第7話「千年幼女との出会い」

 サレナ・クライン中佐、遺宝戦艦いほうせんかんエルベリヲンの艦長に就任。

 この突然の人事は、サレナ自身を多忙の極みへといざなった。周囲を協商軍の大艦隊に包囲されたまま、此方側こちらがわには防衛戦力が皆無で、伝説の超戦艦はウンともスンとも言わない。

 艤装作業中ぎそうさぎょうちゅうのエルベリヲンは、サレナがよく知るタイプの軍艦とは全然違った。

 まず、解放されていないフロアが多く、艦内の60%程が立入禁止になっている。巨大な遺跡でもある遺宝戦艦には、学者たちも出入りしていてなんだか騒がしかった。


「ふう……今日のチェックリスト、ヨシ! つ、疲れた」


 艦橋ブリッジの艦長席に、ずるずるとサレナは沈み込んで溜息をこぼす。

 見渡す周囲は薄暗く、今は誰もいない。この指揮所CICに相当する室内も、今までの軍艦とは全く違う。

 まず、艦長席からしてまるで戦闘機のコクピットみたいである。

 シートはゆったりとしてるし、狭苦しくはない。

 だが、いざとなれば艦長一人でも動かすことが可能らしい。

 因みに、計器類や観測機、モニターなどは皇国軍規格のものが後付されている。千年以上前、まだエルベリヲンが最新鋭だった時代……どうやら、先史文明人はもっと進んだコンソールで動かしていたらしいが。


「あー、進捗率67%……駄目だ、この子全然動く気配がない」


 サレナの仕事はまず、艦長として全体の作業スケジュールを管理することから始まった。そして、あらゆるチェックリストをくまなく精査し、艦の最高責任者としてサインをする。

 書類の不備を見つければ突き返すのだが、今は一秒でも時間が惜しい。

 それでも、チェック作業は手が抜けなかった。


「……やば、まだ一つタスクが残ってた。なんだよもー、眠い……」


 タブレットの中にまだ、未開封のメールがあった。

 今日はもう、自室に引き上げようと思っていた矢先の発見である。そして、見つけてしまったからには無視することもできない。部屋に戻ってまで働きたくないので、サレナはだらしなく寝転がるようにしてシートを倒した。

