光を浮かべたままでエルベが小さくつぶやく。


「私よ、目覚めて……私は、晦冥洋の支配者……忘れ去られし時代より来たる、死と希望の方舟はこぶね。今こそ、抜錨ばつびょうの時」


 そして、奇跡が起きた。

 びて風化したかのような艦体が、光と共にときの砂を脱いでゆく。千年の眠りから今、太古の神秘が目覚めようとしていた。

 それは、鮮やかなくれない……真っ赤に燃える紅蓮ぐれんの色だった。

 まるでそう、日の出のあかつきに燃える太陽の色だった。


「こ、これは……艦長! 艦のコントロールが急激に復旧していきます!」

「信じられない……補基ほきしか動かなかったのに、今……主基が臨界、出力120%!」

「い、いけます……いけちゃいますよ、これ!」


 もう、迷わない。

 くしかない。

 エーテルの荒波が逆巻く海で、不義を重ねる敵に鉄槌てっついを下さずにはいられない。それが唯一、皇国の臣民を救う道……そして、御身おんみいとわず走り続けた戦姫への手向たむけとなる。


「港湾指揮所より入電、恒星風により波高し! 武運長久を祈るとのことです!」

「惑星ファルロース総督府より電報、他多数の偉い先生から祝電が入ってます!」

「そういうのはいいから! 艦長、恒星風のためドックが封鎖されてますが――」


 サレナがすかさず脳細胞を沸騰させる。それは、今までエリート士官としてつちかってきた能力が完全に開花した瞬間だった。

 今のサレナには、直感や閃きが瞬時に合理と論理を得られる状態に達していた。


「主砲にエネルギーを回してください! 一番と二番砲塔、照準! 目標、ドックのメインゲート! エーテル注水、急いで!」


 ドックが注水される中で、真紅に輝く大戦艦が砲塔をうごめかせる。

 まるで人の手が揺らす指のように、二基の三連砲塔が正面へと向けられるのだった。

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