 そのまま、画面に指を滑らせる。


「食堂スタッフからだ……なに? 本艦の食事メニューの確認……あー、はいはい」


 軍艦には当たり前だが、食堂がある。24時間、365日無休で食事を作り続けてくれるのだ。そして、その味にはこだわりがあるし、不味まずくては兵の士気に関わる。

 だが、サレナは表示されたメニューを見て片眉かたまゆをピクピク震わせた。


「シェフの気まぐれパスタ……本日のフルコース、肉料理と魚料理を選択……ぐぬぬ」


 どうしても、皇国軍は根っこに貴族趣味的なものがある。

 どこのビストロだと言わんばかりのメニューに、正直サレナはあきれた。平民の出で孤児から出世を繰り返したサレナには、ちょっと理解に苦しむところである。

 食事の良し悪しは士気にかかわる。

 贅沢な食事を選べるのもいいだろう。

 だが、手っ取り早くカロリーをチャージする方法も必要だし、戦闘中ともなればのんびりフルコースを食べてる時間などない。


「うー、却下! これとこれと、あとこれ、食べたことないけど却下、ヨシ! ……はあ」


 いくつかのメニューをボツにする。

 その代わり、ラーメンとカツ丼を追加し、大盛りを無料にするように記入しておいた。

 カロリーこそが力、力こそがパワーである。

 そういえば、このエルベリヲンの乗員は女性ばかりだ。食堂は確か、軍人母の会とかいう老婆の一団が取り仕切っていた。


「……ああいうの、おふくろの味っていうんだろうな。お昼、美味しかったし」


 忙しい中、食堂のおばあさんたちは艦橋までサンドイッチを届けてくれたのだった。

 そんな訳で、ようやく今度こそ本当に今日の仕事が終わった。

 身を起こして大きく伸びをし、艦長席を立とうとしたその時……ふと視線を感じてサレナは振り返る。

 入り口のドアの前に、小さな女の子が立っていた。

 赤いワンピースに金髪のツインテール……昼間にちらりと見た少女だった。


「あ、あれ? えっと、どうしたのかな? 作業員のお子さん、かなあ」

「……あなたが、艦長さん?」

「そうだけど。一応ここ、関係者意外立入禁止なの。ごめんね、出口まで送ろっか」

「平気よ。関係者もなにも、私の家みたいなものだもの、ここ」


 酷く冷たい、おおよそ感情らしいものを感じない声音だった。

 そして、抑揚よくように欠くのにはっきりと鼓膜に浸透してくる。

 そのまま女の子は、迷いなく艦長席までやってきた。


「エクセが選んだ艦長さんだっていうから、見に来たの」

「そ、そう……えっと、殿下とは親しいみたいね。でも、言葉には気をつけなきゃね? 不敬になっちゃうから。あれでも一応、仮にも皇女様こうじょさまだし」

「そうよね。あんなだらしなくてもお姫様……気をつけるわ」


 サレナはくすりと思わず笑ったが、少女は真顔だった。

 そして、ぴょんと小さく跳ねてキャプテンシートの肘掛けに座る。


「私はエルベ。よろしくね、艦長さん」

「わたしはサレナ・クライン中佐です。こちらこそ!」

「……とりあえず、合格」

「ほへ? ご、合格って」

「艦長さんになっても、いいよ? 私ももうすぐ、動けるようになるから」


 不思議な少女だった。

 妙に落ち着いてて、大人びている。ともすれば、老成しているとさえ感じるようなたたずまいだった。そして、その可憐な小顔には表情がない。

 澄ました美貌はサレナを真っ直ぐ見上げてくるのだ。


「私ももうすぐ、って……え? こ、この子の関係者、なのかな?」


 もしかしたら、専門の部署を持つ技術士官かもしれない。

 サレナ自身が飛び級を繰り返して18歳で中佐になったのだ。もっと幼い頃から軍務についている人間がいる可能性はあった。

 だが、エルベと名乗った少女は軍服を着ていない。


「ん、待って……エルベ、エルベ……エルベリヲン!?」

「そうよ? エクセが、紛らわしいからって」

「こ、この子が、あなた!?」

「ええ。私は遺宝戦艦エルベリヲンのコミュニケーション・モジュール……艤装作業を手伝ってるの」


 驚いた。

 先史文明凄い。マジで凄過ぎる。

 大消失時代バニシング・センチュリーの向こう側、千年前の世界にはこんな技術があったのだ。

 エルベの話では、現代の皇国軍の軍艦とは根本的に違う、違い過ぎるのがエルベリヲンである。計器一つ取っても表示方法は違うし、そもそも数値が読めない。

 そこで、エルベが間に入って外付けの機器を増やし、運用を目指しているのだった。


「……あなたも私のことを『この子』って呼ぶのね」

「あっ、い、いえ、今のは……殿下の、エクセちゃんのくせ感染うつっちゃって」

「いいのよ、凄くいいわ。優しい人にそう呼ばれるのは、好き」

「そ、そう。えっと、エルベちゃんは……お腹、空いてる?」


 サレナの言葉に、エルベは小首を傾げる。

 そもそも、人間じゃないなら食事の必要はないのかもしれない。

 ただ、彼女は両手をお腹の上に当てて、僅かに小さく唸った。


「私は、空腹ではないと思う」

「そう。……実は、艤装作業が遅れてて。もしかしたらこの子……エルベルヲンはお腹が空いてるのかなと思って」

「……千年以上、晦冥洋かいめいように沈んでたんだもの。私、まだまだ本調子じゃないわ」

「だ、だよね。でも……急いでるの。でも、そんなことエルベちゃんに言ってもしょうがないか」

「そうよ? でも、心に留めておくわ。それよりエクセは? 今日は来ないのかしら」


 エクセちゃんことエクセリアーデもまた、激務の一日を送っていると思う。惑星ファルロースの行政官たちを通して、希望する臣民を避難させねばならないからだ。そのための各種行政手続きに、脱出艦隊のための船舶の確保……そして、同時並行して協商軍の大艦隊への対抗手段も考えねばならなかった。

 こうしている今も、暁紅ぎょうこう戦姫せんきは戦っている。

 協商軍とだけではない、軍の上層部や貴族たちにも舌鋒ぜっぽう鋭く切り込んでいるだろう。


「エクセちゃんは、みんなを助けるために今も奔走ほんぽうしてると思うわ」

「そう」

「因みに、エルベちゃん。協商軍の艦隊はざっと数万、しかも魔女の率いる第零艦隊ゼロ・フリートもいるわ。……どう? 勝てそう?」


 未だ悠久ゆうきゅうにまどろむ遺宝戦艦本人に聞いてみる。

 だが、エルベの言葉は即答だった。


「勝負にならないわ」

「そっかあ……だよねえ。いくら遺宝戦艦とはいえ、単艦じゃなあ」

「なにを勘違いしてるの、艦長さん」

「ん? いや、だって勝負にならないって言うから」

「そうよ、勝負にならないわ。……私の圧勝よ」


 物凄い自信である。

 珍しくエルベは、腕組みエッヘン! と誇らしげだ。

 確かに、エルベリヲンより巨大な艦は見たことがない。魔女ことリズ・ヴェーダの乗る特装実験艦とくそうじっけんかんトゥルーノアよりも、更に二周りは大きいだろう。

 だが、戦いは数だ。

 こちらはエルベリヲンの他には、数十隻しか軍艦がないのだ。


「圧勝ときたか……ふふ、それは頼もしいなあ」

「あっ、艦長さん。信用してないわね? 子供の言うことだと思って」

「んーん、信じるよ……ただ、まずはドックから出ないとね」

「むっ、そ、それは……ちょっとまだ、時間が必要よ」


 なんだか少し、エルベに申し訳なくなった。

 出港が遅れてるのは、なにも彼女のせいではない。

 むしろ、全く違う異文明の我々のために、この子は人の姿を借りて言葉を交わしてくれているのだ。見た目は子供でも、、艦齢千歳を超える晦冥洋の大先輩なのである。

 サレナはポンポンとエルベの頭を撫でて、そして微笑ほほえむ。


「大丈夫よ、無事にまたエーテルの海にあなたは漕ぎ出すわ。わたしたちに任せて」

「……ええ。期待してるわ。そして、私の力であなたたちの気持ちに報いるつもりよ」


 この時、まだサレナは正しく認識していなかった。

 自分たちが……エクセリアーデが今、とんでもないものを蘇らせようとしていることを。神か悪魔か、その力。今はまだ、恐るべき大洋の支配者は静かに眠るのみだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る